脱脂粉乳世代

ブログ消しました。 再開です。過去記事はhttp://okonnba.blog29.fc2.com/

全体表示

[ リスト ]


ハフポスト日本版
滋賀県大津市の交差点で5月8日、保育園児の列に車が突っ込み2人が死亡した事故。同じ日に保育園側が開いた記者会見では、泣き崩れる園長に対し、一部の記者が保育園側を追及しているようにも見え、視聴者から批判が相次いだ。

この取材にはどのような問題点があったのか。そもそも”記者会見”は必要なのか。過去に放送局でアナウンサーとして働き、現在はネットメディアの記者である私が、ジャーナリストの佐々木俊尚さんに聞いた。

「報道する側も世間に晒される時代になった。その認識があまりにも欠如している」と佐々木さんはそう分析した。
【ハフポスト日本版 小笠原 遥】
原因の1つは、「メディアスクラムがはびこったこと」
今回の会見では、泣き崩れる園長に記者たちが立て続けに質問したことに批判が集まった。

これについて佐々木さんは、「原因の1つは、メディアスクラム(過剰なマスコミ取材)がはびこったことだ」と指摘する。

「会見場にいた一人一人の記者たちが悪いとか愚かだとか、そういう事ではないと思うんです。ただ、記者会見場で一つの”空気”のようなものが形成されてしまう」

「他社が撮っている映像なんだからうちも撮らなきゃいけないとか、他社が質問するならとにかくうちも何か引き出さないと...という様に周りに引きずられる形になる。1対1の取材では、あのようには決してならないと思います」
”犯人探し”ではなく、問題の構造を解き明かす報道が必要
事件や事故などの取材をする場合、加害者だけでなく被害者やその関係者に話を聞くのは一般的だ。事故の原因を様々な角度から検証し、再発防止などにつなげるためだ。

だが、今回の会見の様子を見ていると、取材する側が事実を聞くことだけでなく、園長自身のコメントを無理にでも引きだそうとしているようにみえた。

もし私があの記者会見場にいたとしたら、園長の気持ちを考え、理事長や副理事長らに質問を投げかけたと思う。

特定の誰かを責め立て、悪者のように映し出してしまう報道はなぜ生まれてしまうのか。佐々木さんはこう語る。

「泣いている園長の映像が印象に残るから、という理由でそのシーンを写真におさめる。動画を撮る。それが、エンターテイメントになってしまっている」

「他の例では、日産の元CEOのカルロス・ゴーン氏が逮捕された時もそうです。逮捕されたこと自体や、東京地検特捜部の対応が問題とされますが、日産という会社の構造的な問題こそ追及し、解明されるべきでした」
「自分たちも晒されている」という視点が足りていない
最近ではインターネットのメディアなどで記者会見の様子がそのまま放送される機会が増えたり、記者が質問する姿や質問の文言がテロップで表示されたりして、記者会見が「可視化」されるようになった。

時代に合わせて、報道するメディア側も認識を改めるべきだと佐々木さんは主張する。

「まず、(報道する側の)自分たちも晒されているということに気が付けていないことが問題です。そこにある意識は『自分たちの目線こそが、世論を反映しているんだ』という思い込みです。これが蔓延っている」

「もう一つ、今回の記者会見に関しては、メディア側が、あの園長先生の目線に立って会見を観ている人々の視点に立てていなかった。視点の多様化に対応できていないように思うのです」

「多様化というのは例えば、ひと昔前は尾崎豊の名曲『15の夜』の、”盗んだバイクで走り出す”という歌詞を皆がかっこいいと思って疑わなかった。ただ、今の10代20代に聞くと、『盗まれた側が可哀想だ』という視点が出てきた。これはあくまで例ですが、視点が固定化されてしまっていると、この見方には気が付けないわけです」

「自分たちの報道が本当に観る人々の要求に沿っているのかということを、もっと考えないといけないと思いますね」

取材の対象者と同じように、報道する側も晒されるようになった記者会見の場。筆者の意見だが、かつて1990年代以前は、放送においても質問の音声のみが使われていたように思う。アナウンサーや記者は、完全な「黒子」だったのだ。

だが、現在は一昔前とは状況は違う。

特に放送局に勤めていると会見の様子を番組内で中継するため、アナウンサーやキャスターはもちろん、記者も晒される事には慣れている印象がある。晒されることは、「想定内」なのだ。

晒される事を意識した事で、踏み込んだ質問を自重してしまうということもある。逆に、心ない質問をして視聴者に受け取られれば特定され、批判を浴びる。

ただ、一部の新聞記者や雑誌などのライターは晒される事にまだ慣れていないように見える。

佐々木さんも、「90年代のいわゆる古い意識の記者にこのような傾向がある」と指摘する。その理由を、「取材行為として相手をわざと怒らせたりして面白い情報を得ることをしたりした結果」と分析。その上で、「インターネットの出現で何が変わったのかを、前時代的な記者は意識すべき」と提言する。

ハフポスト日本版
記者会見におけるワイドショーの功罪
一方で、あの記者会見をすべて”放送する”意味はあったのだろうか?放送する事で生じる公益はあったのか?私にはその必要性を感じ得ず、今回の一番大きな疑問だった。

佐々木さんはこの問いについて「今回の会見を放送する意味はなかった」とした上で、放送が増えた背景を「ワイドショーの功罪」だと分析する。

「1990年代に入ってテレビのワイドショー番組が人気となった事で、事故や事件の報道が情報バラエティー番組で長尺で扱われるようになった。これによって、番組毎にキャスターやリポーターが立てられることが増えたんです」

「各番組はやはり、自らの担当リポーターが質問している映像が欲しいから、結果的に、同じような質問や中身のない質問が多く見受けられるようになりました。もちろん全てがそうではないですが、ニュースをエンターテイメントにしてしまったという点で、ワイドショーの功罪という見方はあると思います」

確かに過去を振り返ると、私がリポーターを務めた時も、放送後には録画映像を観て、”会見のどの部分が使われていたか”、”自分の質問が放送で使われているか”をチェックしていた。他の記者が既にしたのと同様の意図の質問を繰り返し聞いてしまっていたかもしれない。

加えて、ワイドショーでは映像が”編集”される。この編集が視聴者にとって意味のあることになる場合もあるが、一方では編集で一部が切り取られることで、前後の文脈までもが削ぎ落とされてしまう時がある。

切り取られた場面のみが放送されてしまうと、世間に対して大きな誤解を与えてしまう。この懸念は取材をする側とされる側、両方にある。
”マスゴミ”と言われないために...
今後、”記者会見”におけるメディアのあり方はどのようにあるべきか。

佐々木さんは、「このまま情報のバラエティ化の流れが止まらないならば、情報番組を制作する側がより一層ジャーナリズムの認識を深く持つ事だ」と語る。

「世間の報道への信頼は確実に落ちています。ネットの時代になった事で何が変わったのか。これを考えないと、マスコミは”マスゴミ”と言われ続けてしまう。『世間はどう見るのか』ではなく、『自分たちはどう見られているか』という視点をこれからの時代は、もっと意識すべきだと思います」

放送局で働いた身として、私は「ニュースのエンタメ化」について、決してマイナスではなくむしろ良い面もあると感じている。情報番組にしてもワイドショーにしても、放送をきっかけに議論が広がるし、深まっていく。その役割は、テレビが今後も担っていくべきではないか。

だが、どんな事柄であってもメディアが記者会見を望み、その様子を放送するというスタンスは必要なのか。その都度、メディア自身が判断し、視聴者からの批判にたえず耳を傾けないと、記者会見それ自体が、思わぬ被害者をまた一人生んでしまう事になるかもしれない。
小笠原 遥


【関連記事】



「園長先生の涙」放送し続ける必要はあるか 「テレビつけたくない」「止めてあげて」



J-CASTニュース
 大津市内の保育園児死亡事故で、記者会見した園長の号泣シーンをテレビ各局が流し続けていることに、ネット上で疑問や批判も出ている。

 「とても素直でいつも笑顔を絶やさない子たちでした。いつもね、保育室に入ったら『園長先生』って言って寄ってきてくれる本当にかわいい子でした」。亡くなった2人について聞かれると、女性園長は、ハンカチで顔を覆い、涙が止まらない。

■「そんな人が悲しんでるところ映したいの?」

 「すみません、何も何も何も言えないです。すみません...」。園長は、言葉が続かず、その後もすすり泣きを続ける。そして、記者の質問に対し、「いつもと変わらずに出て行きました。いつもと変わっていません」と答えると、テーブルに突っ伏して号泣し――。

 2019年5月8日夕の会見は、各局のニュース番組が生中継して、その受け答えの様子をそのまま伝えた。

 すると、ツイッター上などでは、会見の痛ましい様子に違和感を訴える声が続出した。

 「保育園側は被害者、会見は不要」「園長先生が責められているように聞こえた」「被害者側の会見は辛くて見てられない」などと書き込まれ、「見てられなくてTV消した」との報告も相次いだ。「園長先生のことをもう少し記者は考えるべき」「テレビで放送する必要性が無い」とマスコミへの批判もくすぶっている。

 バッシングの嵐を気にしてか、翌9日の各ワイドショーでは、会見シーンを短くするなどの対応をする局もあった。しかし、号泣シーンを繰り返し流しており、ネット上では依然として「放送するの止めてあげて欲しい」「もうほんま嫌テレビつけたくない」「そんな人が悲しんでるところ映したいの?」といった声が続いている。
識者も報道姿勢に疑問の声
 国際政治学者の篠田英朗東京外大教授は5月9日、「交通事故被害者の尊厳をどう尊重するか」と題するブログを書き、メディアの姿勢に疑問を呈した。

 会見の質問や報道によって、「マスメディアによる被害者に対する二次災害」が起きていると説き、次のように指摘した。

  「いくらなんでももう少しは自分たちが持っている社会的役割の意味について素面になって真剣に考えるべきだ。というか、常識を働かせて立ち止まることができるようになるべきだ。常識というのはつまり、人間の尊厳を尊重する姿勢を、何よりも優先させる、ということだ」

 この投稿は、「ブロゴス」にも転載され、9日夕現在で閲覧数ランキングのトップになっている。

 また、脳科学者の茂木健一郎氏は同日、「新聞やテレビは、読者や視聴者の成熟度をもう少し信じて仕事してほしい」とのタイトルのブログで苦言を呈した。

 茂木氏は、「事件やスキャンダルが起こったときの、テレビの取材や番組の構成も、視聴者の成熟度や考えはこんなものだろう、とたかをくくってつくっているように見える」と指摘。「そのようなレベル設定と、実際の社会の成熟度の分布がずれてきているのではないか」「成熟してものをよく考えて、常識をわきまえている人たちのためのメディアが欲しい」と訴えている。

(J-CASTニュース編集部 野口博之)
【関連記事】




大津事故で見えたマスコミのミスと人々の悪意



東洋経済オンライン
 5月8日(水)10時15分ごろの事故発生から2日が過ぎてなおワイドショーのトップニュースとして扱われていることが、事態の重さを物語っています。

 保育園児の命を奪った滋賀県大津市の事故は、「加害者が前をよく見ていなかった」「車2台ともブレーキをかけていなかった」などの全容がようやく見えてきましたが、この2日間でさまざまな動きがありました。

 なかでも象徴的だったのは、被害状況が明らかになる前に行われた保育園の記者会見。泣き崩れる園長、質問を続ける記者たち、それを見て怒りの声を上げる人々とワイドショーの出演者……世の中の論調は、「♯保育士さんありがとう」のツイートが広がるとともに、「正義の園長と悪のマスコミ」という構図になっていきました。
 しかし、この構図こそが事件の本質からかけ離れる要因となるとともに、現代の人々が体内に抱える悪意そのものだったのです。

■無慈悲な質問で保育園の潔白が明らかに

 真っ先にふれておきたいのは、マスコミは本当に悪だったのか?  ということ。

 ネット上には、「マスゴミ」「バカ記者失せろ」「お前たち全員死ね」「〇〇新聞は滅べ」などの過激なフレーズが飛び交い、ワイドショーでも記者たちを糾弾するコメントが続き、さらにそれを見た人々が「よく言った!  マスゴミとは大違い」と称賛されました。
 「配慮に欠ける記者がいた」「必要のない質問があった」のは間違いないでしょう。しかし、質問の前に「こういうときにすみません」「こんなときに申し訳ないんですけど」「ご存知のところだけで結構ですので」と相手をおもんぱかるフレーズを発したうえで、できるだけ穏やかに声をかけようとしていた記者もいたのです。

 そもそも会見が行われたのは、まだ事件の全容がわからず、加害者の情報がほとんどなく、園児の保護者説明会が開かれる前。マスコミにしてみれば、保育園の会見が早く行われたことで、質問の内容を「お散歩」「園児」の2点に絞らざるを得ないほど、情報がかなり限定されていました。これによって世間の人々は、「なぜ被害者であろう保育園に同じような質問を続けるのか?  先に報じるべきは加害者ではないのか?」という疑問を抱くことになったのです。
 しかし、事件の大小にかかわらず、「加害者だけでなく被害者からも話を聞いて全容をつかむ」、さらに「そこから得られるものは何なのかを考える」のが記者たちの仕事。無慈悲に見える質問が結果的に保育園の潔白を証明し、「♯保育士さんありがとう」のツイートが広がったように、「どんな園児がどのような散歩を行っていたのか」は、泣き崩れた園長や園児を守ろうとした保育士のためにも聞くべきことだったのです。

 つまり、マスコミのミスは、事故を起こした加害者に関する報道よりも先に、被害者の保育園への質問を重ねたこと。「伝えられるものから見せていく」という時系列に沿った報道姿勢が、「マスコミは保育園を悪者にしようとしている」という印象を与えてしまったのです。「会見が思っていたよりも早かった」というエクスキューズこそあるものの、その様子が生中継・生配信されることを踏まえると、明らかにうかつだったと言えるでしょう。
 私自身も取材をさせてもらう機会がありますし、ここで「マスコミが悪とは言い切れない」と書けば批判もされるでしょう。古くから「当事者への取材や事実の追求は、加害行為を伴う」と言われる難しいものだけに、今回の会見では「よい記者と悪い記者の差が出た」のではないでしょうか。

■悪意は発散できず体内に蓄積される

 次に気になったのは、マスコミを批判していた世間の人々。今回の事故は未来のある子どもたちが被害者だったことで、「誰かを悪にしなければ気がすまない」というムードが充満していました。
 しかし、最大の悪である加害者の情報が少ないうえに、多くの人は「おそらく悪意はなく、しばしば人間が起こす過失だろう」と思っていました。そんなときに、泣き崩れる園長と質問を続けるマスコミの構図を見たことで、正義と悪のイメージが固まったのです。

 今回の加害者は「無職の中高年女性」であり、悪とみなして猛攻撃するほどの大きな存在ではありません。一方、マスコミは新聞社やテレビ局などの「巨大組織」であり、巨悪とみなすには格好の存在。こうして「マスコミを叩け」という人々の悪意が増幅していきました。人々は「悪意のある質問をするマスコミは悪だ」と決めつけたことで、似たような悪意を持ってしまったのです。
 ところが、このような悪意は、思っている以上にやっかいなものであることに気づいている人はあまりいません。直接的な被害者が加害者に悪意を持つのは当然ですが、それが体内に宿り、なかなか消えないことが苦しみとなっていきます。これは直接的な被害者ではない人も同様。悪意を自らの体内に宿すことになり、それがどの瞬間に飛び出すかわからない状態になってしまうのです。

 たとえば、あなたの周りには、電車が遅延しただけで必要以上にイライラしたり、家族や同僚の小さなミスをとがめたり、たいして嫌いではない人の悪口をわざわざ言ったり、自分が悪いことをしたにもかかわらず恋人に逆ギレする人はいないでしょうか?   これらは、ふだんさまざまなシーンで体内に悪意をため込んでいるから出てしまう言動なのです。
 直接的にしろ、間接的にしろ、誰かに向けた悪意は、言い切ったからといって完全に発散したことにはなりません。瞬間的にスッキリしたような感覚があるだけで、実際は自分の体内で蓄積されていくのが怖いところ。これを理解している人は、今回のようなときにマスコミを叩こうとは思わず、子どもたちを悼み、再発防止の方法を考えるものです。

■感情論を前面に出した芸能人たち

 もう1点、人々の悪意を感じてしまったのは、まだ事故の全容がわかり始めた段階であるにもかかわらず、もう終わったことのような感覚になっていること。マスコミを徹底的に叩き、「♯保育士さんありがとう」とツイートしていたときの熱は失われ、再発防止に向けた議論はあまり聞こえてきません。それどころか、次のバッシング対象を探すようなコメントを発信している人さえいます。
 今回の事故は悲しいものであるがゆえに、「右折の危険性」「会見のタイミングと必要性」「保育園のお散歩」「保育士の仕事」などを考えるきっかけとなっています。「悪のマスコミを攻撃して、正義の保育士をねぎらった」と溜飲を下げているだけでは、再発防止にはつながらないのは言うまでもないでしょう。

 また、それらを報道すべきマスコミの姿勢にも疑問を抱かざるを得ないところがありました。テレビのワイドショーやネットメディアの多くは、事件の全容や再発防止よりも、「保育園は悪くない」という感情論を前面に出すことで注目を集めようとしていたのです。
その筆頭がワイドショーで「保育園は悪くない」と発信していた芸能人たち。すでに多くの人々がネット上に書いていたことをわざわざ断言したのはなぜでしょうか。ワイドショーの出演者たちがすべきは、「事件の全容を伝え、今後に生かそう」という姿勢であり、感情論を前面に出すという方針では「好感度アップ狙い」「視聴率第一主義」と揶揄されても仕方がないでしょう。

 賢明なビジネスパーソンのみなさんは、こういう痛ましい事故が起きたときこそ、感情論ではなく、再発防止に向けた声を発信したいところです。
■「保育士さんありがとう」では足りない

 最後に、「♯保育士さんありがとう」のツイートについて。

 人はねぎらいの言葉で救われるものであり、今回も被害者の保育士だけでなく、全国の保育従事者を癒やしたことは間違いないでしょう。そうしたツイートをした人が、マスコミを叩くだけの人よりも成熟しているのは明白であり、事実「日ごろお世話になっている保育士さんにあらためて感謝した」というポジティブなムーブメントをうながしました。
 ただ、せっかくのポジティブなムーブメントが「ありがとう」だけで終わってしまうのは残念な気がします。感謝の声にとどまらず、「保育士にもっとよい労働環境を」「保育士の報酬を上げるべき」という声がもっと上がってもいいのではないでしょうか。

 さらに言えば、子どもの成長や健康に貢献しているのは保育士だけではありません。「子どもに優しい社会を」と思っているのなら、小児科医や看護師、子育て中の親をサポートしている人、子ども用品の製造に携わる人などにも、「ありがとう」の声を届けるいい機会にも見えたのです。
 痛ましい事故のときだけ当事者をピックアップして「ありがとう」と声を上げるのは、やはり一時の感情によるところが大きく、未来につながるところはさほどありません。日ごろ仕事の生産性を追求しているビジネスパーソンのみなさんなら、子どもに優しい社会を実現させるために、「ありがとう」にとどまらないさまざまな声を上げられるのではないでしょうか。
木村 隆志 :コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者


【関連記事】

転載元転載元: 現代日本の風2019

閉じる コメント(1)

アバター

大事なことは報道しないで分かり切ったことやどうでもいいことを延々と流すマスゴミ、うんざりです。

2019/5/23(木) 午前 7:06 hitomi 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事