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納屋の戸板や軽油のドラム缶も飛び屋根は剥がれ 自宅のサッシが飛び屋根が剥がれ 周りの道路では倒木により通行出来ず まずは、公共優先とチェンソー装備で臨場し、とりあえず集落孤立は解除されました。 本日の倒木処理、5ヶ所 役所や消防、警察ばかり頼ってたら全然間に合いません 出来る人が出来る事をやる |

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納屋の戸板や軽油のドラム缶も飛び屋根は剥がれ 自宅のサッシが飛び屋根が剥がれ 周りの道路では倒木により通行出来ず まずは、公共優先とチェンソー装備で臨場し、とりあえず集落孤立は解除されました。 本日の倒木処理、5ヶ所 役所や消防、警察ばかり頼ってたら全然間に合いません 出来る人が出来る事をやる |
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世間一般では、ゴールデンウィークという事で大賑わいでした
そんな黄金週間を振り返ってみよう 4月28日から我が農場の田植えを開始、とりあえず弟夫婦など強制動員 那須連山を見れば、雪雲がかかっている、毎年気候がおかしいと感じているが今年は特に桜の開花から強烈な冬型だったり、地球環境の変化だろうか? 機械による植え付けを、相変わらずの適当に終わらせ、育苗場所の片づけなどをしながら椎茸の関連した片づけを行う。 自宅敷地内には、椎茸栽培の原木が山ほどある、全てが栽培途中で休養段階の原木なので発生作業を行えばブリブリ出てくる原木である。 原発事故の影響で出荷制限となってから、ずっと休養段階のまま放置しておいたが、もう椎茸栽培の復活は不可能な状態のまま身近で見える所にあるのも精神衛生上よろしくない、また原木の腐食により衛生的ぢゃないので耕作していない畑に移動してしまえという作戦である。 5月3日 毎年の「憲法を考える青年集会」に参加 昨年は、猛烈な雨でデモ行進が中止され集会のみの開催だったが、今年は快晴の渋谷である、街には多くの人々が繰り出しゴールデンウィークを実感する。 本来はけして祝日などではない、日本にとって屈辱的な日であるのだが。 今年は、実行委員会から突然に集会での司会の大役を仰せつかった、多くの諸先生方、諸先輩を前に務めさせていただき、デモ行進でも途中のシュプレヒコールの先導を行う。 この日、各地に於いて様々な改憲、護憲集会が開催されていたことが報じられていた、自民党安倍政権による憲法改正の世論も手伝ってか特に報じられていた、当然に僕の参加した集会は全く報じられる事はない(笑) なぜなら、マスコミの報じる改憲護憲は、あくまでパフォーマンス性に優れ著名人が参加し絵になるものが絶対であるから。 毎年、同じ志の同志が集い継続し訴えを続ける形は嬉しくもあり、同時に占領憲法という催眠弾を打ち込まれて深い眠りのままの日本が悲しくもある5月3日であった。 と気づけばゴールデンウィークというビッグイベントも、憲法集会に出かけただけで、田植えと農場の片づけで千秋楽。 市内での火災のサイレンで目が覚めてしまってブログを更新しています。 さぁ明日から、また積極的に動き回るよ〜 ☆お写真☆ 3日のデモ行進にて 集会でシュプレヒコールの発生をする岩上同志 椎茸原木を移動するのにお借りした重機〔林業用〕 |
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3月11日 東日本大震災が発生し、直後より地元小学校での登下校時の安全確保などを行いながら、今こうして生きている事が出来た、生かされていた事に感謝した。
同時に生かされている自分に出来る事は何か、と情報収集などを行ってみました。
被災地では兎に角、全ての物資が全く足りない状況であり、そこに燃料不足が拍車をかけて支援の流れも滞ってる状態であるとの事。また避難所以外の在宅被災者の方々には更に物資が無いという事実が浮き彫りになりました。 それでは、まずは物資での支援が最優先であると考え、友人知人、地元学校のメールシステムまで無理やりお借りしたりと、物質の協力依頼を始めました。
正直な思い、行政や自治体、公的な組織でなく全くの個人である僕が呼びかけた所で、一体どれだけの物を集められるのか?という不安の決行でしたが、波紋が波紋を呼び予想を上回る物資が集まりました。
また物資を集めるにあたり、自治体などの力でしたら品目も多く集め、仕訳られるのですが、あくまで個人の事、種類は限定させていただきました。
なぜなら、1つの避難所に30名いらっしゃったら、30個なければ配布出来ないのです。 また呼びかけたメールがチェーンメールのように駆け巡り、全く繋がりの無い方から提供があったり、一部では詐欺では無いかとの噂も流れたそうです。
僕の指定した収集箇所は本拠点以外に三カ所、また呼びかけに賛同してくださった方が独自に拠点を設け収集や梱包もしてくださったり、本拠点には仕訳や梱包に毎日のように色々な方がお手伝いいただきました。
集まってきた物資の山
燃料軽油18L×6本
ウエットテッシュ24個 ボックステッシュ25包み ポケットテッシュ段ボール2箱 トイレットペーパー5包み マスク150枚 毛布120枚 うす掛け毛布20枚 タオルケット25枚 タオル2200枚 バスタオル300枚 子供用紙オムツ57包み 大人用紙オムツ42包み 女性生理用品400パック 水2L×48本 お茶2L×1ケース 米212キロ ラーメン3箱 ウイダーゼリー1ケースと少々 粉ミルク20缶 その他 サランラップ 飴 軍手 お菓子 等など・・ その他にも、活動用に食料や燃料に使ってと支援金もお預かりしましたので、これら他に生理用品や粉ミルクなどを購入し物資現物にして準備しました。
僕の自宅に紙オムツを持ってお母さんと小学校低学年の子が来ました、恥ずかしそうに「はい・・」と僕に茶封筒を差し出した
表書きにえんぴつで「きをつけてね」のメッセージと兄弟2人の名前が・・ 中には二千円 母親に話では、お年玉をゲームを買ったりする為に大切にとっておいた貯金箱から、兄弟2人だけで相談して準備したそうだ 涙をこらえるのに必死だった バイバ〜イ と帰った後、涙があふれて止まらなかった 22日
緊急認定の証明書の手続きや積み込み マイクロバスの我々の座席以外は、天井まで目イッパイに詰め込む 23日福島県いわき市勿来地区植田町に向う
なぜ、植田なのか? 様々な情報から、いわき市では報道にも取り上げられる事が少なく、支援の目がどうしても岩手や宮城の石巻に向けられている状況下、原発の風評の影響か物資を運んでもらえない状況である、そうしたら神慮か縁なのか、物資を集めて周っている時、今朝いわき植田からやっと母親を連れてきたというご家族にお会いした。 僕の知りえた情報は確かだと確認がとれましたのでいわき市植田に決定しました。 またそのご家族には色々といわきの情報をいただく事が出来、活動に大きな成果があったのは言うまでもありません。 植田小学校に立ち寄ってみたら、効率化の為点在する避難所をまとめる為引越し作業中でした。
次に向った公民館、役所の方に物資の申し出をしましたら、いわき市では平の競輪場に県が指定した物資が届き、そこから支所に移され各避難所に配布されるので・・・との返答、はい役所の業務としては大正解! でもね、それが現実的に行き渡らないから皆さん苦しんでるのです、だから僕らが来てるんですよ〜 それでも、せっかくですから積荷の中で特にお困りの物がありましたらどうぞ、と申し上げましたらそれでは、本当は立場的にいけないのでしょうが、生理用品や子供オムツを・・ はい、役所の職員としての職務では不正解かも知れませんが、人間として大正解! 本当に無くて困ってました。と笑顔で受け取っていただきました。 そして、役場支所へ物資の申し出に行く。ロビーには支援物資が・・・・ 全く無い、やはり同じ事、いわき市は平の云々とは言いながら、一応総務課に申し出ていただけますか?と職員に案内され庁舎内に入る前からみんなでバスを覗き込んだり笑顔で「やった!紙オムツもある」とかいいながら総務の指示も無いのにロビーにシートを広げたり、バスからロビーまで並び始めリレーの準備してる・・ 総務では笑顔でありがとうございます!の許可、職員がオムツだ生理用品だ、タオルだと歓声をあげながら物資をりれーしていく、米は近くの炊き出しセンターに運んでみたが、炊き出しセンターと言ってもある食材はカップラーメンが約20ケース・・ それだけ切羽詰った状況であった事がわかる。 バスも空になったので、時間的に可能だと判断し一度那須へもどり残りの物資ともう1人の若者を乗せ、植田にもどる。
病院の駐車場をお借りして車中泊 24日
避難所や炊き出しセンター向けの物資を支所に降ろし、今度は自宅で暮らす被災者のために物資をどう配布するかの作戦、車中泊でお借りした病院の職員の方にご相談したところ、病院機能は閉鎖中であるが、地域在中の職員のネットワークを使ってはどうか? 病院の窓口を開放し職員が周知したりして取りに来てもらったり、困難な方には届けようと体制を作ってくださった。ありがたい対応にすっかりお任せしバスはいよいよ空っぽに・・・ これからは、人的支援行動に切り替えようと、いわきボランティアセンターの電話、とりあえず電話受付で待機という体制であるが、正直はまだまだ形だけで、市民にもセンター開設も周知しきっていない、期待はせぬようとの事でした。
役場駐車場で待機していると、体育館で避難している方が通りかかり雑談した、冗談も飛び交い一時の和んだ時間だった、そして少ししたら先ほどの方がお友達を伴って現れた「あぁ〜まだいた、よかった」さっき久しぶりに笑って楽しかった、避難所にいるとくらい雰囲気でどんどん落ち込んじゃうからまだ居たなら話してこよう、と来たのだそうだ。 しかも「どうせあんたらロクナ物食べてないんでしょ〜野菜を食べなさいよ」ってトマトを持参された・・支援に来て逆に支援されてちゃ本末転倒だ〜とか言ってまた大爆笑 午後になり、依頼の連絡もなさそう・・ やはりまだまだボランティアの段階では無い模様。
県外からのボランティアも受け入れている宮城県塩釜市に問い合わせたところ、何点もの電話審査で条件をクリアーしたので翌日から塩釜に決定。 北上し菅生PAで車中泊 25日
ボランティアセンターで受付後、チームを編成され昼食を挟み3軒のお宅で屋内の土砂出しなどの作業、ご一緒させていただいた、山梨から檀家さんに無理言って来た僧侶の方、春休みに入った途端に山形から来た小学校の先生、千葉県から2週間分の食料を持ってワゴン車できた、親に頼み倒してお金をださせた無職の青年、自宅は高台だったから平気なんで同じ塩釜市民の為に・・と女子大生2人組みの方々、ありがとうございました。 夜は、車輌提供のバス会社が取引のある笹かまぼこ屋さんから、是非ともお店の座敷に泊まってください。とのご好意にあまえました、そのお店は近所の方々の避難所だったとの事でしたが、当日昼に避難所は解散したとの事。 しかも、解散式に取引業者からカレーの炊き出しがあって、あまっているので食べて手伝ってください。とご馳走になってしまいました。 また被災地で逆に本末転倒・・・ 美味しくいただき、座敷で足をのばして休む事が出来ましたありがとうございました。 26日
東松島へ。塩釜同様に土砂出しなどを行う。 作業するお宅からすぐそこでは、押し流されてきた瓦礫が山となっている、まだ捜索も終わってない・・というより間に合ってない 瓦礫の向こうに見える水は海でなく、元々は水田や家屋があった場所、更に奥の林の向こうが海
この日は、同行していた方の知人が発見されたとの報もあり、一旦那須へ戻りました。
27日 同じく東松島へ日帰りでの人的支援
地元に帰り、普通に自販機で飲み物が買え、お店で買い物も出来る。 コンビ二が空いてるのは当然のようで、飲食店では楽しそうに食事をする光景が不思議だった。 電気・水のライフラインは全く無関係のように流れている、トイレだって流し放題であったかいお風呂にも入れる・・ ☆ここで、第一次の支援活動を一旦区切ります。
今回、準備からこの五日間まで、多くの方に励まされ、協力を頂いた。
時には小学生に泣かされた・・ 被災地では、言えないような事実も見た、悲しい訴えも聞いた
これから、物資だってどんどん安定するだろう、次は人的支援だったりするだろう。
また明るみに出ない問題に関して、協力の依頼の話もある、我々のような人間にうってつけな事かもしれない。 これからも、出来る事を少しずつやっていこう。
この度の支援活動には、波紋が広がり想像以上の方々のご協力を賜りました。全く面識の無い方もいらっしゃいます、北海道やあちこちから物資の提供もありました。
ここまで、広がってますと、とても個別やお手紙などでのご報告は無理でございます為、この文章を持ってご報告とさせていただきます。 浅学非才な乱文でのご無礼、合わせてお詫び申し上げます。 特にご協力いただきました皆様におかれましては、MixiやYahooブログ「天空の細道」を更にご協力いただいた方にご紹介いただき、宜しくお伝えいただければ幸いに存じます。
ご協力に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
人見 仁 拝
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すっかりご無沙汰致しておりますよ。 |
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14日は「どんど焼き」でした |
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