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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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プッタタート編訳「ブッダの言葉の宝庫」より
死に関して迂闊でない人
を要約して引用させていただきます。正しい原文はリンクを参照してください。


 ある時、ブッダが比丘達に、大きな功徳があるマラナサティ(死隋念)を「どのように実践しているか」と訊ねました。

比丘A 「今日だけ、今晩だけの命かもしれないと思い修業に励みます」

比丘B 「昼の間しかない命かも知れないと思い修業に励みます」

比丘C 「托鉢して食べ終わるまでしか命がないかもしれないと思い修業に励みます」

比丘D 「ご飯を四、五口食べ終わるまでしか命がないかもしれないと思い修業に励みます」

比丘E 「あと一呼吸しか命がないかもしれないと思い修業に励みます」


ブッダは、比丘A、B、C、Dは「まだ不注意な人」「まだ漏の滅尽を遅らせるためにマラナサティをしている」と言い、比丘Eだけを「油断のない人」「本当に漏を滅すためにマラナサティをする人」と褒めました。

(要旨引用終)


 カンポン・トーンブンヌムさんの気づきの実践は比丘Eのようだった「死に関して迂闊でない人」だったので、はっきり結果を出すことができた。

比丘A、B、C、Dのように注意不足でいくら長くやっても何も結果は得られない。

やるならたとえ短くても、比丘Eのように、カンポンさんのように、少しも油断なくやる必要がある。

 現状、比丘Aの真似さえ難しい人が大多数なのは、苦聖諦の理解が足りないからだ。だからまず、苦聖諦を学ぶ必要があるとおもう。

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