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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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 たとえば、映画「海底47m」



 人はなぜパニック・スリラーに魅かれるのか。


人生が正にそういうものだからだ。
人は生老病死の運命を知っており、何とかしてこの深刻な極限状況から脱出したいと願っているからだ。


ケージに閉じ込められ海底まで落下…(生)
迫る酸素欠乏の危機……………………(老)
サメの恐怖や潜水病……………………(病)
挙げ句の果てサメに食い殺される……(死)


しかし大多数の人々は願っているだけで、その実なにもしない。「その瞬間」に襲われるまでの間、パニック・スリラーなど見て、のん気に過ごすだけだ。
物語では人食いサメの恐怖から生還する夢を楽しむが、現実は死という恐ろしいサメに一人の例外なく食い殺されるのに。








 (ブッダ 神々との対話3篇3章5節・山の譬喩 中村 元訳)より引用します。
(釈尊はパセーナディ大王に説かれた)
 虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧しつぶす。
そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。


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