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僕の趣味を書き綴ります。
土方歳三の命日が5月11日であることから、毎年日野ではこの時期に「新選組まつり」が開催されている。
その新選組まつりを観に日野へ出かけた。

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新選組まつりでは「新選組パレード」が行われる。
日野駅の近くで、パレードの到着を待った。
すぐにパレードはやって来た。

先頭は保育園児による可愛い新選組。

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小・中学生による少年剣士に混じって、ポニー隊。

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やがて新選組本隊がやって来た。

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先頭は大坪冬彦・日野市長が扮する佐藤彦五郎と春日隊。

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佐藤彦五郎は土方歳三の義兄で、多摩地域の指導者。
明治維新後には初代南多摩郡長に就任している。
新選組を支援した人物であり、戊辰戦争の際には春日隊を率いて戦った。

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松平容保は馬に乗っている。
容保に扮するのは子孫の松平保久氏だという。
そして、白虎隊がそれに続く。

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馬に乗った新選組副局長の土方歳三。
今年のミスター土方歳三は、なんと女性!

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続く新選組局長の近藤勇もやはり女性。
公募で選ばれた新選組隊士は女性が圧倒的に多かった。

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沖田総司率いる一番隊。

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各隊は立ち止まって勝鬨を挙げるのだが、そのやり方が隊ごとに違っているので面白い。

永倉新八率いる二番隊。

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斉藤一率いる三番隊。

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松原忠司率いる四番隊は多摩信用金庫の社員一同。

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武田観柳斎率いる五番隊は日野自動車の社員一同。
勝鬨をあげると思いきや、木槌を取り出し「♪とんとんとんとん日野の2トン…」とやり始めた。

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六番隊隊長・井上源三郎は地元日野の出身。
すぐ近くに生家があり、井上源三郎資料館となっている。
刀を抜いたかと思ったらシャボン玉を飛ばしていた。

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谷三十郎率いる七番隊。

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藤堂平助率いる八番隊。

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鈴木三樹三郎率いる九番隊は富士電機の社員。

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原田佐之助率いる十番隊。

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新選組隊士は以上だが、やはり女性が扮する隊士よりも、
新選組と同世代の若い男性が扮した隊士の方がしっくりくるという印象である。


続いて「新選組と出会った人々」として、榎本武揚、勝海舟から坂本龍馬、西郷隆盛と呉越同舟で維新の英傑が並ぶ。
中には新選組から粛清された参謀・伊東甲子太郎や、副局長・山南敬助の姿も。

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近藤勇の妻・つね、薬を売っている日野在住時の若き日の土方歳三、
「八重の桜」の山本八重もいる。

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続いて近藤勇の流派・天然理心流の末裔である市谷試衛館だが…。
参加しているのはたった1名。

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ということで観客を巻き込んでの勝鬨。

「西洋流火術鉄砲隊保存会」は太鼓とバグパイプの演奏に続いて鉄砲を担いで行進。

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中野竹子率いる娘子隊に扮するのは実践女子大学長刀部。

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続く「会津新選組同好会」は、新選組隊士が敵と切り結ぶ。

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先程の娘子隊が加勢するという展開。

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「新選組茨城玉造隊」は、水戸藩出身の新選組局長・芹沢鴨が登場する。
粛清された人物なのであまりこういうところには取り上げられない人物だが、地元では人気があるのか?

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敵に取り囲まれて危機一髪、とそこに沖田総司が助けに駆けつける。

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国際交流隊は外国人たち。

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「台湾新選組」は台湾人旅行者だというが、まさかこのパレードに参加するために来日したのだろうか?

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農民達がやってきたと思ったら、JAによる「しんせん野菜隊」。

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最後は町人風のいでたちの地元の仲町自治会であった。

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実に見ごたえのあるパレードだった。
どのグループもかなり考え込まれたものであった。
出店もいろいろ出ていたが、豊田ビールというのが気になった。

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黒ビールでなかなか美味しかった。


日野には新選組とゆかりのある八坂神社や、

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佐藤彦五郎の屋敷跡でもある日野宿本陣跡など、史跡もいろいろあるのだか、
この日はどこも混んでいた。
別の機会に改めて来よう。

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それにしても、この新選組まつりは楽しいイベントだった。
これからはぜひ毎年行きたいと思う。

昨年2018年は明治150年の節目の年であった。
今年2019年は戊辰戦争終結から150年ということになる。
従って新選組の副局長・土方歳三が亡くなってから150年ということになる。
日野の万願寺に土方歳三ゆかりの地を訪ねた。

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まずは土方歳三資料館へ。

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建物は新しくなっているが、ここは土方歳三の生家。

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土方歳三の銅像がある。

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入り口の梁に当時の柱が使われているとのこと。

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土方歳三は独身のまま34歳で亡くなったが、その兄の子孫が現存している。
個人経営のため、普段は第1・3日曜日しかオープンしていないのだが、ゴールデンウィーク中は毎日開いている。
展示室には土方家の伝薬である石田散薬に関する史料や、歳三が使った刀などの武器が展示されている。

庭には土方歳三手植えの矢竹。

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真言宗の石田寺。

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ここは土方家の菩提寺である。

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土方歳三の顕彰碑。

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土方家の墓所。

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もちろん歳三の墓もある。

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石田寺すぐ近くの「とうかん森」。

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ここは土方家が祀ってきた場所だそうである。
今は2本のカヤの木が生えているだけだが、かつては森だったそうである。

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最後に高幡不動尊へ。

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土方歳三像と、近藤勇・土方歳三顕彰碑が建っている。

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土方歳三は故郷日野では未だに多くの人々から敬愛を受けていることがよくわかった。
他にも日野駅の方には新選組関連の史跡や資料館があるようなので、また日を改めてそれらも訪ねてみたい。

心の色〜寺社めぐり〜

令和最初の寺社仏閣めぐりは谷保天満宮だった。
谷保天満宮は湯島天神、亀戸天神と並ぶ関東三大天神とされているらしい。

谷保天満宮はJR谷保駅の近くにあるが、駅名は「やほ」と読むのに神社名は「やぼ」と濁る。
なんでも正しくは「やぼ」だったのが、駅名をつける際に間違えてしまったのだそうだ。

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入り口には御影石の座牛がいる。

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さらにもう一体、青銅製の座牛も。

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天満宮に座牛があるのは、天満宮に祀られている菅原道真が亡くなった際に遺体を乗せた牛車の牛が動かなくなり、その地に遺体を埋葬したという故事に基づいている。

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谷保天満宮を建立したのは道真の三男・菅原道武。
父が大宰府に流された際に彼もこの地に流され、父の死後に神社を建立したとのことである。

谷保天満宮の境内には鶏が放し飼いになっている。

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木には鈴生りの鶏。

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ちなみに、ここで令和最所の御朱印を頂いた。

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境内にある梅園へ。
残念ながらとっくに花の時期は終わっている。

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山口瞳の文学碑が建つ。

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駅前の看板も学問の神様らしく鉛筆になっていた。

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越谷にある久伊豆神社にも行った。

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こちらは藤棚があった。
花の方は多少、盛りを過ぎていたのだが、それでも見応えがあった。
満開の際はさぞかし見事であったろう。

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拝殿に参拝。
祭神は大国主命。
久伊豆神社は「ひさいず」と読むが、「くいず」とも読めることから、最近はクイズの神様としての御利益もあるらしい。

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本殿の裏には天岩戸を描いた絵が飾られている。

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「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」。
第二次世界大戦中、パラオ共和国コロール島に建立された「南洋神社」を偲ぶもの。

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神池。

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越谷吾山句碑。
吾山は越谷生まれの言語学者。
方言学の祖と言われる。

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祖霊社。

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大きな灯篭があった。

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北越谷駅の近くにある香取神社。

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縁結びの御神木がある。

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夜、府中にある大国魂神社を通りがかったところ、「くらやみ祭」をやっていた。

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かつては町の灯りを消して行ったことからこの名がついたという。

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山車は見られなかったが、縁日も出て盛り上がっていた。

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令和もあちこちの寺社仏閣を巡って歩きたいと思う。

初の10連休となった今年のゴールデンウィーク。
どこにも出かけないとなると、とにかく長い。
そこで近場の寺社仏閣を歩いて回ることにした。

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永福町にある大宮八幡宮。
ここは「東京のへそ」とも呼ばれているのは、東京の重心に当たるからだとか。

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前九年の役の後、源頼義によって創建されたとされる。
その後、後三年の役の後にその子の源義家もここを訪れ、松の木を植えたという。

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ここは「小さいおじさん」が目撃されることで知られているが、僕は何度もここを訪れているのだが、あいにく一度も見ていない。

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境内の脇にこんなものがあった。
「幸福撫でがえる石」。

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これがどうやらカエルのようだ。

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他にも色々とカエルがいらっしゃる。

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カエルといえば、麻布十番の十番稲荷神社。

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入り口の右手にかえる石がある。

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江戸時代に火事があった際、池のカエルが水を吹き掛けて火を消したことに由来するという。

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また、左手には宝船が。
ここは港七福神めぐりの1つであるという。
この宝船を含めるため8つの寺院があるそうだ。

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ここで頂いた御朱印が、平成最後のものとなった。

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新しく即位した天皇の「即位後朝見の儀」をテレビの中継で見た。
前回の平成になった時僕は中学2年生だったのだが、この儀式の事は正直あまり覚えていない。
高校生ぐらいまでの僕は、どちらかというと天皇制に反対だった。
民主主義の世の中にもそぐわないと思っていた。
ところが大学に入って日本文学を専攻すると、その背景に天皇が存在することを強く感じ、
いわゆる“伝統”や“文化遺産”としての天皇の存在は受け入れられるようになった。
ある人が言っていた、
「天皇はおへそみたいなものだ。
無くても困らないけど、無いと寂しい。」
僕もまさしくそのように思っている。

だから、皇室の今後も含めて見守っていきたい。

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「即位後朝見の儀」では、新しく天皇になった徳仁親王と雅子妃が中央に立ち、その両側に皇室の面々が並んでいた。
その数は14人。
譲位した前天皇(上皇)と皇后(上皇后)、未成年の愛子内親王と悠仁親王はその場にはいなかったが、彼らを足して18人が現在の皇族の顔ぶれだ。
その顔ぶれを眺めていると、皇室の行く末に不安がよぎる。
現在皇位継承者は皇嗣となる天皇の弟の秋篠宮、その息子・悠仁親王、そして上皇の弟の常陸宮の3人。
うち81歳の常陸宮に皇位が回ってくることは無いだろうから、実質的には2人しかいない。
上皇が即位した平成元年当時は皇族21人、皇位継承者7人だったから、この30年で皇族の数は減ってしまっている。
しかも、これから3、40年経つと、皇族は悠仁親王の一家しかいなくなってしまう可能性が高い。
愛子内親王を始めとする6人の内親王・女王は、今後結婚すれば皇室を離れるからである。
そうなると皇室はおろか天皇制の存続すら危うい。

女性天皇を認めて愛子内親王に皇位を継がせようという論議もあるが、これだって一時凌ぎにしか過ぎない。
愛子天皇の跡をその子が継ぐとなると、ここまで1000年以上続いていた男系皇統が途切れることになるため、それを認めるかどうかの答えは簡単には出ないだろう。
こうなると旧宮家の復活しか僕は方法は無いと思っている。
1947年、当時11あった宮家の51名の皇族が、皇籍を離れている。
その中には首相を経験した東久邇宮稔彦王や、評論家・竹田恒泰の祖父の竹田宮恒徳王も含まれている。
さすがに、皇籍を離れて久しい竹田恒泰らの皇籍復帰は現実的ではない。
そこで例えば、旧皇族の男子と愛子内親王ら女性皇族が結婚し、その子供に皇位継承権を与える。
あるいは、生まれたばかりの子供を皇室の養子という形で迎えるといった方法があるだろう。
旧宮家はいずれも北朝第3代崇光天皇の子孫に当たる。

残念ながら僕の年齢では、皇室の行く末を見届けることは出来ないだろう。
だが近い将来、こうした問題は大きく持ち上がってくるはずである。
方向性だけでも見届けたいと思う。

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