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さて、私(いちのせ)の個人的独白の続きです。 今週の『週刊金曜日』(7月27日号)に《2007参院選─なぜ距離が縮まらない?「国会劇場」と「私たちの日常」》という特集が組まれていた。その中で曽我部恵一というミュージシャンが「実感する無力というリアリティ『戦争反対』とは歌えない」という談話を寄せていた。以下、引用する。 ソロになって初めて出したシングルの『ギター』という曲で、「戦争にはちょっと反対さ」と歌ったんですね。ジョン・レノンが歌っていた時代と違って、今は「戦争反対」って歌っても、もうどこにも何にも向いていかないっていうことを、自分たちがわかっちゃってる。60年代、70年代初期の若者たちがデモすることに可能性があった時代とは違うし。戦争がビジネスとして成立している以上、僕たちが「戦争反対」と言うことがものすごく不毛なことというか…。ホントの問題の中には切り込んでいけないような感じがして。でも、戦争には反対だし。そんな、自分のものすごい無力感も含めて歌ったんだけど、バッシングされましたね。「『ちょっと』とは何事だ」って。 (『週刊金曜日』2007年7月27日号、12ページ) これ読んで、「ああ、そうそう」と感じた。何もかもがガンジガラメにされている状況。このままでいいわけはない。でも声をあげても何かにかすめ取られてしまう。どうしたらいいのだろう。 ●生きさせろ?─そうだ、生きさせろ!雨宮処凛の著書に『生きさせろ!〜難民化する若者たち』(太田出版)という本があって話題を呼んでいる。この「生きさせろ!」の叫びこそ、今の私たちの中にある無力感やニヒルさに反逆するものなのかもしれない。「選挙に行きましょう」と呼びかける自分の頭の中に「選挙なんて、腐った政治に免罪符を与えるだけの、単なるセレモニーに過ぎない」なぁんて言葉が浮かんだりする。これはアナキズムの主張だけれど、今の政治を見ていたら、そんな気分になるのも無理はない。 ●私たちの政治的表現は選挙だけじゃないはずそんなことを思いながら、ネットをウロウロしていたら、「自由のための『不定期便』」というブログの1ページに行き当たった。その中に「投票しなければ、《政治》に参加できないなんて、強制された錯誤に過ぎない。政治的表現の方法はもっと豊かだ」という1文を発見した。 選挙そのものへのスタンスの違いはともかく、選挙だけがすべてじゃない、もっともっと私たちの生活は多様で、永田町の貧弱な論理など問題にならないほど豊かなのだ。 私たちがそれぞれの持ち場で、しっかりと生きることで、参院選後も今の政治に「No!」と言い続けていきたい。そういったことを前提に、参院選で護憲候補への1票を投じたいと思う。 (つたない文を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました)
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