脳幹出血から生還

自分が考える幸せ=身体に痛い所が無い

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三途の川

 皆さんこんばんは(^_^

 よろしければこの絵を見てくださいませ↓

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 この絵はダダが見た「三途の川」です。

 10年前「脳幹出血」を起こして松山南病院に入院していたんです、幸運にも出血の症状は軽く自力で歩けていたので院内をウロウロしていたんです、そうしたらいきなりの激痛が走って顔面全体に強烈なシビレが襲ってきました、慌てて自分のベットに戻ってナースコールを押して助けを呼んだのですが人生で経験した事の無い激痛とゆうか体調の異変に「こりゃ死ぬな」と思って薄れ行く意識の中、兄や知人に「さようなら、今までありがとう」のお別れの電話をしたまでは覚えています。※実際に電話に出た人の話しでは「ロレツ」が回ってなく何言ってるだか分からなかったらしいです。

 それからは覚えていないのです、兄から聞いたのですがどうやら出血の症状が酷く南病院では治療が難しいとの判断で愛媛県中央病院へ移されて二日間ぐらい集中治療室(ICU)に居たらしいのですが余り記憶がありません、かすかな記憶では治療のスタッフさんに「ご自分の名前言えますか?」「何月何日ですか?」と質問され続けられた事です。

 集中治療室で死線をさまよっている間の夢は覚えてます、それが上の絵です。

 この夢の内容はダダがロボットに生まれ変わりましたが、生き返るには「製品検査」を受け合格しなければいけなく、検査の順番待ちをしながら「あ〜検査に合格しなかったら死ぬんだ、どうしよう」と,意識な無くても本人は必死で「生きたい!」と夢の中で思っていた記憶があります。

 ダダが見た「三途の川」はこんな感じですが、インターネットで検索した「三途の川」の画像はコレです。

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 「閻魔大魔王」さんにもお会いする事無く生きて戻ってきました。

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 で、それからリハビリ専門病院に転院したのです、そこで知った事実が回復が見込める期間が半年間だと聞いて「こんな所で腐ってたまるか!その回復が見込める半年で死にものぐるいで頑張って絶対社会復帰してやる!」

 発病した年齢が31歳と若かったから回復も周囲が思っていた以上に早く回復してドクターからは「車椅子での生活になります」と言われていたのですが退院後は介助の必要も無く生活出来る様になりました。

 で現在「あ〜何かしなくちゃ」

 幸運にも利き手は後遺症も無く」正常に動くので絵を描いてみたり。

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 このリンゴの絵はクレヨンを使って描いてみました。

 犬が居る事で寂しく感じず



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 過ごしていますが「これでいいのか俺の人生?」

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ナースコールのあとに、お電話を・・・

ダダさんすばらしいと思います。

母が同じ状況だったら自分のことで精一杯かも。

ケンカしても、お兄様のこと、大事に思ってらっしゃるんですね。


助かった命、これからも大事に。

そして、tamaさんからいただいたご縁(tamaさんのとこで、シャーちゃんの絵を拝見してから、ダダさんのことを)も大事にしたいと母も思ってます。

ナイス!ぽちっ!☆きらっ〜♪☆・・・!!

2013/2/5(火) 午後 2:15 ミニボブ 返信する

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閻魔さまに会うことなく、良かったね^^
そんな大変な状況からの「今」だよ?
腐ってたまるか!って気持ちがあるのなら
毎日、どうすれば楽しく過ごせるか、考えようよ。
後ろばかり見てても答えは見つからないよ^^
せっかく助かった命。もったいないよ。

2013/2/5(火) 午後 4:54 tama 返信する

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壮絶な経験ですね
生きててありがとうです


林檎も懐かしいですね

2013/2/5(火) 午後 5:25 [ y-眞義 ] 返信する

私は自分のブログの書庫でも書いていますが、朝一度トイレに起き、まだ早いからともう一度寝て、次に起きようとしたらゴロゴロ転がってしまい立ち上がる事も上半身を起こす事も出来ずマンション管理会社が営業を始める時刻まで待って、近くに有った電話で救急車を呼び玄関に鍵が掛かっている事ドアチェーンがしてある事を伝えました。
救急隊員が管理会社を呼び鍵を開けチェーンを切って入って来て3階からタンカで100kg近くの私を運びだしてくれました。
私は行きつけの救急病院に行ってと言ったのですが、隊員があそこは脳神経外科が無いからと別の病院搬送してくれました。
私は三途の川は見ませんでしたが、ICUのなかでは半透明のビニールのカーテンで遮られたベッドが無数にあり、動く人は誰もおらず正に死体置き場に居る様な状態でしたね!
いま、チョット後悔なのは、リハビリ施設に恵まれなかったのと、どうして直ぐに救急車を呼ばず良い子ぶって管理会社に人が出社するまで待っていたのかですね...
当時に病気の知識が有れば、時間との闘いですからもっと早く救急車を呼んでいたかも!?

2013/2/5(火) 午後 5:43 MIT 返信する

ダダさんは再出血してたんですね。

私はICUは一週間お世話になりました。
臨死体験はしませんでしたが
発症時から記憶はありました
入院した日に隣のベッドに居た方が
家族を呼ばれていたのが忘れられません

2013/2/5(火) 午後 7:27 こてり 返信する

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ミニボブさんこんにちは(^^

お別れの電話したのに生き残ってしまって、でも生きててよかった!

ミニボブさんとのご縁も大事にしていきたいです、ミニボブさん生きてるってゆうのは辛い事の方が多いけど頑張って生きていきましょうね!(*゚▽゚)ノ

2013/2/6(水) 午前 7:07 [ ダァ ] 返信する

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tamaさんこんにちは(^^

そんな大変な思いをしてきたんだからこれからの人生も頑張って生きていかにゃならんのですが。

現在はアルコールに手を出さず健康維持をしていくのが目標ですかね。

2013/2/6(水) 午前 7:12 [ ダァ ] 返信する

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y-眞義さんもう二度とこんな経験はしたくありません。

林檎の絵も覚えているんですねビックリ?!

2013/2/6(水) 午前 7:37 [ ダァ ] 返信する

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MITさんこんにちは。

発症当時はダダも脳出血の知識は全く無くて「完全に元に戻る」と本気でおもっていましたからねMITさんの当時の判断も知識が無かったらしょうがないですよね。

今はちょっとした体調の変化にもかなり神経質になってます、また起こるかもしれないから。

2013/2/6(水) 午前 11:00 [ ダァ ] 返信する

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こてりさんこんにちは。

ICUでご家族の名前よ呼んでいたのは記憶に残りますよ、その方も脳血管障害だったんでしょうかね?

もうICUはいいです!

2013/2/6(水) 午前 11:04 [ ダァ ] 返信する

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貴重な経験されたようですね

エンマさまに合わなくって良かったです

2013/2/6(水) 午後 10:33 おとら 返信する

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