労働相談・労働組合日記

労働相談、労働組合スタッフの個人日記

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9月1日関東大震災と亀戸事件

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9月3日、友人と二人で亀戸4丁目の浄心寺にある「亀戸事件犠牲者之碑」を訪ねました。
虐殺された方の名前と年齢が刻まれています。ほとんどが20代です。

1923年9月1日の関東大震災に乗じ、多くの朝鮮人が虐殺され、また、アナキストの大杉栄・伊藤野枝とその甥の3名が憲兵隊に惨殺されましたが、同じく9月4日には亀戸警察署により「南葛」労働運動のリーダーと組合員の10名が殺されました。所謂「亀戸事件」です。

大杉栄一家惨殺では憲兵隊の甘粕が犯人とされ裁判を受けていますが、朝鮮人虐殺と亀戸事件は本当の首謀者は誰一人裁かれてもいません。当時の国家権力、警察、憲兵、軍隊が真の首謀者であることは明らかです。
亀戸事件について当時の自由法曹団は多くの人々から聞き取りや証言を集め、国家権力と果敢にたたかいました。
その一つ、小村井の労働者の証言を紹介します。
当時の警察の不当な暴虐と権力者の手先が怯えている様等が生々しく語られています。

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亀戸署の被検束者に対する虐待に関する聴取書
   東京府南葛飾郡吾嬬町小村井一一六三
              旋盤工  南巖
                   二十二才
(1)先づ地震後から検束前迄の私の行動を述べます。
 一、九月一日には帝国輪業会社で勤務中地震にあひました。
 二、二日には今は亡き友なる佐藤欣治君と共に本所緑町三丁目で火災の為めに盲になって困ってゐた人三十人ばかりを 亀戸行きの舟に乗すべく船頭に交渉し彼等を同方面に避難させました。
 三、仝日午後二時頃から、佐藤君と共に震害事故防止調査会(安田為太郎、神田氏等之を指導す)に参加し、市電柳島終点附近で罹災者の為めに飲料水を給配などに従事しました。
 四、夜に入るや流言蜚語が盛んに行はれ出しました。私は近所の人々の常規を脱した興奮振を鎮める為めに流言蜚語の馬鹿らしい点や、無根と思はれる点を確信を以て否認しました。鮮人襲来の流言に対しては『彼等が暴行をしない限り、此方から暴力を以て臨んではならない』と極力主張しました。
 五、三日からは昼は配給米の運搬の手伝ひ等に従事し、夜は夜警しました。三日夜、兄(吉村光治)が検束されたことを聞きました。兄は、別に不穏なことも悪いこともしてゐたと思つて居りませんので、警察のよくやるいつものやうな検束だらうと思って居りましたので大して気にかける事もなく 其のまゝ うつちやつて置きました。
 六、十日迄は別に変ったこともなく過ぎました。
(2)検束当時のことを之から述べます。
 七、十一日夜八時過ぎ 亀戸警察署高等係 蜂須賀、小林及び深沢とか云ふ若い高等係等に巡査を合せて七八名 其の外兵卒一名が同行して私の家へ参りました。
 其の時 蜂須賀だったと思ひますが、私に向って次の様な暴言を吐きました。外の同行者も之に和して同様なことを言つたと記憶してゐます。『オ前の熱望してゐた革命がやって来たぞ。東京は全部焼けた。金持も貧乏人もなくなった。オ前等の理想通りになった。オ前等の満足の行くやうにしてやる』と。
 斯様な言葉の終らぬ内に 私の手は 後手に縛り上げられてゐました。帝国輪業会社を少し過ぎた所にある交番まで引張つて行かれ 其処から自動車で亀戸署迄運ばれました。
(3)次に署内での虐待について述べます。
 八、検束された日は、九時半から十一時近くまで少時の間隔を置いて連続的に撲られました。
 撲られた箇所は顔面でした。その日以後、約十日間は私の顔は人から見まちがわれる程膨れ上がつて居りました。
 九、其の後十八日と、それから三日ばかり終つて後と前後三回撲られました。後の二回は高等係室でやられました。
 十、其の時の有様を述べますと
 高等係等の私に対する行動は、全然個人的反感で終始し、私が労働組合に加盟してゐて、メーデーや失業者防止運動や過激法案反対運動等に参加したことなどを述べ、あの時は斯々であつた。その時は斯々だつた。と取締に手古摺つた私憤を洩らしました。
 彼等は『俺達もブロ(プロレタリア)になつたのだ。プロとプロとの力較べをしやう』などと暴言を吐き乍ら 高木とか云ふ警部補、北見、安島、蜂須貿等の高等係、伊藤巡査部長等は、樫の木の棒で肩頸の辺を所嫌はず撲り付けました。蜂須賀はビンタを撲り靴で蹴る等しました。私は目がくらみ、耳は遠くなり、苦痛に堪え難くして遂に昏倒しました。
 十一、意識を取戻した時、私は真裸にされて井戸端で頭から冷水をぶつかけられてゐました。水を汲み上げるために朝鮮人らしい者を使つて居りました。汲み上げられた水を頭からバケツでぶつかけるのでした。側には例の伊藤巡査部侵が樫棒を振り上げて逃げるのを防ぐらしい身構えをして居りました。
 何分彼等は酔つぱらつてゐることだし 私は只彼等の為すがまゝにするより外ありませんでした。私の顔には血が流れ伝はつて居ました。其の夜は真裸のまゝで監房内にぶち込まれました。藤沼栄四郎、森谷天洞氏等も同様な虐待を受けたことは 後に知りました。私自身の場合に付ては勿論 酷い目にあはされた人々の話によると大概は酔つぱらつた勢でやられてゐるやうであります。
 十二、尚 監守同志の会話によって知つたのでありますが、当時は事項録の記入は全然閑却されてゐたそうであります。
 十三、其の後は(三回目に撲られた後は)監房内で労働運動に関係してゐると睨まれてゐる人々等と同じ監房内で日を過しました。藤沼栄四郎 伊比律栄君等も同室でありました。
 十四、十月十三日頃呼び出されて調べられました。
 南葛労働会の内容 設立事情等を聞かれました。
 十五、十月十六日釈放せられました。其の時聴取書をこしらへさせられました。本籍現住所、賞罰、工場勤務期間、南葛労働組合との関係、仝組合の運動方法等について訊ねられました。尚震災に際して組合のとった態度についても訊ねられ『南葛労働組合は震災に乗じて何事か社会主義的の運動をしたか』との問に対しては私は『否断じて左様なことはありません。組合員は個人的に或は夜警をしたり、炊出を手伝つたり、配給米の運搬、配水、組合員中の倒壊家屋の整理手伝等に従事して居ました。其れ以外に組合としては何事をも為しませんでした』と答へました。
 尚奸商排斥に関する私の意見を近所の人々の前で語ったことをも述べました。
 十六、監房内で見たり、聞いたりした 他の人々の事については細野弁護士に述べて置きました。
 供述人は右の通り相違なきことを認めて署名捺印しました。
        大正十二年十月十六日
        供述人  南 巖
        聴取人弁護士  黒田寿男
『自由法曹団団報』第49号(1968年7月)

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