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弾圧が繰り返されている。狙いをつけて特定の個人を、団体を捕獲する。
この現実に在って為も政者はほくそえんでいる。地殻がすでに動き出しているにも関わらず。この動きをもはや止めることは出来ない。21世紀まで持ち込まれてしまった権力者の虐殺と圧制の長い歴史。幾万の、いや幾億、幾千億の血が流されてきたことか!それにもかかわらず「先進国」は性懲りも無く欲を守ることに精一杯の状況を大衆として作りだし、その為政者やハイエナどもは高見の見物よろしく狂った微笑を浮かべている。
臨界点はとうに超えている。はっきりと見えている。奴らのやり口が、権力と一体になったメディアが司法がどれだけ巧妙な「単語」を難解で理解困難な「新語」を使って私たちを落とし込めようとしても、もはや化けの皮が剥がれてしまっている。後戻りなどない。
このような世界にあり、私たちはさらに闘志を硬くし前進しなければならない。消費社会が腐敗し物質のみが蔓延する日本社会にあって、闘うことは社会生活を営むしかない人間の必須であり前提である。己が持つ能力に応じて出来る限りの「速度」を持って闘いの連帯を広げていかなければならない。なぜなら私たちが夕暮れ酒の一杯で年端も行かぬミニスカートの「子ども」たちに、死ぬまで笑っていれば式の日本新興宗教馬鹿笑いの吉本汚染文化に洗脳されているうちに、いま現在もイラクやスーダンそしてチェチェン、アフガニスタンの地でおびただしい血が流れつづけている。いやより多くの戦争が、虐殺がこの世界には存在している。そしてその責任の大部分を物質的先進国が負っていることを自覚しなければならない。戦後ひと時もアメリカ占領軍の撤退を成し遂げず、日米同盟をよりつよく補強する為に数々の悪法を通過させ、地理的に我が日本が東アジアに存在するという当り前さ加減に気づかぬ我々の歴史認識の甘さと傲慢さを、国民総生産とは釣り合わない国民全体の世界動向への無知さ加減が助長するこの国の犯罪者ぶりを暴き出し総括しなおさなければならない。なぜならわたし達は世界を覆い尽くすくブランドを、トヨタをキャノンを生み出してしまったのだから。アメリカ戦闘機やゲーム感覚としてしか実感を持つ事が出来なくなった戦闘機コクピットのディスプレイ、ばら撒かれるクライスター爆弾、そして殺戮の為、人智を超えた狂気の確さを保つ為に付けられた誘導装置。一体その正確さと性能を保つ為にどれだけのメイド イン ジャパンが使われていることかを認識しなけらばならない。
国賊どもは「愛国」を語りながら他国のみならず自国の国民をも借金まみれに落とし入れ命を奪い、日本に生まれていなければその才能を世界に向けて羽ばたくことの出来た年いかぬ子供たちの命を合わせ計100人を超える人々を「自殺」という名で殺戮し続けている。安部を始め自民党の面々と経団連の人々は言葉の正しい意味において「国賊」であり「売国奴」である。金の為なら平気で自国民の命をアメリカに捧げ続ける。 昨今、「護憲」、「改憲」を問わず憲法9条が頻繁に語られる。しかしここまでの暴政と退廃を許容してきたの我々であることの認識にまずは立たなければいけない。なぜならこの国が近代法治国家であるならば、朝鮮戦争期に「自衛隊」を設立した時点ですでに違憲なのだから。それを許してしまった時点ですでに現在まで延々と繰り返し拡大されてきた「違憲」状態が始まったのだ。法に解釈など許してはならない。時代や個々人の変節に対して出来るだけ解釈を排除するのが法律だからだ。でなければ法律の意味や意義が存在しない。その国が近代国家に値するか否かの基準はその解釈を許さぬ法律のベクトルを私たちに向けるのではなく、力を行使する為政者に向けているかの如何により決まってくる。それが最上位法規としての憲法の存在だ。憲法をその国の法治の最上の法律として為政者の変節や圧制に制限を加えていく、そして下部や枝葉の法律は違憲性を常に問われなければ存在してはならない。でばければ近代国家としての憲法を頂点とした法治ピラミッドが崩壊してしまうからだ。
この視点から日本を見ていくならば、明らかにこの国の法律の機能停止と近代国家の名に値しない圧制国家であることの姿が見えてくるであろう。なぜなら憲法が「解釈」論に堕落しているし、私たちに言わせれば、憲法以下の二次法のほぼ100パーセントが「違憲」である。いちいち法令を明記することは控えさせていただくが、手短に六法全書を手に取り、自分の興味に沿う法律を憲法と照らし合わせ読み進めて欲しい。とっつきにくい日本語の法律のその外郭をどうにか捕まえたならば、下部や横に張り巡らされた改正や条例まで丹念に拾い上げていって欲しい。するとわたし達が言った我が国の100パーセントに近い法律のことごとくが違憲であるとの言葉が真であることに気づくであろう。
やや遠まわしな言い方になってしまったが、そもそも優しく読み解けば小学生だって理解の出来る憲法と現実の日本政治とを比較すればすべての施策が違憲であり、逆立ちしてしまっていると言い換えても同じ事である。そして、この現実の現場が現在の司法であり、警察であり検察の姿なのだ。警察による逮捕に対して意義申し立てが出来ない。現行犯としてかこつけば狙いを定めたどの個人とて容易に逮捕することが出来てしまう。礼状逮捕の場合、逮捕礼状を出す当の裁判所が警察の言い分そのままに礼状を発行してしまう。勾留延長には逃亡や証拠隠滅などの条件が確立していながらほぼ100パーセント、警察と検察の言い分を採用し10日間の勾留が決定される現実。勾留開示請求の公判では被疑者側の書面にさえたとえ5分たりとも眼を通していない裁判長これまたほぼ100パーセント。最大23日の勾留の後、起訴されてしまえばほぼ100パーセントの有罪率。数年前の重罰化により延長された刑期。小泉以降、とくに安部に代わり乱発される死刑執行は戦後最大を更新しし続けている。冤罪事件として長期勾留の末の無罪判決を持って思い起こされる事件がところどころ存在するが、これまでの事実の列挙で数多くの声なき声の冤罪を感じ取れない人がそれでも存在するならばそれは人智と人道を超えた狂気である。もし、完璧なほどの政界、司法、検察、警察の癒着構造にことばの簡単でかつ正しき意味で「ファシズム」を感じ取れないならば、これまたよほど漂白され洗脳されたひとつの重罪としての「狂気」である。
先日の7.1にわたし達は反撃の烽火を確かに上げるべく「ええ加減にせえ!警察、検察、裁判所」全関西集会を持った。そこで確かなる反撃の為の硬い「連帯」の手ごたえを持つ事ができた。
今回は実際にメディアでは決して取り上げられることの無い冤罪の果て長期勾留者たちの姿とそれに屈せずに自己の生存と尊厳を掛けた闘いの声を届けたいと思う。そして嘘偽りのない現在の警察、検察から司法まで一体となった事実の姿を。
だからと云って我々は悲観からはるかに遠い。資本主義とそれに追随する権力者、利欲者どもの限界と臨界点は確かな輪郭を持って見えている。我々は決して負けはしない。何故ならありとあらゆる意味で物の理は我々にあるからだ。我々は新たなる若者たちの参加を快く待ち続ける。より硬い連帯を我々とのことばに築き、我々とのことばに突き抜ける喜びを感じ取る為に。
阪口 エキン
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