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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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めざせ!在家の出家!

(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)より引用します。

 常識、常識と言うが、何を言うのかと思えば、人並みの考えのことを言っている。
もっと言えばグループ()けの考えのことを言っておるにすぎぬ。

 今の坊さんのは出家ではない。ワラ小屋から瓦小屋に家移りするだけだ。菓子屋の息子が火葬場のオッチャンに商売替えするのと同じじゃ。

「在家の出家」とは、在家でありながら在家のグループ呆けしていない人間のことである。

 ようつつしんで親だとか先祖だとか背景だとかで、値うちを持たそうとしてはならぬ。金や地位や着物で味をもたせてはならぬ。現ナマじゃ。宗教とは現ナマの自分で生ききることじゃ。

(引用終。強調は私です)


 澤木老師は「親だとか先祖だとか背景だとかで、値うちを持たそうとしてはならぬ。金や地位や着物で味をもたせてはならぬ」と説いている。「全知全能永遠不滅の唯一神」もこれと同じことだ。そんなもんで値うちを持たそうとするのは間違いだ。

 ヴィパッサナー実践による
証の安心をめざす。

神信心の安心は、ひとまずの安心、とりあえずの安心だから、ここから動こうとおもわず、いつまでも留まるなら…それは放逸になる。
偶像崇拝を厳しく禁じるのは正しいが、唯一神信仰それ自体が最後に克服すべき究極の偶像崇拝だと気づこうとしないからだ。


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坂口安吾と澤木興道老師https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9jeXFuaDk1Ny81NzY1MDI2Mi5odG1s

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(過去記事増補編集再録)

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