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東部労組学習会「労働組合は、ナチスになぜ負けたのか」
2016年7月12日 講師 レジメ①東部労組 執行委員長 菅野 存
講師 レジメ②東部労組 前副執行委員長 石川源嗣 レジメ① ドイツの最大労働組合=自由労働組合(ドイツ労働組合総同盟)の検証 全国一般東京東部労組 執行委員長 菅野 存 1 前提
(1)労働組合の登場 1878 社会主義者鎮圧法−1890廃止−社会民主党(社会主義労働者党から改組)・自由労働組合の結成 (2)ドイツのナショナルセンター ・自由労働組合(社会民主党系) ・ヒルシュ・ドゥンカー労働組合(ドイツ進歩党→民主党系−リベラル) ・キリスト教労働組合(中央党系−保守中道) 2 自由労働組合(ドイツ労働組合総同盟1919−)の基本的性格
(1)中立主義・経済主義 ア 専制下の労働者の闘い
<国内> 1889.5 ルール鉱山労働者10万人のスト−8時間労働を要求 1896.11 ハンブルク港湾労働者のスト−賃上げ、10時間労働を要求 1903.8 クリミチャウ繊維労働者のスト−賃上げ、10時間労働を要求−同市に戒厳令−敗北 1905.1 ルール鉱山労働者のスト 1906.1 各地でロシア革命連帯・選挙制度法反対の抗議集会開催 1909.10 マンスフェルト銅山スト−社民党系組合員解雇への抗議 1912.3 ルール鉱山労働者3組合が共同のスト イ 社会民主党イエナ大会(1905.9)決議
「プロレタリアートの基本的な権利をたたかいとりプロレタリアートを解放するための、いちばん有力な闘争手段の一つは、大衆的なゼネラル・ストライキを広範に採用することである」「ストライキは防禦のばあい、つまりブルジョアジーからの攻撃をうけたばあいにばかりではなく、労働者が攻撃をくわえるばあいにさえも、これを利用しうる」 ウ 政治闘争を放棄→活動を経済闘争に限定(組合の「中立」化)
・ケルン大会(1905.12)決議「政治的大衆ストライキの宣伝によって一定の戦術をうちだそうとするいっさいの試みを排撃する」
・「労働者の経済的な地位の向上を図る」=「現在の市民社会的な基盤に立ち合法的に努力する」(自由労組総務委員会機関紙) (2)「城内平和」主義に基づく戦争協力 ・開戦にあたってのドイツ皇帝の演説「余は党派なるものをもはや知らない。ただドイツ人あるのみだ」(1914.8)
・社民党、戦争遂行支持(戦費賛成投票・同)→総務委員会、ストライキ「自粛」(放棄)宣言・スト資金支払い停止決議(同) ・影響:階級意識の希薄化、社民党内反戦派の形成・分離→スパルタクス団→ドイツ共産党 ・祖国奉仕労働法制定に参画−要求とバーターに戦争協力を追認 (3)政治・経営への参画=資本家・権力への接近 ・社民党議員として議会へ:社民党議員に占める自由労組出身者の割合が増加(1893年5名11.6%→1912年36名32.7%)
・「超経営的参加」政策 労組代表者が資本家団体の代表と同権的に、 両者によって組織された産業自治機関・公的機関における意思決定に参加→それらによる経済指導に参加=企業・国家の政策決定・実施に参加 ・経営協議会(1920)−労働者の経営参加 (4)ドイツ革命(1918)を「利用」 革命の労働者への波及を恐れた資本家団体と交渉→会社規則の遵守と引き替えに組合の承認・8時間労働の実施等の要求実現(中央労働共同体の設立) (5)小活−自由労働組合(総同盟)の性格 ①与えられた状況の下で労働条件の維持・改善を図る ②生産点の経営秩序 に手を触れようとはせず、もっぱら狭義の労働条件の取引者として振る舞う=資本家のつくった枠組みの中で完結=「社会を変える」活動は行わない=「取引的組合主義」 3 プロレタリア革命を放棄・抑え込み−統一戦線への消極的態度
・カップ一揆に対する「ゼネスト」(1920.3)
右翼軍人によるクーデター、「新政府樹立」をゼネストで崩壊させる ・「公開状」(1921)を黙殺 ・ラーテナウ暗殺抗議行動 各地でスト頻発、共産党のゼネスト呼びかけを拒否 ・反クーノ統一戦線(1923) 抑圧的政権に対し各地でスト闘争 社民党・総同盟、ゼネストを拒否するも、8月、ゼネスト決行。政権打倒 4 ナチスへの接近・恭順
(1)前提 各職場・経営協議会選挙におけるナチス支持率は低迷 1931ベルリン(対象総事業所) ナチス経営細胞の得票率0.5% ※総同盟81.5% 1933ベルリン電力経営協議会選挙 ナチス細胞2.5% 総同盟91.4% ※1933=国会議事堂放火・授権法成立後 1934「信任協議会」選挙(労働組合解体後に実施) ナチス支持低迷、選挙結果の集計・公表はなされず (2)指導部の動き
1933 1.30 ナチス政権掌握→労働組合事務所の占拠、経営協議会委員への辞職強要等、組合攻撃を開始 3.21・29 総同盟議長ライパルト、ヒトラーに親書「新体制下における労働組合の非政治化及び企業との協力」申し出 他の2ナショナルセンターとの組織統合を決議 4.09 政府への全面的協力と国家権力に対する労働組合の服従を声明 4.15 ナチス政府呼びかけのメーデー(祝日化)に対し「民族共同体の一員として誇りをもって参加せよ」と全組合員に呼びかけ 5 結末−組織の解体 1933.5.2 指導者を逮捕、拠点閉鎖、組合解散→5/10ドイツ労働戦線設立 ********************************************* ***************************************************************************************** レジメ②
「労働組合はナチスをなぜ阻止できなかったのか」 全国一般東京東部労組 前副執行委員長 石川 源嗣 Ⅰ ドイツ労働運動の試練
1.ヒトラーの政権奪取(首相就任) (1)ほとんどがヒトラー政権は一時的・短命と予測 (2)ヒトラーの国内制圧・独裁確立電撃戦 年表(1933/01/30〜)参照 2.労働運動は3回権力獲得に失敗した
革命的過渡期(1918年〜1923年) 「相対的安定期」(1924年〜1928年) ワイマール共和国の危機の時代(1929年〜1933年) (1)1918年ドイツ革命 (2)1920年カップ一揆 (3)1923年クーノ政府打倒のゼネスト 3.ドイツ労働運動へのレーニンの批判助言
(1)ドイツ共産党の困難は、1918年末からの革命的危機が労働者側を「権力の即時獲得」に押しやり、そのため異常に急速に、激しい、緊迫した状況を生み出した (2)ドイツ社民党の日和見主義に対する憎悪が冷静な判断と正しい戦略の創出を許さず、時期尚早の蜂起へ押しやった (3)ロシア革命の経験から学び、労働者弾圧の戦略戦術を磨き高めた資本家階級の攻撃に敗北した (4)ドイツ労働者の任務は、冷静さと忍耐力を持ち、労働者の多数者を獲得すること、大衆を指導できる組織を建設すること、資本家階級と対抗できる戦略をつくること (5)ドイツの労働者階級の多数者の獲得は、決定的な獲得でなく、部分的な、一時的な、地方的な獲得であった Ⅱ 労働組合はナチスをなぜ阻止できなかったのか
1.反ファシズム統一戦線を確立できなかった(敗北の主体的原因) (1)「社会ファシズム」論とは (2)「社会ファシズム」論創出の直接原因・・・1923年「ドイツの10月」失敗の正当化 (3)「社民主要打撃」論強化の理由 ①1928年11月のライン・ルール地方の大争議 ➁1929年5月1日ベルリン「血のメーデー」 ③1929年末のスクラーレル疑獄事件 2.ドイツ軍国主義とナチの暴力支配
3.大不況
4.ドイツの闘争主体の脆弱さ
Ⅲ その他の問題
1.ゼネラルストライキについて 2.社共統一戦線の経験
○ワイマール共和国の歴史で、両党の共闘は3回 (1)1920年のカップ一揆反対ストライキ (2)1922年のラーテナウ殺害抵抗運動 (3)1926年の国民投票 3.「革命的オプロイテ」
Ⅳ 総括・教訓
(1)全民主勢力の結集(統一戦線における主導権の問題) (2)指導的骨幹
(3)階級観点
(4)職場闘争(日常的階級闘争)の積み重ね
(5)全国的ゼネラルストライキ
(6)御用組合内での活動の重要性
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