|
尾張横須賀まつりは、愛知県東海市横須賀町の氏神である愛宕神社の例祭で、江戸時代から続く山車まつりです。
江戸中期までは「愛宕祭礼鳥居先より二町間傘鉾二十本木綿幟二十本提灯四十右三品置・・・(「尾陽村々祭礼集 宝暦5年(1755)」とあるように、傘鉾とよばれる大八車に傘を飾り付けたような小型の車と幟を飾り立てていたようですが、化政文化といわれる西暦1800年前後より現在の順次山車が建造され、現在に至っています。
ここでは、「山車が○○年に建造された」ことは追求せず、横須賀御殿廃止後の江戸中期以降の町の歴史を振り返りながら横須賀まつりが現在の形へと至ったのかを検証していきます。
|
|
この時代をみてみると、現在の日本の状況に当てはまってはいないでしょうか。
江戸時代の農業中心の経済活動から、明治の開国以降、西洋に追いつけ追い越せで、工業を中心とした経済活動で約150年間にかけて経済の成長・拡大をはかってきました。
昭和20年の敗戦でいったん停止したものの、戦後は工業製品の輸出国としてさらに大きく成長し世界の経済大国に仲間入りすることができましたが、1980年代のバブル経済の崩壊から始まり国内の消費低迷や中国など他のアジア各国の台頭により、日本はこれまでの日本で製造した優れた製品を海外で売るというこれまで成長してきた形が行き詰ってしまい、新たな形を見いだせないでいます。
現在の日本は江戸時代初期のように同じように時代の岐路に立っていると考えますが、現状では世界の資本主義に飲み込まれて次から次へと新たな市場を求めて世界に進出していっていますが、いつまで市場をもとめて世界をさまようのでしょうか。
過去も武断政治の時代から文治政治の時代になるまで、過渡期の時代が90年程ありました。
江戸時代と違い世界各国との関係もあることから簡単に答えを出すことはできませんが、我々は歴史から学び、早く将来の日本のあるべき姿をどのようにするかを考える時が来ています。
参考文献
「逆説の日本史 (井沢元彦 小学館)」
「江戸の砲術師たち(宇田川武久 平凡社)」
「黄門さまと犬公方(山室恭子 文藝春秋)
「鎖国と海禁の時代(山本博文 校倉書房)」
「国姓爺(石原道博 吉川弘文館)」
「元禄人間模様(竹内誠 角川選書)」
「明朝末帝の日本亡命(徐堯輝・能篠彬 千歳書院)」
「Wikipedia」
「知多郡史」
「新修名古屋市史」
「徳川実記」
「鸚鵡籠中記」
「尾張藩世記」
|
|
しかし、この戦国時代の常識では国内はいつまでたっても平和が訪れないことから、幕府はこれまで戦国時代の約100年間、武士は軍人として力で抑えてきた武断政治から、島原の乱をはじめとする様々な要因によって確立された鎖国政策や、徳川綱吉の生類憐みの令による力ずくで文治政治へ移行させ、刀からソロバンへと持ち替え武士の官僚化に成功したことにより、日本人の常識が一変した歴史のターニングポイントとなりました。
世界に類を見ない平和状態が260年余り続く日本国内の内需だけによるゼロ成長の経済活動に移ったのが、ちょうど徳川光友の藩主だった時代に当たります。
光友の政治を見ると、当時の為政者の共通の課題であった失業軍人の雇用問題を、寺社の建設や横須賀御殿における周辺地域の整備などの公共事業を行うことにより雇用を創出し、しかも彼らを予備役扱いとし本来あるべき武士の姿としてのプライドを失わせることなく解決しようとしました。
ですが、寺社の建設だけでは藩の安寧を祈ることは出来ます。また、公共事業では一時的な雇用などを生むことは出来ますが、継続的に何かを生み出すという類のものではありません。その結果、尾張藩は光友の時代には財政難に陥ることになり、徳川宗春が藩主の時に財政が好転するチャンスはありましたが、生かすことはできず藩の経営は慢性的な財政難を立て直すことは出来ませんでした。
幕府も文治政治という新しい世の中の仕組みを作ったのにもかかわらず、幕府も各藩の多くは儒教の道徳的観点から経済の仕組みを農業重視の米本位経済から貨幣経済へと移行できませんでしたが、貿易など商業を重視した薩摩などの一部の藩は幕末までに大きな力を蓄え倒幕へと進むことになります。
参考文献
「逆説の日本史 (井沢元彦 小学館)」
「江戸の砲術師たち(宇田川武久 平凡社)」
「黄門さまと犬公方(山室恭子 文藝春秋)
「鎖国と海禁の時代(山本博文 校倉書房)」
「国姓爺(石原道博 吉川弘文館)」
「元禄人間模様(竹内誠 角川選書)」
「明朝末帝の日本亡命(徐堯輝・能篠彬 千歳書院)」
「Wikipedia」
「知多郡史」
「新修名古屋市史」
「徳川実記」
「鸚鵡籠中記」
「尾張藩世記」
|
|
広くとらえれば、戦国時代は応仁の乱からはじまり、以前は安土桃山時代、最近は織豊時代といわれる織田信長から豊臣秀吉の時代で戦国軍事拡大路線による経済バブルもピークを迎えましたが、豊臣秀吉のおこなった唐入り(職業軍人の雇用と豊臣子飼いの大名への領地拡大を目的とした中国大陸への出兵)の失敗により徳川家康の時代以降、幕府の政策は軍事縮小路線をとることとなりますが、世間は取り潰された豊臣系大名の浪人達を筆頭に「夢よもう一度」とばかりに、「戦国時代と同様の経済の仕組み(戦争による軍人や兵隊の雇用、鉄砲・甲冑などの生産する職人の仕事)」で経済成長を望んでいました。
参考文献
「逆説の日本史 (井沢元彦 小学館)」
「江戸の砲術師たち(宇田川武久 平凡社)」
「黄門さまと犬公方(山室恭子 文藝春秋)
「鎖国と海禁の時代(山本博文 校倉書房)」
「国姓爺(石原道博 吉川弘文館)」
「元禄人間模様(竹内誠 角川選書)」
「明朝末帝の日本亡命(徐堯輝・能篠彬 千歳書院)」
「Wikipedia」
「知多郡史」
「新修名古屋市史」
「徳川実記」
「鸚鵡籠中記」
「尾張藩世記」
|
|
横須賀御殿(という名の尾張藩の海軍基地)は徳川光友の政治理念の結集といっていいもので、当時の大きな課題であった失業者対策と、太平の世の中へと変わっていく中での武士の官僚化、光友から見れば「武士の軟弱化」の阻止、などの問題解決を目指したもの、つまり、これまでの戦国時代からの常識・固定概念の延長線上で諸問題を解決しようとしましたが、5代将軍徳川綱吉の登場によりこれまでの常識を一変させる「生類憐みの令」の発布など、力づくでの文治主義への変換により、光友の理念も過去のものとなってしまいました。
この結果、江戸時代は世界に類を見ない260年余り続く平和な時代の要因となりました。
参考文献
「逆説の日本史 (井沢元彦 小学館)」
「江戸の砲術師たち(宇田川武久 平凡社)」
「黄門さまと犬公方(山室恭子 文藝春秋)
「鎖国と海禁の時代(山本博文 校倉書房)」
「国姓爺(石原道博 吉川弘文館)」
「元禄人間模様(竹内誠 角川選書)」
「明朝末帝の日本亡命(徐堯輝・能篠彬 千歳書院)」
「Wikipedia」
「知多郡史」
「新修名古屋市史」
「徳川実記」
「鸚鵡籠中記」
「尾張藩世記」
|
[ すべて表示 ]







