中年リーマンの壊落(快楽)人生

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快楽人生

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2002年に以前のブルネイの女に登場したS君とバンコクに行った時の
お話です。

S君も以前にツアーガイドをしてましたので当然バンコクの名所は廻っており
今回は安旅行でアユタヤに行きませんかとの提案がありました。

アユタヤは過去大名旅行をしたと書きましたが、たぶん一人1万円位払った
と記憶しています。時は1993年です。

タイで一番といわれるオリエンタルホテルの船着場から船でアユタヤに向かい
食事はオリエンタルですから超一流です。アユタヤ観光の後、帰りは専用バス
でバンコクまで帰って来る工程でした。高いのは当然で当時は協力会社の社長
連中のツアーですからツアコンにおまかせでした。

イメージ 1
戦勝記念塔



予定としてはアユタヤに行く方法としては鉄道が一番安いのは判っていましたが
帰りを鉄道にして、行きはミニバスをインターネットで探しました。

あるネットでアユタヤの行き方というのを見つけて戦勝記念塔の近くからミニバ
スが出ているとの情報で探しました。

戦勝記念塔の先にあるバスターミナルの反対側に乗り場がありました。
料金と聞くと90BといわれTOYOTAのハイエースに乗り込みました。乗り合い
バスですから満員にならないと出発しません。

この時は人間より荷物の方が多く4人乗って荷物のせたら満員になりスタート
です。1時間半位でアユタヤに到着です。

当然目敏くソンテウが寄って来て売り込みに来ます。遺跡全部廻っていくらとか
結構な運ちゃんに囲まれました。そういうのは私よりS君の方がうまいのでおま
かせしておりました。

そんなに廻ってもしょうがないので4箇所S君がガイドブックで選んで300B
で交渉しました。

イメージ 2




観光時間2時間位でソンテウを降りて食事を川べりの食堂で食べてそれから駅に
向かいます。

アユタヤの駅に着いたのが2時位で切符を買うと一人15Bであまりに安いので
びっくりしました。

イメージ 3
ホームからのアユタヤ駅。みなさんお疲れモードです。



でもそれからが大変で定刻になっても列車が来ません。この日は相当に歩いて
疲れていましてホームで1時間位寝てしまいました。

列車に乗り込むと超満員でもちろんすわれません。結局バンコク中央駅まで立ち
っぱなしでへとへとで帰ってきました。

アユタヤ行きで使ったお金が合計で食事込みで350B程度でしたが慣れない安旅行
はするもんじゃないと感じたミニ旅行でした。

快楽人生(7)

パタヤの魅力は何ですか?って聞かれるといっぱいあってなんと答えれば良いの
か迷ってしまいます。

長年雪国生活を強いられて?来た私にとって海のある南国は憧れがありました。
過去、ハワイやサイパンなどの定番リゾート地は行って見ましたがもちろん環境
は最高でリゾート地としては最高でしょうが、なにか観光地というイメージしか
ありませんでした。

初めからパタヤに来たわけではなくて最初は団体でのバンコクツアーが始まりで
した。バンコクを拠点にしてアユタヤ、チェンマイ、チェンライと廻って見まし
たがもちろんどこも魅力的な観光地でした。

最初にパタヤに来たのはバンコクでのちょっとしたトラブルで嫌気がさして急に
翌日にパタヤのホテルを予約してバンコクのエカマイのバスターミナルから向か
いました。
イメージ 1
バンコクのエカマイバスターミナル。一番右側の窓口がパタヤ行きの発券窓口。その当時はパタヤまで110Bでした。



バスに揺られて約2時間でパタヤのバスターミナルに到着しました。ここから
ソンティウに乗ってビーチロードを走りsoi8の入口で降ろされました。
イメージ 2
ビーチロードsoi8の入口付近。Sun Beamホテルの看板が見える。付近は一面のバービア群です。



予約したホテルはsoi8の2ndロード側のサンビームホテルでけっこうでかいホテ
ルで団体向けのような所でした。

早速部屋に荷物を置くと海に行く事にして外に出ました。丁度夕方の5時過ぎで
その当時はまだ初めてのパタヤで、この近辺にこんなにもバービアがあるとは知
らずにびっくりしました。

そろそろ夕暮れもせまり、これからまさにフィーバーが始まる通りを歩いて海岸
に出ました。そこで自分の服装が浮いている事に気が付きました。いかにもおの
ぼりさんといったイデタチですぐに短パンとTシャツ サンダルを買ってホテル
の部屋に戻り着替えをしました。

その後パタヤでの初めての食事が以前紹介したビーチロード沿いのピンクレデー
でした。天気が良くて夕日が海に沈む光景が大変きれいでした。

昼と夜の風景ががらりと変わる様は、うわさには聞いていましたがそれは壮観で
夕食後にソンテイゥに乗ってビーチロードを走ってウオーキングストリートまで
の道のりのバービア群はある意味ショックでした。
    (以下次号)

快楽人生(5)

90年初めから始まった台湾詣は何人かのツアー仲間と出かけていました。
私の仕事の関係の業界人で台湾の火付け役は私なんですが仕事の合間に(現場の
段取りは抜群にOK)2〜3人位で3泊4日の工程を組んで行ってました。
95年以降はほとんどが一人旅で合計30数回の台湾入国記録がパスポートに残って
います。ひどい時は1ヶ月に3回と言う時もありました。

数行けば色んな事がありました。私は台湾の鉄道(火車)とか長距離バスに
乗るのが好きで暇潰しに台湾の田舎に良く出かけて行きました。

台湾の鉄道は南北に、台北〜高雄間の西部幹線と基隆〜台東間の東部幹線がメイン
になっており、中央部は険しい山脈に阻まれて東部と西部をつなぐ鉄路はありません。
高雄から台東までは92年になってようやく南廻線が開通しまして鉄路で台湾1周
する事が出来るようになりました。
そして今年1月に日本の新幹線技術を導入した台湾新幹線が台北〜高雄間で開通
しました。

長距離バスは台北からは台湾全土に路線があり、良く利用しました。
バスターミナルは台北駅の周辺に方面別に別れてありまして、料金が鉄路よりも
安く、行く先別に窓口がありますので切符が買い安かったのです。

過日、バスで東海岸の花蓮の近くにある温泉で有名な礁渓に行った時です。帰りは
鉄路で帰る事にして礁渓駅から基隆経由で台北まで乗ったんですが、なにやら各駅
で止まる事に新兵さんとおぼしき人が列車に乗って来ます。

丁度その時に現地の日本語の話せるおばあさんと同席でしたので話を聞いて見ると
台湾では19歳になると徴兵制度があり、今がその召集時期と教えられました。
日本では考えられませんが中国大陸と接している金門島などは緊張状態が続いていて
戒厳令が出ているとの事でした。
イメージ 1


台南駅に初めて行った時の事です。90年の2月と記憶してますが、駅は日本統治時代
に建設された今でもモダンな駅舎です。
その待合室で座っていた所、女子高校生とおぼしき2人組に話しかけられ、ノートを
出されてサインして欲しいと言われてしまいました。「リーベンレン(日本人?)」
とかなんとか言って照れながらペンも渡されました。

こっちもとまどってしまいました。後から考えると日本人に対しての憧れがあったので
しょうか。名前をもちろん漢字で書くと中国式の発音で読んでくれました。
「シェーシェー」と言って立ち去ったその女子学生の笑顔が可愛かったですね。

花蓮の奥に大理石で有名な観光地のタロコ渓谷に行った帰り道の出来事です。
乗り合いバスに乗り花蓮市に帰る途中の田舎道。両側は広い畑で道路は直線。道路脇には
南国特有のやしの木並木が続いています。
と、突然前方から大型トラックがセンターラインを超えて向かって来ました。
あっと言う間の出来事で前席のシートに頭を打って気付いて見るとバスは道路右側に停車。
トラックはと見ると畑の中に突っ込んでいました。

なんとか衝突は免れたんですが乗客の皆さんボーゼンとしています。幸いだれもケガが無く
バスの運転手がトラックの運転手に文句を言ってその場を立ち去りました。

今考えるとこれが今までの海外旅行で一番危険に遭遇した出来事でした。
      (以下次号)

体調不良につき、しばらくパチ屋通いは自粛します。

快楽人生(4)

本日(3/21)祭日ですがあいにく交代での出勤日。こんな日に限って天気が良いんですね。
まー現場の為には天気良いのはうれしいですが。
最近負けが込んでいるんでパチも休日という事で稼動ありません。

ナビスコカップ アルビVS鹿島 3:1で勝利。おまけに矢野君が日本代表のFWに
選ばれた。がんばってね!!!


快楽人生(4)

91年の2月に初めてのタイ旅行はこれも現場の打ち上げで計画しました。
今から考えればバブル後半と言われる時代でしたが、当時はまだ景気も良く「ツアー行かない」
との誘いをかければ軽く15人以上が喜んで参加しました。(別に元請の強制ではありません)

このツアーは21人という大人数でN旅行で計画してもらったんですがかなり添乗員は美味しい
思いをした事でしょう。
バンコクのホテルがスクンビットのアンバサダーのメインウイングの宿泊でした。
行く前からタイはエイズとの情報がたくさん流れており、現地へ着くまでは皆さんおとなしかった
んですが、まあその現地添乗員も商売ですから。見ればそんな事忘れてしまいます。

現地ツアーでオリエンタルバンコクホテルの埠頭から遊覧船でアユタヤに行った時のことです。
さすがオリエンタルホテルの主催ですから船の中の昼食の美味しかったこと、また浴びるほど
飲んだビール、ワインの数が相当数に上り添乗員のおどろいた顔が忘れられません。
土建屋の集まりですので、事遊びに関しては豪快かつ金に糸目は付けないという添乗員ホクホク
のツアーだったのです。

2回目のタイ旅行は92年の9月で、私の担当した工場の竣工した後で、そこの社長に誘われ
工事関係者4人の計6人での旅でした。
この工場に出入していた大手企業の担当者(以後Aさん)がバンコクに赴任していまして、彼を
訪ねる旅行でした。

バンコクの宿泊は前と同じアンバサダーで、この時に始めてAさんに連れられてタニヤに行きました。
結構広い通りの両側に日本語の看板が溢れて、まるで日本の繁華街のようです。
飲みながらAさんの苦労話を聞かされました。こちらでの仕事はほとんどが本社及び日本の各工場
からの出張者の接待で結構気苦労が多いようでした。自分専用の店が10軒程有り、重役等を連れて
行く店とか、使い分けていたようです。

Aさんにはメイド2人と運転手1人が付いて世話してくれるので生活は非常に楽で部屋も広く日本
のウサギの寝床とはえらい違うと言っていました。もちろん単身赴任です。
久し振りのほとんどプライベートに近い飲み会でAさんも発散していました。日本からの出張者は
おおむね仕事にかこつけた遊び目的で来る人がほとんどだったみたいでした。

行ったクラブは女性が30人位でしょうか。選んで下さいと言われて我々のテーブルをぐるぐる巻
に並んだ時は圧倒されてしまいました。ぐずぐずしているうちに「日本語の話せる子がいいですね」
ってたぶんチーママに言われ選んでもらいました。

その子とは3日間一緒にいましたが昼は市内観光、タイマッサージ等連れていってもらいました。
当時は私も若かったし、(今も精神年齢は30代です)暑い中でも王宮とか寺院なんかを巡っても
元気一杯で本当に楽しかったですね。

その子は日本語も結構話すし意思の疎通は充分でした。まあでも私の立場をAさんからか、又は店の
ママから説明されていたであろう事は想像されますのでそのために親切だったのかもしれませんが。

確か、暁の寺院にチャオプラヤ川をボートに乗って行った時の事ですが、船着場に下りて歩いていると
日本語を話すオッチャンが近ずいて来て「社長 ローレックス安いあるよ」みたいな調子で売り込んで
きました。私は全く買う気はありませんでしたが友人が話しに乗り、相当値切って金無垢の時計を
買ったまでは良かったんですが1時間もしないうちに動かなくなってしまったという笑えない話も
ありました。今もそうですがブランドのコピー商品はすごい氾濫してました。

本当にAさんにはお世話になりました。今では考えられない良き時代だったんでしょうね。
でも、この時点ではまだ台湾詣が始まったばかりで今のようにタイに来る事は全く考えも及びませ
んでした。特に飛行機で7時間も乗るのが結構きつかった。でもこの当時はまだ機内でタバコが
吸えたのは救いでしたが。
            (以下次号)

快楽人生(3)

その台湾ツアーですが、成田から日本アジア航空で高雄にとび、その日は高雄1泊の予定で
高雄市内観光含まれておりました。2日目は高雄から台南までバスで移動して台南観光後
列車で台北まで乗り、3日目が台北市内観光というシケジュールでした。
入国後、ツアーバスに乗って行った先はスナックで、驚いたのは併設されている日本人
専用の女性の居る所で、今で言うタイの雛壇でした。

さらに驚いたのはその女性の数。総勢100人以上は居たと記憶しています。
本当にそれは壮観でした。その店のママいわく、「いい子がいなかったらまだ居ますよ」
と申します。これだけ居れば皆さん大満足でそれぞれが選び決定です。

しかしこの雛壇も時代が変わり、日本での売春ツアーバッシングもあり私の記憶では
92年〜93年頃にはほとんど消滅してしまいました。
経済の発展は当然貧困を無くしますので、自然の成り行きですが。今の台北はもはや
東京となんら変わりない大都会です。

この最初の台湾旅行で一番印象に残ったのが台南から台北まで自強号(当時台湾で1番
早い列車)と呼ばれる列車に乗ったことです。丁度中国正月の終盤で大変混む時期です。
列車にのってしばらくたってから、なにやら現地添乗員がだれかと言い争いを始めました。
話の内容はこの席は我々の席だと抗議してきたのでした。どうやら2重ブッキングがあった
みたいで添乗員奮闘の末一件落着となりましたが日本で例えれば新幹線の指定席が2枚同じ
席で売られている事などまずありませんから。
先日、台湾新幹線が日本の技術協力で開通しましたが、どうやら今も2重発券があるみたい
で、その模様がニュースになっていました。そういう所は日本にもっと見習ってもらいたい
所ですね。

その列車の中で始めて現地の方からサトウキビをもらい食べてみました。(かじった)
それは、若い女の子も含めてサトウキビをおやつ代わりに列車に持ち込んでいました。
すごいカルチャーショックでした。日本なら当然スナック菓子とかジュース等になるんで
しょうが、すごい素朴でしかし豊かな笑顔で我々に接してくれた態度にえらく感銘を受け
ました。

車中で遊んだ子供の生き生きとした仕草、そのお母さんやおばあさんの我々に対する接し方
など、こういう旅行でも現地の人とのふれあいは大切と感じました。
サトウキビは本当に素朴な味で今でも忘れられません。その後、台北でも同じようなパターン
で3泊4日のツアーを終えました。

このツアーで以後30数回の訪台狂いに発展いたしました。
       (以下次号)

***3/20のパチンコの成果***
行ったお店 : いつものパチ屋  等価4円 無制限
打った機種 : スーパー海物語 JAWS 
バトル報告 : なにも言う事ありません。
        いつまで続く負け地獄。
        またまた懲りずにジョーズ打っちゃいました。
投資金額 : 30,000円
回収金額 :      0円
収支金額 : −30,000円

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