中年リーマンの壊落(快楽)人生

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私の平成史

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平成7年(1995年)

平成7年は私の人生でも最も記憶に残る年でした。

まずは、1月17日早朝の阪神・淡路大震災でしょう。

1月12日に友人3人と成田空港から中華航空で台北に遊びに行きました。この時は
帰国便の台北~成田がオーバーブッキングで現地で急遽台北~関空に変更になりました。

なにせ、初の関西空港でしたのでちょっとした喜びもありました。16日の午後に台北を
立って夕方に関空に到着しました。しかし、関空から新潟行きのANA機は新潟が吹雪で
空港に着陸出来なければ羽田に降りるという条件で関空を出発しました。

新潟上空は結構な吹雪でしたがなんとか着陸する事が出来て、到着後3人で市内の
居酒屋で少し食事をして帰って来ました。

その翌朝、疲れた体を仕事に行くために起きた所、テレビで報道されている大震災を
間の当たりにしました。

前日は夜の8時過ぎの便でしたので8時間程の時間差の出来事でした。地球的規模で
言わせてもらうとほんのタッチの差で難を逃れた事になりますが今から考えても幸運
だったのでしょう。

イメージ 1
       オアフ島のワイキキ海岸




3月は私の人生最大の出来事がありました。(壊落人生を参照下さい。)

この年の4月頃だったでしょうか。過去(現在も含んで)最高の対米ドルと円の交換
レートが$1に対して瞬間的に80円台に突入しました。

丁度5月のGW明けから社員旅行でハワイに行く事になっていまして、確か$1に
対して95円位だったと思います。今では考えられないレートでした。

ガソリンも当時は安かったですね。

その社員旅行のハワイですがいやー見事にぼられてしまいました。昼間は3日間ゴルフ
をしていたのですが夜ふとしたスナックに3人で飲みに行ったのでした。

最初は中年のママさんの相手で飲んでいたのですがその後アラスカから来たという女性
3人グループが店に来て意気投合してしまい相当遅くまで飲んで翌日にワイキキビーチ
で遊ぼうと話がまとまったようでした。

私はしこたま酔ってしまい会計は私が払ったのですが後で見ると$3,000の金額に
びっくりしてしまいました。その時は台湾の調子でNT$3.5円位の気でサインした
ようですがもう後の祭りでした。

そのアラスカの女も良く出来た話でワイキキビーチで落ち合い、昼間から営業していた
スナックに連れて行かれ、あげくはCHANELのバッグが欲しいと言われてようやく
目が覚めたというおそまつな出来事でありました。

たぶん最初のスナックのママに全て仕組まれた事でしょうが$3,000は痛かった。

平成6年(1994年)

前年からも少し兆候がありましたがバブル崩壊の影響が徐々に出始めて我々の商売の
箱物の物件が少なくなりました。

不景気になれば当然企業の設備投資が行われず影響は建築にも及んできました。

我々の商売は受注産業で暇な時に在庫を造っておくという事ができないためにもろに
影響してしまいます。

別名「請負業」ですが仕事がなくて競争が激化すれば「請け負け業」となってしまい
ます。

仕事が無いんですから当然価格競争になります。各業種の単価がどんどん下がったのは
この頃でしょうか。とにかくビックリする位の施工単価で仕事をしていました。

でも良くした物でなんとか遊ばずに仕事は続いていました。この年の4月から近隣の町
の駅前で6階建のマンション建設を担当しました。

1階が店舗で2階以上がほぼ単身者向けの1Kの間取りのマンションで外装がタイル貼り
ですが超少エネ設計の物件でした。

工事中には施主と色んなトラブルがありましたがなんとか竣工に間に合わせましたが
最後に支払い条件の違いとか、不渡りの手形を貰ったりとか相当難儀しましたが、
幸いな事に工事保証人を中に入れていましたのでなんとか決済は無事終わりました。

これも不景気の影響だったのでしょう。でも良い経験をさせてもらいました。でも、
こんな事は営業サイドの話なので我々現場サイドとしてははなはだ迷惑な事でした。

4月に名古屋空港での中華航空機の墜落には驚きました。

いつも100%使っている中華航空でしたのでなおさらでした。でも、不思議と
別の航空会社に乗り換えようという気にはなりませんでした。

私のモットーは「人間生まれた時に星を持って生まれて来ているのでその時点で一生が
決まっていてさからってもしょうがない。」ということです。

人生、一度は死ぬんですから流れにまかせて楽しんでいきたいと思います。

平成5年(1993年)

平成5年の思い出ではなんといっても一番はJリーグ開幕であり、10月のワールドカップ
アメリカ大会予選のドーハの悲劇でしょう。

5月15日の国立競技場での開幕セレモニーも感動しましたがその後のベルディー川崎VS
横浜マリノスの1戦は忘れられません。

ベルディーは今も大スターのカズを筆頭に闘将ラモスルイ 左サイドバックの名手 都波
センターバックの主将 柱谷等そうそうたるメンバーであり、対してマリノスはフリーキッ
クの名手の木村和司 点取り屋のFWラモン・ディアス 水沼 デフェンスの要の伊原 
GK日本代表の松永等あこがれのイレブンの激闘であった。

結果は2:1でマリノスの勝利であったが1stステージはジーコ率いる鹿島アントラーズ
が優勝し2ndステージはベィルデー川崎が優勝しました。

10月にはカタールのドーハでワールドカップアメリカ大会アジア最終予選が行われまし
た。

最終予選に勝ち残った6カ国がドーハでの集中開催に臨んだ。日本は最終戦を前に
2勝1敗1分と勝ち点5(その時は勝利2 引き分け1)同じ勝ち点で2位が得失点差
でサウジアラビアで3位が勝ち点4で韓国と上位2チームがワールドカップに出場権を
得る事になっていた。

最終戦は日本VSイラク  サウジアラビアVSイラン  韓国VS北朝鮮と 日本は
サウジアラビア 韓国のどちらかが引き分け以下なら日本は引き分け以上で初出場が
きまるという大変有利な位置にいた。

結果はサウジアラビア 韓国が勝利したのに対して日本はロスタイムに同点にされて
日本国民悲願の予選突破は遂にならなかった。

今でも思い出しますが私は1週間位仕事ができないくらい落ち込んでしまいました。

平成4年(1992年)

去年から引き続いてのホテル新築工事が6月末の工期で担当していました。

この現場が全く障害物のない大変に風の強い場所で、外壁がタイル貼りのために
足場の外側に養生シートを張りましたがたびたびの強風で相当難儀しました。

イメージ 1
     ゴルフ天国の台湾


丁度この現場と平行して前面道路の拡幅工事とそれに付随する川の橋の新設工事が
他のゼネコンの施工で行われておりまして確か3月末に竣工の運びになりました。

橋が竣工すると親子三代渡り初めをするらしくて、前日の午後からイベント屋が
来て神主のお払いのテントや来賓のテントなどを建てて準備万端で会場の設営が
終りました。

しかし、その夜に突然の嵐になってしまい、朝現場に行くと昨日設営した竣工会場
のテントがきれいさっぱりに風に飛ばされて無くなっていました。

本当にテントは風に弱いもので、私らも地鎮祭が行われる時は必ずテントで会場の
設営をしますが非常に気を使います。

さすがに式典をやらないわけにもいかずに、来賓の市長以下参列して結構風が強
かったのですが親子三代渡り初めもなんとか行ったようでした。

ホテル新築工事が無事工期内で終わり久し振りに10日間くらいの休みを取り仕事
仲間と台湾に行きましてこの時はゴルフ三昧で遊んできました。

台湾のゴルフ場もいろいろ行ってみました。最初は高い金を出して地元の旅行社を通
じて行きましたが慣れてくると予約もせずに直接ゴルフ場にタクシーで乗りつけても
100%プレーが出来ました。

友人とたまには違う所に行こうとタクシーをつかまえて行き先を告げたまでは良かった
のですが、その運ちゃん、どこをどう走っているのかいっこうに着く気配がありません。

そうこうするうちに着いた所が、なにか見慣れた景色の所で、なんといつも行っている
ゴルフ場に連れて行かれてしまいました。

これには我々もにが笑いでしぶしぶプレーはして来ましたがもちろんタクシー代は相当
値切りました。

台湾のゴルフ場での一番の思い出のコースはどこの場所か忘れましたが、ショートホール
120ヤード位しかないんですが50メートルだか70メートルの打ち下ろしのホールで
もちろんグリーンなんか見えません。

3回くらい行きましたが1回もオンした事がありませんでした。

その頃、勢いでミ●ノプロの結構高いアイアンを買いましたが今では宝の持ち腐れで
年に1回程度の付き合いゴルファーでは疲れに行くようなものです。

平成3年(1991年)

この年は前年にも増して民間工事が順調で、最初が春先の市街地ビル建設から始まり
大規模工場、11月始めからホテル建設と、全て設計施工の現場でした。

設計は外部の設計事務所に委託してましたのでなんとかなりましたが、お客との交渉
とか現場管理で結構大変な時期でした。

いずれの現場も工期が短く突貫につぐ突貫工事でした。一年が非常に短く感じられた
年でした。

そのおかげか、売り上げは私の現場で15億を超えて今では考えられないような仕事を
していました。

私もまだ若く(今でも若いつもりですが・・・笑)一番仕事の面白い時期でした。
もちろん協力してもらった同僚社員や業者の力が大きかった事は言うまでもありません。

それでも当時のパスポートを見ると5回程、出国 入国のスタンプが押してあります。

イメージ 1




この年に一番記憶に残っているのがフランスのルマン24時間耐久レースであのMADZA
のロータリー車のB787の優勝でしょうか。

当時はテレビ朝日で夜通しで中継していまして後半までメルセデスの独走でしたが
トラブルで遂にMADZA B787が首位にたってそのままゴールインと感動的な
シーンが画面に展開されました。

B787に書かれてあったスポンサー名のRENAUNの文字が忘れられません。

TOYOTAやNISSAN HONDAが未だに勝てないこのレースで勝てた事はいかに過酷な
レースかおわかり頂けるかと思います。

常にポルシェやメルセデス ジャガーのヨーロッパ勢の独壇場でしたので感動も大きかった。

ただ、最近は残念な事にルマン24時間レースは中継されませんし、以前NHK-BSで放送
してた、WRC世界ラリー選手権や鈴鹿8耐レースも中継が無くなって寂しい限りです。

フジテレビのF1よりもこちらのほうが面白かった。(F1ファンの方ごめんなさい)

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