労働相談・労働組合日記

労働相談、労働組合スタッフの個人日記

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初日に友人とみてきました。この日、東中野ポレポレのチケットはたちまち完売となりました。高江の住民、子供たちはなんと可愛いことか、先頭で頑張る山城博治さん、琉球朝日放送をはじめ沖縄のマスコミ人の気高さよ。
 
僕が泣きそうになったのはゲートで封鎖している車の中に籠城していた女性が、警官にまさに強制執行されようとした時、泣きながら沖縄の唄を歌っている場面でした。
 
ぜひぜひ多く人にみてほしい。世界中でみてほしいと切に願います。
原発、過労死、ブラック企業、憲法改悪、自民党政権・・・そして沖縄のアメリカ軍基地みんな繋がっています。
 
 
日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯建設に反対し座り込んだ東村(ひがしそん)・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。[※1]わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村[※2]の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。
 
2012年9月29日、強硬配備前夜。台風17号の暴風の中、人々はアメリカ軍普天間基地ゲート前に身を投げ出し、車を並べ、22時間にわたってこれを完全封鎖したのだ。この前代未聞の出来事の一部始終を地元テレビ局・琉球朝日放送の報道クルーたちが記録していた。真っ先に座り込んだのは、あの沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちだった。強制排除に乗り出した警察との激しい衝突。闘いの最中に響く、歌。駆け付けたジャーナリストさえもが排除されていく。そんな日本人同士の争いを見下ろす若い米兵たち……。
 
本作があぶりだそうとするのは、さらにその向こうにいる何者かだ。復帰後40年経ってなお切りひろげられる沖縄の傷。沖縄の人々は一体誰と戦っているのか。抵抗むなしく、絶望する大人たちの傍らで11才の少女が言う。「お父さんとお母さんが頑張れなくなったら、私が引き継いでいく。私は高江をあきらめない」。奪われた土地と海と空と引き換えに、私たち日本人は何を欲しているのか?
 
(標的の村 サイト解説よりhttp://www.hyoteki.com/introduction/
 
 
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昨日ポレポレ東中野で映画「100年の谺−大逆事件は生きている」をみてきました。
幸徳秋水、菅野すが子ら12名が死刑となった有名な大逆事件をテーマとするドキュメント映画です。
ポレポレ東中野では今日まででしたが、機会があればぜひご覧ください。

1911年1月18日大逆事件で24名に死刑宣告。判決後わずか6日後には11名を死刑執行。菅野すが子はその翌日に死刑執行。
1923年9月関東大震災
朝鮮人・中国人数千名が虐殺
平沢計七ら労働組合員10名が亀戸警察により虐殺
大杉栄・伊藤野枝ら憲兵により虐殺。
1933年2月20日小林多喜二築地警察署で特高刑事により拷問虐殺。

1925年に制定された悪名高い治安維持法は、作家小林多喜二の拷問虐殺が有名ですが、犠牲者は、数十万人の検挙、拷問で虐殺・獄死194人、獄中で病死1503人に及んでいます。
戦前の悪逆非道を、極右アベの今だからこそこそもう一度学び直す時が来ているのではないでしょうか。
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治安警察法、治安維持法に関連して
−2013年5月1日メーデーに思う事−
 8時間労働制を求めて闘い続けた先輩たちの歴史

<「誘ったら逮捕 団結は犯罪」の治安警察法>
1900年に制定された、集会・デモ・結社や政治活動の規制と労働組合運 動・農民運動をつぶす目的の治安警察法。宗教者、教師、学生などは合法的な政治結社にも入ることを禁じられ、女性は結社ばかりか、集会に参加することも厳禁とされました。
とりわけ、1900年から26年まで存続した17条は、ずばり「団結権・団体行動権・団体交渉権」を否定する条項でした。

1925年に制定された悪名高い治安維持法は、作家小林多喜二の拷問虐殺が有名ですが、犠牲者は、数十万人の検挙、拷問で虐殺・獄死194人、獄中で病死1503人に及んでいます。この支配者階級・政府・資本家の悪逆非道、残酷な本性と行い、先輩らの無念を私たちは絶対に忘れてはなりません。

しかし同時に、戦前の労働者・農民・市民・知識人はこんなひどい法律と弾圧にも負けず、検挙されても検挙されても、倒されても倒されても立ち上がり続けたという面も強調されなければなりません。数十万という検挙数も一方ではそのことを示しているといえるのではないでしょうか。

<8時間労働制を求め闘い続けた労働者>
1914年には50件・参加人員7904人であったストライキは、1918年に417件・6万6457人、1919年には497件・6万3137人と増加し、労働者の労働組合への結集も急速に進んでいます。

1920(大正9)年には、日本最大の軍需工場八幡製鉄の2万5千人の労働者が、3割の賃上げ、住宅手当の支給、時間短縮などを要求し熔鉱炉の火を止める大ストライキ。同じ年の5月2日の日曜日には、日本で最初のメーデーが「治安警察法の撤廃」「最低賃金制の確立」などを要求して上野公園で開かれます。これ以後16年間、毎年メーデーは闘われ、全国のあちこちで労働争議が頻発します。
 
このような先輩労働者たちの歴史があったからこそ、敗戦後たった1年たらずで1万2千組合が結成され、368万人が立ち上がり労働組合に加入しました。8時間労働制や憲法・労基法・労組法は決して政府や経営者から恵んでもらったものでなく、労働者・民衆が求め闘い続けてきた魂の叫びの実現だったのです。
 
憲法制定より1年以上前の1945年12月22日の労働組合法制定を千秋の思いで待ち望んでいたであろう人々。この日をどういう気持ちで迎えたでしょうか。この時の先輩たちの気持ちや表情を、今、自民党が憲法改悪をねらい再び暗黒時代に戻そうとしている時だからこそ、私たちは謙虚に想像したいものです。

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あらためて新村兄弟のことも紹介します。

映画では新村兄弟はほとんど紹介されていませんが、私は4年前、長野県屋代の生蓮寺にある新村兄弟のお墓を訪ねました。大逆事件で逮捕された新村兄弟。弟の忠雄は死刑にされた12名のひとりで、わずか23才でした。
http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/49759252.html

新村兄弟のお墓には<禮誉救民忠雄居士><賢誉至徳善雄居士>と彫られています。
新村兄弟の墓が建てられたのは、大正の末ごろで、「更埴市史第3巻近・現代編(平成3年発行)」は、「国賊」扱いの新村兄弟に<救民・至徳>の戒名がつけられたことは注目すべきことと言えよう。と記しています。
「更埴市史」によると、新村忠雄は、長野県屋代町(旧更埴市現千曲市屋代)に生まれ、内村鑑三のキリスト教やトルストイの影響から日本メソジスト屋代教会で洗礼を受け、日露戦争による国民の生活の「悲惨な状態をみて、その救済策をいろいろ考えましたが、社会主義を実行するほかに途はない」(新村忠雄予審調書)と幸徳秋水らの「平民新聞」を拡げ、自ら長野県下で「高原文学」を発行するも検挙。出獄すると同時に平民社で生活し幸徳秋水・菅野須賀子と親しくなりました。

事件後、新村兄弟の母校である屋代小学校の宮入校長は「斯かる逆徒新村兄弟を屋代町から出し、また、屋代小学校に学びし事ありしは如何にも不名誉なり」と談話を発表しています。とあります。

23才、新村忠雄が生きた1910年とは。1900年の治安警察法公布。日露戦争後の不況下で、集会・結社・言論の自由は剥奪されながらも足尾鉱山大暴動・ストライキなど労働者のストライキや農民の小作争議が頻発し、一方での韓国併合。安重根の伊藤博文射殺に象徴される日本・韓国民衆の反発と闘いに対する明治国家権力の凶暴な殺人的巻き返し策謀、菅野須賀子が言うところの「真相は驚くばかり馬鹿気たもので,…たとえば軽焼き煎餅か三文小説見たようなものであった」でっちあげ事件であったことは今ではこの映画をはじめ多くの人が語っています。

石川啄木は盛岡中学3年生のときに足尾公害と闘う農民と田中正造の天皇直訴に感動しカンパ活動をし「夕川に葦は枯れたり 血にまどう 民の叫びの など悲しきや」。1910年の韓国併合では「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつゝ 秋風を聴く」とうたっています。
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渋谷イメージフォーラムで、ドキュメント映画「先祖になる」を親友とみてきました。
監督は『蟻の兵隊』でヒットした池谷薫氏。
2011年3月11日の東北大震災の津波で町全体を波に奪われた岩手県陸前高田市の77歳の農民であり、きこりである佐藤直志さんは、長男を失った哀しみを抱えながら仮設住宅に入る事を拒み、不屈に自ら山の木を切り倒し、ついに自宅新居を建てる。しかし、仮設住宅にいる妻や嫁は当然ながら津波を怖れそこには居ない。

東北復興は一向に進んでいない。福島原発事故もなんら収束していないどころか最近も重大な電気事故すら起こしている。その一方で復興事業で大もうけしている連中がいる。人々の最大の不幸を逆に金儲けに利用している資本家と政治家たち。


この汚らしい彼らとは正反対な真逆の生き方を示してくれる東北の人々の生き様がこの映画ではどこまでも謙虚に映像として記録されていきます。

地域の夏祭り「けんか七夕」の打ち上げで、青年団の代表の絶叫が今も耳に残っています。「自分たちはあきらめない」。


ぜひぜひお勧めです。

 

 
 
 
以前、レ・ミゼラブル(ユーゴー)について述べたことがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/2700643.html
映画「レ・ミゼラブル」を観て、久しぶりに岩波文庫 豊島与志雄訳を読み直しています。
「私の口癖は『今の日本は、まるで18世紀・19世紀の労使関係じゃないか』であった。
無限に続く日々の労働相談、『会社をやめたくてもやめさせてくれない』『罰金制度の会社』『月550時間残業のトラック運転手』『暴力職場』『パワハラ・セクハラ』『悪徳弁護士』『外国人労働者へのひどい扱い』『契約・派遣・パート労働者への差別』『ただ働き・残業代未払い』『長時間労働・過労死』等々書き切れない経営者・資本家どもの悪逆非道の数々・・・・・。

一体全体このどこに『自由社会』があるというのか。法律は?労基署は?行政は?裁判所は?民主主義は?労働組合は?人権は?言論の自由は?政党は?自由は?平等は?・・・・・・・。」
2006年のこの思いは今でも全然変わりません。
「妹の飢えた幼子たちのためにパン一個を盗り19年間獄中に繋がれたジャンバルジャン」の悲惨さは、非正規労働者への職場内での暴力的差別やいじめのそれと重なります。20年間も非正規のまま酷き使われたあげく解雇される労働者。原発事故。16万人福島の人々が自宅に帰れるのは何十年先でしょうか。「19年間」は決して小説の中の話ではなく私たちの現実社会そのものです。
1789年のフランス革命後の反革命に対して、パリ市民は幾度となく決起し、また敗北していきます。小説レ・ミゼラブルは、1832年の敗北した闘いが舞台です。有名な1871年の労働者階級が歴史上初めて政権をとったあのパリコミューンではありません。映画「レ・ミゼラブル」でのラストシーンの圧巻が「パリコミューン」を予感させます。このラスト場面だけでももう一度観たいです。

それにしてもフランス革命の精神と真逆の思想の持ち主「安倍」も観に行ったと新聞に出ていました。バリケードの内側にいる市民が打倒したいと切に願っている彼はどんな感想を持ったのでしょうか。

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