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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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 おれは昔、職場に行く前の早朝や休日に曹洞宗の寺に通って坐禅のまねごとをやってた短い時期がある。
45分だったか1時間だったかの坐禅を2回やり、間に経行(きんひん)というものがあった。
足の痺れや眠気を取り除くために、できるだけ定を保ったまま
一息半歩
で歩く重要性を詳しく指導された。




 その後リタイア生活に入ってから、東京の弟の家に遊びに行った機会に、近くのテーラワーダ寺院に出向き、
ウォーキング・メディテーション(歩くヴィパッサナー)
の説明と実践の手ほどきを受けた。
その時、おれは禅寺でやっていた経行の意味の核心を初めて知ったと感じた。禅寺での教えは間違いではないのだが、芯を食っていなかった。
インド→中国→朝鮮→日本の伝言ゲームの間に、微妙で深刻な意味のズレが生じていたのだと思った。

 経行における意味のズレはまだ微妙でそれほど深刻ともみえないが、このちょっとしたズレが原因となり、やがて「動中禅」の意味と解釈に決定的に深刻な間違いが現れるという結果を導いたと思う。
「動中禅とはなにか」→
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9jeXFuaDk1Ny81NzMwNTQ4MS5odG1s
 仏法のポイントはたった一つ、サティがあるかないかだけだ。
「人生最優先のタスク 「怠けるな」のほんとうの意味を知る」→
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9jeXFuaDk1Ny81NzAxNDM0MS5odG1s










実践。

スローモーションで歩きラベリング、

「右足・上げる」「出す」「下ろす」

「左足・上げる」「出す」「下ろす」


で、しばらくやってみたが、ちょっと慣れて余裕が出てくるとラベリングの隙間にいっぱい雑念が入る。


それで、動きをスローモーションにして(超スローモーションでもふらつかないために歩幅は小さくした。いわゆる一息半歩の足運び)

「右足・上げ始める」「上げる」「上げる」「上げ終わる」
「出し始める」「出す」「出す」「出し終わる」
「下ろし始める」「下ろす」「下ろす」「下ろし終わる」

「左足・上げ始める」「上げる」「上げる」「上げ終わる」
「出し始める」「出す」「出す」「出し終わる」
「下ろし始める」「下ろす」「下ろす」「下ろし終わる」


などと工夫してみる。
ラベリングの間に余裕がなくなったので、雑念が入りにくくはなった。


まあ、これも慣れたら、同じ問題が出るが。
(習熟して速い動作にもサティがついていけるようになれば、動作を速めて雑念を阻止する方法もとれる)



※「ヴィパッサナー瞑想」
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

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(過去記事増補編集再録)

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