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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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 他人は私が私に持つほどの関心を私に持たないので、私のことを全然知らなくても「あなたを知ってます」と悪気なく言い、なんの痛痒も感じない。
私は私に切実な関心を持たずにいられないので「自分のことを一番知らないのは自分だ」と感じる。それは心理的な事実だ。









 自分自身のことを知らないままの一生は酔生夢死の人生だ。
そして、非常に多くの人々の口先ではなく行動が示す考えはこうだ。
「幸福に生きられさえすれば酔生夢死の一生でかまわない」

それは、初めから白旗を揚げた人生だ。

 死ぬ直前に、本能から用済みのごみとして開放され、ようやく生き方を間違えていたとぼんやり気づくが、その時は手遅れだ。そこから「俺、俺のもの」は本能がでっち上げた幻想だと気づくには時間が足りず、直後に何もできないまま死んでしまう。

人生はデフォルトでそうなる設定になっている。

だから、自分で元気なうちに設定値を変えなければ、そのように死ぬしかない。

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 唯一絶対神信仰の人々は正面から見ると誇らしげに胸張って微笑むが、後ろ手で白旗を揚げている。彼らもただ幸福を感じて生きればそれだけで満足だと思っているからだ。
設定はデフォルトの範囲を出ていない。自我が神我にシフトしただけで、酔生夢死の一生という点では全く同じだからだ。
自分の手のしていることを自分に知らせないようにして「俺、俺のもの」の幻想を見ている。

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(過去記事増補編集再録)

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