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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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自殺と無常と瞑想


 数十年来遊び仲間だったKが自殺してからもう8年近く経った。

Kは自殺決行の10年前から「近いうちに自殺する」とまわりに宣言していた。
おれは、自殺を絶対やってはいけない悪事だとはおもえない。
「人生の目的の第一歩は、生きること、である。何のために、という答えは、あとからついてくる…」という五木寛之の言葉を伝えて「自殺なんてつまらないからやめろ」としか言えなかった。
Kは覚悟の身辺整理をしたり、やっぱり思い直したりを繰り返していたようだ。

その後、おれの引越しその他の事情で、5,6年疎遠になっていたが、死ぬ1月前ひょっこり来た時はごく普通の感じだった。(よかった。まだ生きていた。やめたんだな)とおもった。それが最後だった…




 リクライニングチェアに横たわり、サボっていた呼吸瞑想をやる気になる。体調はあいかわらずだ。


 息を細かく隙間なく意識して「入る入る入る」「止まる」「出る出る出る」「止まる」の繰り返し。
脳は絶え間ない自覚的意識の持続を嫌がって怠けたがり、たいして眠くないはずの身体に居眠りをさせて瞑想を妨害する。

眠気がなんとかおさまると、すかさず雑念が襲いかかってくる。
雑念はいちいち気づいて切るのではなく(おれはこのやり方はうまくいかない)強引に呼吸だけに集中することによって無視して相手にしない。呼吸は、強引に意識するので、自然ではなくなる。
何度やっても、どうしてもサティを入れる前と後で変ってしまう。実際、意識した対象が何の影響も受けないって法はない。(変って当たり前だ)とおもい「今はこれしかできないから、これでいい」と居直ってしまえば楽になる。
それは自然ななりゆきで、問題ないとおもう。



Kの死をおもい無常を実感して瞑想に入ったから、わりと集中できた。
ヴィパッサナーとは微妙に違う。


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(過去記事統合増補編集再録)

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