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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。


 夜、松本清張「影の車」を観終わってから風呂に入った。
「影の車」の主人公は、子供時代に、母親の浮気相手を殺している。
大人になって、今度は自分の浮気相手の6歳の息子に毒薬を飲まされ驚愕することになる。
この映画は何度も観たが、おれの結論は、大人の苦しみを知ろうとしない子供が一番アホってことだ。

 昨日、小室哲哉が不倫で非難され引退した。
好きな女優斉藤由貴も不倫で画面から消えてしまった。
おれの近所に不倫してると周りから暗に非難されてる奥さんがいる。
他人の不倫を攻撃する世間というものは、「影の車」の子供のようだ。どうしようもないアホだとおもう。


[松本清張スペシャルドラマ〜影の車〜]
https://www.youtube.com/watch?v=92BkKBMq2rk


 この世界は、古今東西隅々まで嘘とデタラメで満ち満ちている。
唯ひとつ、四聖諦だけが真実だ。


 20時頃風呂を上がる。
この季節はすぐ汗がひいてくれる。暖たまった身体は血の巡りがよくリラックスしてるので、スムーズに呼吸瞑想に入ることができる。

リクライニングチェアに横たわり、タイマー30分にセット、欠気一息(かんきいっそく)してから、吸う息吐く息の今に意識を集中する。

なぜ今を意識する必要があるのか。

実際にあるのは「今この瞬間」だけだからだ。

過去は今の記憶に過ぎず、未来は今の予想に過ぎない。

イ・マといってもマのときにイはない。
瞬間だけだ。

人は誰でも、この真実を理屈でわかるだけではだめで、実際に前後の妄想を裁断するためのトレーニングが必要だ。

30分のタイマーが鳴る。

そのまま続けてもう30分、あっという間に過ぎる。さらに30分。

ああ、今日は上手くいっている。
風呂で、不倫を攻撃する世間への悲しみから苦聖諦に入れたからだ

なんという気持ちよさだろう。

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(過去記事増補編集再録)

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 ウケを狙うとはどういうことか。
その99%は、大衆の意識下の先入観を肯定してみせることで相手を安心させ喜ばし、一種の媚びを売ることだ。

一例として、ほんとにラッセン好きなわけではない永野が芸として
「ピカソより〜ゴッホより〜、普通に〜、ラッセンが好き!!」
と叫び大衆人気を得るなど。

 ゴッホより、普通にラッセン好きな大衆には、こういう明確な表現が思いつけない。
自分と対象に十分な距離がとれず、対象も自分も客体として観察できないからだ。
 





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リアーナ


歌詞
Baby, this is what you came for
Lightning strikes every time she moves
And everybody's watching her
But she's looking at you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh
Oh, oh
Lightning, this is what you came for
Lightning strikes every time she moves
And everybody's watching her
But she's looking at you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh
Oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
You, oh, oh, you, oh, oh
Oh, oh
We go fast till they can't replay
Who knows why it's gotta be this way
We say nothing more than we need
I say "your place" when we leave
……………………

This Is What You Came For
より
This Is What
のほうがいい。


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子供ってスッゲーあほ

七色仮面。
♪七つの顔のおじさんのほんとの顔はどれでしょう
このあほらしい曲を、今でも空で歌えてしまう自分が、ちょっと悲しい。

 七色仮面でも月光仮面でもそうだけど、今見ると、えっ?まじっすか?ってなる。あまりのチープさに唖然としてしまうが、当時は(何?このパイナップル頭)とも思わずに、かっこいい〜と夢中で観てた。批判力0。


七色仮面 オリジナル バージョン
七色仮面役は、千葉真一(新人)ってなってる…古!


もういっちょう。
ナショナルキッド。

 恥ずかしながら、当時これが一番好きでした。
今見ると、ツッコミどころありすぎで疲れるが、当時はなんともおもわなかった。
風呂敷を首に巻き付けて「正義の味方だあ〜」箪笥の上から叫んで飛び降り、足くじいたり…
子供ってスッゲーあほだわ。



なつかしついでに
少年ジェットも。
♪勇気だ 力だ 誰にも負けないこの意気だ やあ!
やばい、これも歌えるわ…

 これ作った当時の大人たちよ、
「少年ジェットこそまことの少年の姿である」って、んなわけないでしょうに。





(過去記事統合増補編集再録)

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 修行僧よ。瞑想せよ。なおざりになるな。汝の心を欲情の対象に向けるな。なおざりのゆえに鉄丸を呑むな。(灼熱した鉄丸で)焼かれるときに、「これは苦しい!」といって泣き叫ぶな。
(ブッダの真理のことば371 中村元訳)

 聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、──鍛冶工が銀の汚れを除くように。
(同239)

 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。
(同301)

 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。
(同299)

 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。
(同305)

 いそしむことを楽しみ、放逸に恐れをいだく修行僧は、堕落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。
(同32)




「瞑想せよ。なおざりになるな」
「一刹那ごとに、おのが汚れを除く」
「いつもよく覚醒し」
「常に身体(の真相)を念じ」
「なおざりになることなく、わが身をととのえて」
「いそしむことを楽しみ、放逸に恐れをいだく」



 おれの耳には、これらブッダの教えすべてが

ヴィパッサナー瞑想に奮闘せよ

と聞こえる。



※ヴィパッサナー実践
http://www.j-theravada.net/pali/key-vipassana.html





 たぶん今年最後の記事です。

よいお年を!!




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(過去記事増補編集再録)

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餡かけ塩焼きそば

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 京都中華料理「雄」の調理場動画をできるだけ真似て餡かけ塩焼きそば作ってみた。


 すごい!
今までとは段違いに美味いわ。

 最大のポイントは蒸しそばをほぐさず途中も箸で混ぜずそのまま両面しっかり焼き色を付けることだ。

 後は中華炒め共通だが強火(IH1400W)でできるだけ手早く調理した。そのために具材(肉、イカ、タマネギ、ピーマン、キャベツ、ちくわ、カニカマ)調味料(創味シャンタン、料理酒)水溶き片栗粉等タイミングよくサッと入れられるように前準備した。

当然だが、上の動画はちゃんと観て。たとえば具材(麺、肉、野菜)を油通ししてから炒めるなど。


 次に同じ具材同じ作り方で、麺だけデュラムセモリナ100%乾パスタに替えて試してみた。
麺がもっと美味くなるか、やはり焼きそばに合うのは安い中華麺(近所のスーパーで常時1袋10円)だったとなるか。

 結果は…パスタもバリ堅麺風でけっこう美味しいが、予想通りというか「やはり焼きそばに合うのは中華麺だった」
調理の手軽さと値段の安さで大きく勝り、味でも若干勝り、中華麺の圧勝でした。

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 この数ヶ月、役場主催のウォーキング教室に参加している。

 前回、リード役のおばさんの信念で幼稚園的遊戯、全員で縦一列の電車ごっこをしながら「わたしに続いて大声で笑って。あっはっは、あっはっは」これを何度も繰り返す。「作り笑いがほんとの笑いになる」と。
それっていいことなのか?

 今日別のおばさんが、前回の「あっはっはおばさん」に共感するスピーチをした。これからも大いにやろう「みんなでやれば怖くない」からみたいに激励する。
「みんなでやれば…」は揶揄をこめた反語で、やるもんじゃないという意味だと思うが。

こんな偏執が流行りだせば、おれはこの教室から速やかに離脱する。

  思うに、おばさんの人生の目的は、幸福なのだ。
(もちろんおれだって不幸より幸福がいいに決まってるが、人生の目的にはしない)

 ショーペンハウアーは「幸福論」のなかで
最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。…朗らかさが今来ては困るという時はない。(「幸福について」2橋本文夫訳)
と言っている。
つまり、幸福目的ならおばさんは正しい。ワザと笑うことで、朗らかになれる人がそうするのは当然だからだ。
ショーペンハウアーはさらに
朗らかさにとって…健康ほど有益なものはない。
とも言っている。
つまり、ウォーキングに皆勤参加して、自分たちなりに楽しくなるためにワザと大笑いし、休みなく空談しながら朗らかに歩くおばさんたちは、まことに幸福の法則にかなっている。









 それでも、おれは一言だけ究極の反論をしておく。

 幸福は人生と何の関係もない、幸福が、人生の問題を解決することは一切ないからだ。

これは、残念ながら、おばさん達には猫に小判馬に念仏で、さあいよいよ死ぬというその瞬間まで理解しない。
[関連記事]
いつの間にやら幸福が人生の目的になる







[追記]
 おれは、昔から考え続けている疑問がある。
「自分を王様だとか神様だとか事実誤認して幸福だとおもい込んでいる精神病院の患者は、本当に幸福か」という疑問が。

大多数の人は「本人が幸福を感じてるんだから幸福に決まってる。他人がいくら気の毒がろうとも、本人は自分が精神病だと気づいてないから関係ない」とおもうだろう。
自分が幸せだと感じてればそれだけでオッケーってことだ。非常に多くの人が結局そういう考えだとおもう。人生の目的が幸福で止まっている。

 それだとこの先、副作用のない麻薬が開発されて「幸福薬」として売りだされたら、みんな飛びつく。
それさえ飲めば幸福な良い人生ってことになるわけだから。

 幸福を人生の目的にすると、様々おかしなことが起きる。

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 今テレビで、仏教や神道やキリスト教に関する国民の疑問に、僧侶や神主や牧師が答える番組をやってる。

 確固たる神仏の教えが一方にある。

他方、大衆には、神仏の教えがこうあってほしい、のみならず、こうでなければ容認しないという頑固な意向がある。


 国民の税金や信者の援助によって維持されている寺や神社や教会の経営責任者スタンスの一面を持つ者達が、間に挟まれて苦し紛れに発明した、国民大衆の意向を全面的に是認しながらも神仏開祖の教えにも反しないふう玉虫色の伝統的折衷案のかずかず。
その注意深く巧みになされた賢い解釈と説明の百花斉放を聞いて、これは皮肉で言うのじゃなく、心底感心した。

しかし、この種の賢さはいくら極めても、肝腎の悟りや救いの為に何の貢献もしないのが事実だとおもう。



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 本能は、生きものすべてに、その身体を「俺、俺のもの」と信じさせる。
俺のものなら必死で守るからだ。
そのくせ、用が済めばポイ捨てされる。
すべての生きものが、誰も望まないのに、必ず老い病気になり死ぬ。
はなっからそういうプログラムなのだ。

さあいよいよ死ぬという瞬間に君は思う。

俺…何を守っていたの?










学生ドータカが釈尊に訴えた。
(ブッダのことば5・6 1063,1064 中村 元訳)より引用します。

(学生ドータカ)
…あまねく見る人よ。
わたしはあなたを礼拝いたします。
シャカよ。
わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。



(釈尊)
ドータカよ。
わたしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。
ただ汝が最上の真理を知るならば、それによって汝はこの煩悩の流れを渡るであろう。

(引用終。強調は私です)


 他に方法はない。

自分を救えるのは自分だけだ。

自分でやる以外ない。

絶対ない。



師は答えた、
(同ブッダのことば5・6 1068 より引用します)
ドータカよ。
上と下と横と中央とにおいて汝が気づいてよく知っているものは何であろうとーーそれは世間における執着であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない。
(引用終)





だから、その本能プログラムに真っ向から逆らえと。

具体的に、どうするか。


(ブッダの感興のことば26・17 より引用します)
見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる。
(引用終)

 サティの実践・ヴィパッサナー瞑想をしろと。


[関連記事]
火の中に落ちる蛾になるな」→http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzU3NTczMzM4Lmh0bWw-

意味ない繰り返し人生でいいのか」→http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzU3NDc5MTMwLmh0bWw-


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(過去記事増補編集再録)

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2001年宇宙の旅


 意図的冗長描写に、過去何度か前半で厭きてしまった。
今回こそはと決意、初めて最後まで観た。
最終的に、なんじゃこりゃ感はぬぐえなかったが。

2001年宇宙の旅


 キューブリック監督は腕のいい職人肌の芸術家だが、ちょっと山師でもあると思う。
もっとも、本物の芸術家が山師の一面を兼ねるのはなんら悪いことではなく、むしろ必然だ。
自分の作品を100%理解して作り上げるのは単なる職人であって芸術家ではないからだ。
「作ったものの、自分でもよくわからない代物で」と正直に認めたくなければケレン味で撹乱するしかない。それは作品自体の中でもおこなわれる。
共同制作者アーサー・C・クラークは「もしだれかが『2001年宇宙の旅』を完全に理解したら、私達は失敗したことになるんです」と言ったそうだが、誰よりも作者側が完全に理解してない事実を、こういう風にカッコよく表現したわけで、これも山師っぽい。

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