DABHAND PRODUCTIONS

未来や過去の「何」ではなく、今の「如何に」を問う。

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 今日、10月5日正午(アメリカ・イースタンタイム)からDV-2007の登録がはじまります。去年よりも一ヶ月ほど早い開始です。2年前からインターネット登録が(しかも無料で)できるようになり、応募者が増えていると聞きます。

 DV-2007とはいわゆるグリーン・カードのこと。これをもっていればアメリカに永住できます。仕事もできます。学費も安くなります。いいことづくしです。イリノイで留学生だった頃は、欲しくてしょうがありませんでした。グリーン・カードが当たったら、ネイビーに入ってビデオ・グラファー&戦場カメラマンとして働こうとも考えていました。今考えると突拍子もないアイディアですが、あの頃は至極真剣でした。残念ながら(?)実現しませんでしたが。(日本人でUSネイビーorアーミーに入隊している方がいらしたらコメントください。)

 今はそこまでグリーン・カード取得を熱望してはいません。アメリカにこだわる必要があるのか疑問に感じ始めたからでしょうか。そんなことを言いつつも、今回もしっかり応募します。(支離滅裂ですね)
無料で応募できる宝くじのようなものですから、やって損はないぐらいのノリです。「もし当たったら……」という夢をみて楽しみたいと思います。


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TITLE: La Marche de l'empereur / March of the Penguins (USA) / 皇帝ペンギン (2005)
DIRECTOR: Luc Jacquet


 March of the Penguinsを観てきました。皇帝ペンギンの話です。私が観たのはアメリカ国内バージョンで、オリジナルではありません。何が違うかというと、オリジナルでは「父親、母親、そして生まれてきた子供たちそれぞれの心の声をナレーションで挿入」しているらしいのですが、アメリカ版では、すべてモーガン・フリーマンの声です。(ちょっと強引)このあたりに、ハリウッドの集客へ対する貪欲さがうかがえます。(ちなみに、日本語吹き替え版では、石田ひかりさん、大沢たかおさん、神木隆之介さんがナレーションを担当しているそうです。)
個人的にはフリーマンの渋い声は好きですが、監督の演出を変えてまでの起用はやりすぎです。そういうわけで、リュック・ジャケ監督が伝えたかったものを5%ぐらい逃しているかもしれません。


ペンギンとニンゲン

【ネタバレ注意】
 まず、南極の壮大で神秘的な風景にやられます。エメラルド・グリーンやコバルト・ブルーに輝く氷と海。はじめの数ショットで映画に引き込まれました。そして氷の大陸、地平線、空がホライゾンタルに広がる画をバックに、何かの黒い影がぼやけて映しだされます。このショットからだと、それがなんなのか特定はできませんが、人間のようにも見えます。しかし、次のショットでそれが皇帝ペンギンだということが分かります。このオープニングからも分かるように、ジャケ監督はこの映画を単なる「動物奇想天外」で終わらせたいのではなく、ペンギンの生態の中に、人間にも必要とされる「何か」を見出そうとしていることが分かります。

その「何か」を簡単に言ってしまうと……、

-120日間も何も食べずに必死に卵を守る父ペンギンの忍耐力。
-円陣を組んでブリザードから身を守る父ペンギン達のユニティー。
-役割分担された父&母ペンギンをつなぐ信頼。
-ヒナのエサをとりに100km先の海へと旅立つ母ペンギンの愛。
-外敵からヒナを守り続ける父ペンギンの愛。
-他にも映像によるたくさんの愛の描写。

フリーマンが冒頭で言ってました、これは"Story of Love"だって。
でも、翌年にはペンギン達は他の相手を見つけるんですけどね。

PERSPECTIVE(見方)


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TITLE: Grass: A Nation's Battle for Life/ 地上 (1925)
DIRECTOR: Merian C. Cooper & Ernest B. Schoedsack

 ペンギン達の長い行列を観ていると、GRASS (1925)というドキュメンタリーを思い出します。ペルシャ(現イラン)に住んでいた遊牧民バフティアリ人の牧草地から牧草地への大移動をフィルムに納めた映画です。
 「自然と調和した生き方」という部分では、ペンギンが見せてくれた驚きと同じものを映像から得られるのですが、皇帝ペンギンを愛らしく見つめるようなカメラマンの視点はそこにはありません。カメラマンの視点は文明社会に暮らす人々のエキゾチシズム(異国趣味)が反映されているからです。都市生活に疲れた都会人が、カンクーンなどのリゾート地で異国情緒を堪能する状況に似ています。
 GRASSでは、映像の中の人間と観客との間に境界線が引かれています。結局のところ観客は文明人、バフティアリ人は遊牧民という具合に、両者が同じ目線で顔を見合わせることはないのです。観客の「時間」と「場所」を離れさせることが趣旨となっているからです。その視点はクーパー&シュードサックが後に制作するKING KONG (1933) にも影響していきます。

ペンギンの話から、キング・コングまで話がそれてしまいました。

ペンギンにしろ、バフティアリ人にしろ、キング・コングにしろ、電車男にしろ、私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、自分のあるがままに観ているのだということを意識しながら映画(映画に限らず、その他もろもろ)を観ると、また違った見方を発見できるとおもいます。そして、その相違点を尊重しながら社会生活を営んでいくことによって、皇帝ペンギンのユニティーに近づく気がします。


最後まで読んでくれた人に感謝!

前回の記事(「複雑な思いだね」「それが戦争なんだよ」)でもとり上げた「劣化ウラン弾」による被爆の被害ですが、イラクのサマワに駐留していた米軍兵士が、劣化ウラン弾の残留物で被爆し、放射線障害に苦しんでいる、という記事を見つけました。

この記事は1年以上前のもの。その後、どれだけ被害が拡大しているかはわからないが、少なくとも
自衛隊が駐留しているサマワは安全とはいえない状況にある。小泉首相はサマワの治安情勢を未だに非戦闘地域とみなしているため、自衛隊を撤退する意思はないと言っている。

自衛隊員の中で被爆者がいつでてもおかしくない状況を、政府は、「非戦闘地域=安全」というようなニュアンスで国民に伝えている。これが小泉さんのやり方なのか。郵政民営化に争点を当てていた今回の総選挙では、自衛隊派遣問題が影を潜めていた。この様な中で、ジャーナリストが現地の真の状況を伝えようとイラクに乗り込むのは、決して自分勝手な行動ではなく、国民として政治に参加する1つの方法である。これを批判するのは民主主義を批判することでもある。


小言:
政治ネタがアップ・ロードしにくいのは気のせいだろうか。



参考文献
サマワで被爆した米駐留軍兵士、テレビで告発: 暗いニュースリンク
何で「自衛隊」はイラクにいるのか? :あくつ+(あくつぷらす)

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-NO!!DU Sapporo Project-


OurPlanet-TVというサイトで「みんな、空でつながっている〜イラク拘束事件・今井紀明君に出会って〜」というビデオリポートを観た。

−内容−
2004年春、イラク邦人拘束事件でマスコミが注目した18歳の少年、今井紀明君。帰国後の彼を待っていたのは、「自己責任論」という日本中からのバッシングだった・・・。その時、彼は何を思ったのだろうか?ひとりの大学生が、同じ若者の視点で彼を見つめた半年間の記録。

この時、私は海外にいたが、バッシングの激しさはネット上からだけでも十分伝わってきた。しかし、この「自己責任論」というアイディアがどこから出てきて、なぜそこまで多くの人がそれに賛同したのか不思議でしょうがなかった。

マスコミ&メディアのクラスで、アメリカ人のクラス・メイトに「なぜバッシングが起きてるんだ?」と尋ねられたが、説明に困った。ジャーナリズムを学ぶ学生に、日本の「自己責任論」が理解できるはずがなかった。

戦争自体の問題点を取り上げることなく、戦地で起きた事故の責任を被害者に追及するジャーナリズムなんてどこの学校でも教えてくれない。そもそも、そんなのはジャーナリズムでも何でもないし、そこから得られるのは責任逃れでしかない。それは、自衛隊を派遣した政府の「責任逃れ」であり、保守的マスコミの「責任逃れ」でもあり、状況を正確に理解しようとしない世論の「責任逃れ」である。

その時、どれだけの日本国民が「劣化ウラン弾の危険性」を知っていただろう。今井さんは18歳という若さで、劣化ウラン弾の危険性を唱え、知り合いの弁護士や編集者ら十数人に呼び掛けて「NO!!DU サッポロ・プロジェクト」を発足させている。(黄色いハンカチが舞う「銃後」の町で 参照)

劣化ウランよって被爆する可能性を政府やメディアが表沙汰にしていないことを、そして、その小核兵器によって多くの人が苦しんでいることを、彼は多くの人に伝えようとしているのだ。(フォト・ジャーナリズム from Dabhand Production)

そして、今井さんは劣化ウラン弾の実態を調査するため、ジャーナリストとしてイラクへ向かった。
彼は、国内で「自己責任論」を唱えていたどんな人よりも、自衛隊員のことを考えていたし、イラク戦争の無意味さを理解し、平和を願っていた。(手記「人質」となって

政治家、マスコミ、世論などに流されないよう、常に変わらぬ原則をもとめ、
その原則を中心に物事をとらえるべきである。
「この世と調子を合わせてはいけません。」ローマ12:2



いまさらこの問題かと思われてしまうかもしれないが、政府とマスコミと世論の関係が非常に今回の総選挙のそれに似ていたので、このビデオリポートを観て、もう一度この問題を考えてみる必要があると感じて取り上げてみた。

ミツバチ・ユニティー

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優良企業の定義とは何なのか?

ふとそんなことを思った。ソニー、トヨタ、電通といった日本を代表するような大企業のことを優良企業というのだろうか。確かに、これらの会社は稼ぎまくってる。金を中心に考えると、それらは優良企業といえるのかもしれない。しかし、少なくとも私にとっての優良企業は、株価や収益の多さだけに左右されるものではない。私が思う優良企業の定義とは「どれだけ社会に貢献しているか」ということだ。

ここでいう「社会に貢献する」活動というのは、企業のイメージ・アップを図るために行なわれるものではない。私が以前勤めていた某自動車会社の工場では、地域社会に貢献するためという名目で工場の周りのゴミ拾いをしていたが、こういった類のものは見せびらかすための善意のようで仕方がなかった。ゴミ拾いはしても、「ゴミが捨てられないようにする」という事には特に力を注がない。定期的にゴミ拾いが出来るようにゴミが捨てられていた方がいい。そんなふうに感じた。

企業利益中心の考え方ではなく、「善」の原則を中心とした「啓蒙的慈善活動」に大きな意味がある気がする。そして、その「啓蒙的慈善活動」を独自の視点から展開している企業がある。

山田養蜂場である。http://www.3838.com 

この会社のおもしろいところは、ミツバチの巣箱の中に理想の社会を見いだしているところにある。

ミツバチは、群れ(社会)の絆がなければ生きてゆけないのです。つまり、ミツバチは集団の中の一員として働き、共に助け合う仲間がいることで、そして、共生する花々の自然環境があればこそ生きてゆけるのです。人間も同じではないでしょうか。

ミツバチの「自然との調和」を企業活動の規範とし、ミツバチのように「勤勉」に「創造的」に「自然と人間社会との調和に貢献する」ことを目指す。

一風変わった企業理念だが、これは山田養蜂場だけでなく、人間社会全体にも必要とされる考え方だ。
ユニティーが必要なんですよ、ブッシュ大統領!

全く関係ありませんが、ブッシュ大統領の甥、デイビッド・ブッシュさんはいい人でした。

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