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21日、22日不当解雇とたたかう全国一般東京東部労組阪急トラベルサポート支部委員長塩田卓嗣さん支援「週刊金曜日ツアー佐高信と行く岩手の旅」で、盛岡市に行ってきました。石川啄木がこよなく愛したという望郷の丘からの岩手山は絶景でした。 感激したのは、ツアー中に知り合った盛岡市の方が、盛岡市に鶴彬(つるあきら)のお墓と碑があるから、ツアーが終わった後もし良ければ案内してくださるというのです。すぐにお願いしました。 鶴彬の実家がない盛岡市に何故墓があるのか。1938年に鶴彬(本名喜多一二きたかつじ)が29歳で殺された時、鶴彬の遺骨を引き取りに行ったのは、盛岡市で染物屋を営んでいたお兄さんでした。石川県の親戚からは「アカは墓に入れない」と断られたため盛岡市のお兄さんの家の墓に埋骨したそうです。墓の横には<喜多一二 昭和十三年九月十四日>としっかり彫られていました。 お墓は、市内の本誓寺(盛岡市名須川町3−16)近くの共同墓地です。 そこから車で10分ほどの少し小高い松園観音墓地(盛岡市西松園1丁目16−40)に鶴彬の有名な反戦川柳「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の碑があります。鶴彬を尊敬する盛岡市を中心とした心ある人々の手によって作られ、毎年命日には、この碑の前にみなさんが集まるそうです。 盛岡をすっかり好きになりました。 佐々木さん!本当にありがとうございました。いつか恩返しできればいいのですが。 **************************************************** 尚、現在石川県には下の碑があります。 「枯れ芝よ団結をして春を待つ」 石川県かほく市(生誕の地) 「暁を抱いて闇にゐる蕾」 石川県金沢市、卯辰山公園 |
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2010年04月23日
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