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司法制度改革の目玉である、
市民が刑事裁判の審理に加わるという
「裁判員制度」も実施が近づき、
様々の報道に接する。
しかし、なんで市民の「裁判員」が必要なのか、
その導入の必要性が、未だにどうしてもピンと来ない。
一般市民のサイドから見て、
現状、司法に改革を求めたいのは、
迅速な審理と、公正で厳正な判決である。
決して市民の裁判への参加ではないだろう。
それに、自分が裁判員になったとして、
果たして、
自信を持って正しい判決が下せるかどうか考えてみた。
しかし、私自身、
どうも公正な判断は怪しいようだ。
そもそも、法律や判例の知識を持たない一般市民が、
公正で厳正な判決を下せるとは、到底思えない。
さらには、
弁護士の有能さにも判断は左右されようし、
理性的知性的というよりは、
感性的感情的な判決になってしまいそうな予感は漂う。
素人に法律上の判断など、できようはずもない。
それだからこそ、
法律と判例に通暁した専門家によって、
裁判はこれまで構成されてきたのであろう。
そう考えると、一般市民の裁判員登用など、
「イメージ選挙」ならぬ
「イメージ裁判」への堕落に過ぎないかもしれない。
司法を改革したいというならば、
現状の不備な点、
裁判の「迅速さ」と「厳正さ」の
改善に当てるのが筋だ。
これは、法曹関係者の仕事能力アップ
そのものを意味している。
奇をてらう制度の改定よりは、
まずは、当り前の改善を求めたいと思う。
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