脱脂粉乳世代

ブログ消しました。 再開です。過去記事はhttp://okonnba.blog29.fc2.com/

日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全95ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

「英霊」なんておりません。愚かな権力者が国策を誤ったことによる「被害者」(国民)です。権力者と国民という関係性をまぜこぜにしてはいけません。「権力者の過ち」がうやむやにされてしまいます。敗戦から74年の今日、私たち「国民」は二度と「権力者」に騙されないぞと思います。
午後1:35 · 2019年8月15日·Twitter for Android

なるほどね〜・・

開く コメント(1)

開く トラックバック(0)


ハフポスト日本版
滋賀県大津市の交差点で5月8日、保育園児の列に車が突っ込み2人が死亡した事故。同じ日に保育園側が開いた記者会見では、泣き崩れる園長に対し、一部の記者が保育園側を追及しているようにも見え、視聴者から批判が相次いだ。

この取材にはどのような問題点があったのか。そもそも”記者会見”は必要なのか。過去に放送局でアナウンサーとして働き、現在はネットメディアの記者である私が、ジャーナリストの佐々木俊尚さんに聞いた。

「報道する側も世間に晒される時代になった。その認識があまりにも欠如している」と佐々木さんはそう分析した。
【ハフポスト日本版 小笠原 遥】
原因の1つは、「メディアスクラムがはびこったこと」
今回の会見では、泣き崩れる園長に記者たちが立て続けに質問したことに批判が集まった。

これについて佐々木さんは、「原因の1つは、メディアスクラム(過剰なマスコミ取材)がはびこったことだ」と指摘する。

「会見場にいた一人一人の記者たちが悪いとか愚かだとか、そういう事ではないと思うんです。ただ、記者会見場で一つの”空気”のようなものが形成されてしまう」

「他社が撮っている映像なんだからうちも撮らなきゃいけないとか、他社が質問するならとにかくうちも何か引き出さないと...という様に周りに引きずられる形になる。1対1の取材では、あのようには決してならないと思います」
”犯人探し”ではなく、問題の構造を解き明かす報道が必要
事件や事故などの取材をする場合、加害者だけでなく被害者やその関係者に話を聞くのは一般的だ。事故の原因を様々な角度から検証し、再発防止などにつなげるためだ。

だが、今回の会見の様子を見ていると、取材する側が事実を聞くことだけでなく、園長自身のコメントを無理にでも引きだそうとしているようにみえた。

もし私があの記者会見場にいたとしたら、園長の気持ちを考え、理事長や副理事長らに質問を投げかけたと思う。

特定の誰かを責め立て、悪者のように映し出してしまう報道はなぜ生まれてしまうのか。佐々木さんはこう語る。

「泣いている園長の映像が印象に残るから、という理由でそのシーンを写真におさめる。動画を撮る。それが、エンターテイメントになってしまっている」

「他の例では、日産の元CEOのカルロス・ゴーン氏が逮捕された時もそうです。逮捕されたこと自体や、東京地検特捜部の対応が問題とされますが、日産という会社の構造的な問題こそ追及し、解明されるべきでした」
「自分たちも晒されている」という視点が足りていない
最近ではインターネットのメディアなどで記者会見の様子がそのまま放送される機会が増えたり、記者が質問する姿や質問の文言がテロップで表示されたりして、記者会見が「可視化」されるようになった。

時代に合わせて、報道するメディア側も認識を改めるべきだと佐々木さんは主張する。

「まず、(報道する側の)自分たちも晒されているということに気が付けていないことが問題です。そこにある意識は『自分たちの目線こそが、世論を反映しているんだ』という思い込みです。これが蔓延っている」

「もう一つ、今回の記者会見に関しては、メディア側が、あの園長先生の目線に立って会見を観ている人々の視点に立てていなかった。視点の多様化に対応できていないように思うのです」

「多様化というのは例えば、ひと昔前は尾崎豊の名曲『15の夜』の、”盗んだバイクで走り出す”という歌詞を皆がかっこいいと思って疑わなかった。ただ、今の10代20代に聞くと、『盗まれた側が可哀想だ』という視点が出てきた。これはあくまで例ですが、視点が固定化されてしまっていると、この見方には気が付けないわけです」

「自分たちの報道が本当に観る人々の要求に沿っているのかということを、もっと考えないといけないと思いますね」

取材の対象者と同じように、報道する側も晒されるようになった記者会見の場。筆者の意見だが、かつて1990年代以前は、放送においても質問の音声のみが使われていたように思う。アナウンサーや記者は、完全な「黒子」だったのだ。

だが、現在は一昔前とは状況は違う。

特に放送局に勤めていると会見の様子を番組内で中継するため、アナウンサーやキャスターはもちろん、記者も晒される事には慣れている印象がある。晒されることは、「想定内」なのだ。

晒される事を意識した事で、踏み込んだ質問を自重してしまうということもある。逆に、心ない質問をして視聴者に受け取られれば特定され、批判を浴びる。

ただ、一部の新聞記者や雑誌などのライターは晒される事にまだ慣れていないように見える。

佐々木さんも、「90年代のいわゆる古い意識の記者にこのような傾向がある」と指摘する。その理由を、「取材行為として相手をわざと怒らせたりして面白い情報を得ることをしたりした結果」と分析。その上で、「インターネットの出現で何が変わったのかを、前時代的な記者は意識すべき」と提言する。

ハフポスト日本版
記者会見におけるワイドショーの功罪
一方で、あの記者会見をすべて”放送する”意味はあったのだろうか?放送する事で生じる公益はあったのか?私にはその必要性を感じ得ず、今回の一番大きな疑問だった。

佐々木さんはこの問いについて「今回の会見を放送する意味はなかった」とした上で、放送が増えた背景を「ワイドショーの功罪」だと分析する。

「1990年代に入ってテレビのワイドショー番組が人気となった事で、事故や事件の報道が情報バラエティー番組で長尺で扱われるようになった。これによって、番組毎にキャスターやリポーターが立てられることが増えたんです」

「各番組はやはり、自らの担当リポーターが質問している映像が欲しいから、結果的に、同じような質問や中身のない質問が多く見受けられるようになりました。もちろん全てがそうではないですが、ニュースをエンターテイメントにしてしまったという点で、ワイドショーの功罪という見方はあると思います」

確かに過去を振り返ると、私がリポーターを務めた時も、放送後には録画映像を観て、”会見のどの部分が使われていたか”、”自分の質問が放送で使われているか”をチェックしていた。他の記者が既にしたのと同様の意図の質問を繰り返し聞いてしまっていたかもしれない。

加えて、ワイドショーでは映像が”編集”される。この編集が視聴者にとって意味のあることになる場合もあるが、一方では編集で一部が切り取られることで、前後の文脈までもが削ぎ落とされてしまう時がある。

切り取られた場面のみが放送されてしまうと、世間に対して大きな誤解を与えてしまう。この懸念は取材をする側とされる側、両方にある。
”マスゴミ”と言われないために...
今後、”記者会見”におけるメディアのあり方はどのようにあるべきか。

佐々木さんは、「このまま情報のバラエティ化の流れが止まらないならば、情報番組を制作する側がより一層ジャーナリズムの認識を深く持つ事だ」と語る。

「世間の報道への信頼は確実に落ちています。ネットの時代になった事で何が変わったのか。これを考えないと、マスコミは”マスゴミ”と言われ続けてしまう。『世間はどう見るのか』ではなく、『自分たちはどう見られているか』という視点をこれからの時代は、もっと意識すべきだと思います」

放送局で働いた身として、私は「ニュースのエンタメ化」について、決してマイナスではなくむしろ良い面もあると感じている。情報番組にしてもワイドショーにしても、放送をきっかけに議論が広がるし、深まっていく。その役割は、テレビが今後も担っていくべきではないか。

だが、どんな事柄であってもメディアが記者会見を望み、その様子を放送するというスタンスは必要なのか。その都度、メディア自身が判断し、視聴者からの批判にたえず耳を傾けないと、記者会見それ自体が、思わぬ被害者をまた一人生んでしまう事になるかもしれない。
小笠原 遥


【関連記事】



「園長先生の涙」放送し続ける必要はあるか 「テレビつけたくない」「止めてあげて」



J-CASTニュース
 大津市内の保育園児死亡事故で、記者会見した園長の号泣シーンをテレビ各局が流し続けていることに、ネット上で疑問や批判も出ている。

 「とても素直でいつも笑顔を絶やさない子たちでした。いつもね、保育室に入ったら『園長先生』って言って寄ってきてくれる本当にかわいい子でした」。亡くなった2人について聞かれると、女性園長は、ハンカチで顔を覆い、涙が止まらない。

■「そんな人が悲しんでるところ映したいの?」

 「すみません、何も何も何も言えないです。すみません...」。園長は、言葉が続かず、その後もすすり泣きを続ける。そして、記者の質問に対し、「いつもと変わらずに出て行きました。いつもと変わっていません」と答えると、テーブルに突っ伏して号泣し――。

 2019年5月8日夕の会見は、各局のニュース番組が生中継して、その受け答えの様子をそのまま伝えた。

 すると、ツイッター上などでは、会見の痛ましい様子に違和感を訴える声が続出した。

 「保育園側は被害者、会見は不要」「園長先生が責められているように聞こえた」「被害者側の会見は辛くて見てられない」などと書き込まれ、「見てられなくてTV消した」との報告も相次いだ。「園長先生のことをもう少し記者は考えるべき」「テレビで放送する必要性が無い」とマスコミへの批判もくすぶっている。

 バッシングの嵐を気にしてか、翌9日の各ワイドショーでは、会見シーンを短くするなどの対応をする局もあった。しかし、号泣シーンを繰り返し流しており、ネット上では依然として「放送するの止めてあげて欲しい」「もうほんま嫌テレビつけたくない」「そんな人が悲しんでるところ映したいの?」といった声が続いている。
識者も報道姿勢に疑問の声
 国際政治学者の篠田英朗東京外大教授は5月9日、「交通事故被害者の尊厳をどう尊重するか」と題するブログを書き、メディアの姿勢に疑問を呈した。

 会見の質問や報道によって、「マスメディアによる被害者に対する二次災害」が起きていると説き、次のように指摘した。

  「いくらなんでももう少しは自分たちが持っている社会的役割の意味について素面になって真剣に考えるべきだ。というか、常識を働かせて立ち止まることができるようになるべきだ。常識というのはつまり、人間の尊厳を尊重する姿勢を、何よりも優先させる、ということだ」

 この投稿は、「ブロゴス」にも転載され、9日夕現在で閲覧数ランキングのトップになっている。

 また、脳科学者の茂木健一郎氏は同日、「新聞やテレビは、読者や視聴者の成熟度をもう少し信じて仕事してほしい」とのタイトルのブログで苦言を呈した。

 茂木氏は、「事件やスキャンダルが起こったときの、テレビの取材や番組の構成も、視聴者の成熟度や考えはこんなものだろう、とたかをくくってつくっているように見える」と指摘。「そのようなレベル設定と、実際の社会の成熟度の分布がずれてきているのではないか」「成熟してものをよく考えて、常識をわきまえている人たちのためのメディアが欲しい」と訴えている。

(J-CASTニュース編集部 野口博之)
【関連記事】




大津事故で見えたマスコミのミスと人々の悪意



東洋経済オンライン
 5月8日(水)10時15分ごろの事故発生から2日が過ぎてなおワイドショーのトップニュースとして扱われていることが、事態の重さを物語っています。

 保育園児の命を奪った滋賀県大津市の事故は、「加害者が前をよく見ていなかった」「車2台ともブレーキをかけていなかった」などの全容がようやく見えてきましたが、この2日間でさまざまな動きがありました。

 なかでも象徴的だったのは、被害状況が明らかになる前に行われた保育園の記者会見。泣き崩れる園長、質問を続ける記者たち、それを見て怒りの声を上げる人々とワイドショーの出演者……世の中の論調は、「♯保育士さんありがとう」のツイートが広がるとともに、「正義の園長と悪のマスコミ」という構図になっていきました。
 しかし、この構図こそが事件の本質からかけ離れる要因となるとともに、現代の人々が体内に抱える悪意そのものだったのです。

■無慈悲な質問で保育園の潔白が明らかに

 真っ先にふれておきたいのは、マスコミは本当に悪だったのか?  ということ。

 ネット上には、「マスゴミ」「バカ記者失せろ」「お前たち全員死ね」「〇〇新聞は滅べ」などの過激なフレーズが飛び交い、ワイドショーでも記者たちを糾弾するコメントが続き、さらにそれを見た人々が「よく言った!  マスゴミとは大違い」と称賛されました。
 「配慮に欠ける記者がいた」「必要のない質問があった」のは間違いないでしょう。しかし、質問の前に「こういうときにすみません」「こんなときに申し訳ないんですけど」「ご存知のところだけで結構ですので」と相手をおもんぱかるフレーズを発したうえで、できるだけ穏やかに声をかけようとしていた記者もいたのです。

 そもそも会見が行われたのは、まだ事件の全容がわからず、加害者の情報がほとんどなく、園児の保護者説明会が開かれる前。マスコミにしてみれば、保育園の会見が早く行われたことで、質問の内容を「お散歩」「園児」の2点に絞らざるを得ないほど、情報がかなり限定されていました。これによって世間の人々は、「なぜ被害者であろう保育園に同じような質問を続けるのか?  先に報じるべきは加害者ではないのか?」という疑問を抱くことになったのです。
 しかし、事件の大小にかかわらず、「加害者だけでなく被害者からも話を聞いて全容をつかむ」、さらに「そこから得られるものは何なのかを考える」のが記者たちの仕事。無慈悲に見える質問が結果的に保育園の潔白を証明し、「♯保育士さんありがとう」のツイートが広がったように、「どんな園児がどのような散歩を行っていたのか」は、泣き崩れた園長や園児を守ろうとした保育士のためにも聞くべきことだったのです。

 つまり、マスコミのミスは、事故を起こした加害者に関する報道よりも先に、被害者の保育園への質問を重ねたこと。「伝えられるものから見せていく」という時系列に沿った報道姿勢が、「マスコミは保育園を悪者にしようとしている」という印象を与えてしまったのです。「会見が思っていたよりも早かった」というエクスキューズこそあるものの、その様子が生中継・生配信されることを踏まえると、明らかにうかつだったと言えるでしょう。
 私自身も取材をさせてもらう機会がありますし、ここで「マスコミが悪とは言い切れない」と書けば批判もされるでしょう。古くから「当事者への取材や事実の追求は、加害行為を伴う」と言われる難しいものだけに、今回の会見では「よい記者と悪い記者の差が出た」のではないでしょうか。

■悪意は発散できず体内に蓄積される

 次に気になったのは、マスコミを批判していた世間の人々。今回の事故は未来のある子どもたちが被害者だったことで、「誰かを悪にしなければ気がすまない」というムードが充満していました。
 しかし、最大の悪である加害者の情報が少ないうえに、多くの人は「おそらく悪意はなく、しばしば人間が起こす過失だろう」と思っていました。そんなときに、泣き崩れる園長と質問を続けるマスコミの構図を見たことで、正義と悪のイメージが固まったのです。

 今回の加害者は「無職の中高年女性」であり、悪とみなして猛攻撃するほどの大きな存在ではありません。一方、マスコミは新聞社やテレビ局などの「巨大組織」であり、巨悪とみなすには格好の存在。こうして「マスコミを叩け」という人々の悪意が増幅していきました。人々は「悪意のある質問をするマスコミは悪だ」と決めつけたことで、似たような悪意を持ってしまったのです。
 ところが、このような悪意は、思っている以上にやっかいなものであることに気づいている人はあまりいません。直接的な被害者が加害者に悪意を持つのは当然ですが、それが体内に宿り、なかなか消えないことが苦しみとなっていきます。これは直接的な被害者ではない人も同様。悪意を自らの体内に宿すことになり、それがどの瞬間に飛び出すかわからない状態になってしまうのです。

 たとえば、あなたの周りには、電車が遅延しただけで必要以上にイライラしたり、家族や同僚の小さなミスをとがめたり、たいして嫌いではない人の悪口をわざわざ言ったり、自分が悪いことをしたにもかかわらず恋人に逆ギレする人はいないでしょうか?   これらは、ふだんさまざまなシーンで体内に悪意をため込んでいるから出てしまう言動なのです。
 直接的にしろ、間接的にしろ、誰かに向けた悪意は、言い切ったからといって完全に発散したことにはなりません。瞬間的にスッキリしたような感覚があるだけで、実際は自分の体内で蓄積されていくのが怖いところ。これを理解している人は、今回のようなときにマスコミを叩こうとは思わず、子どもたちを悼み、再発防止の方法を考えるものです。

■感情論を前面に出した芸能人たち

 もう1点、人々の悪意を感じてしまったのは、まだ事故の全容がわかり始めた段階であるにもかかわらず、もう終わったことのような感覚になっていること。マスコミを徹底的に叩き、「♯保育士さんありがとう」とツイートしていたときの熱は失われ、再発防止に向けた議論はあまり聞こえてきません。それどころか、次のバッシング対象を探すようなコメントを発信している人さえいます。
 今回の事故は悲しいものであるがゆえに、「右折の危険性」「会見のタイミングと必要性」「保育園のお散歩」「保育士の仕事」などを考えるきっかけとなっています。「悪のマスコミを攻撃して、正義の保育士をねぎらった」と溜飲を下げているだけでは、再発防止にはつながらないのは言うまでもないでしょう。

 また、それらを報道すべきマスコミの姿勢にも疑問を抱かざるを得ないところがありました。テレビのワイドショーやネットメディアの多くは、事件の全容や再発防止よりも、「保育園は悪くない」という感情論を前面に出すことで注目を集めようとしていたのです。
その筆頭がワイドショーで「保育園は悪くない」と発信していた芸能人たち。すでに多くの人々がネット上に書いていたことをわざわざ断言したのはなぜでしょうか。ワイドショーの出演者たちがすべきは、「事件の全容を伝え、今後に生かそう」という姿勢であり、感情論を前面に出すという方針では「好感度アップ狙い」「視聴率第一主義」と揶揄されても仕方がないでしょう。

 賢明なビジネスパーソンのみなさんは、こういう痛ましい事故が起きたときこそ、感情論ではなく、再発防止に向けた声を発信したいところです。
■「保育士さんありがとう」では足りない

 最後に、「♯保育士さんありがとう」のツイートについて。

 人はねぎらいの言葉で救われるものであり、今回も被害者の保育士だけでなく、全国の保育従事者を癒やしたことは間違いないでしょう。そうしたツイートをした人が、マスコミを叩くだけの人よりも成熟しているのは明白であり、事実「日ごろお世話になっている保育士さんにあらためて感謝した」というポジティブなムーブメントをうながしました。
 ただ、せっかくのポジティブなムーブメントが「ありがとう」だけで終わってしまうのは残念な気がします。感謝の声にとどまらず、「保育士にもっとよい労働環境を」「保育士の報酬を上げるべき」という声がもっと上がってもいいのではないでしょうか。

 さらに言えば、子どもの成長や健康に貢献しているのは保育士だけではありません。「子どもに優しい社会を」と思っているのなら、小児科医や看護師、子育て中の親をサポートしている人、子ども用品の製造に携わる人などにも、「ありがとう」の声を届けるいい機会にも見えたのです。
 痛ましい事故のときだけ当事者をピックアップして「ありがとう」と声を上げるのは、やはり一時の感情によるところが大きく、未来につながるところはさほどありません。日ごろ仕事の生産性を追求しているビジネスパーソンのみなさんなら、子どもに優しい社会を実現させるために、「ありがとう」にとどまらないさまざまな声を上げられるのではないでしょうか。
木村 隆志 :コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者


【関連記事】

転載元転載元: 現代日本の風2019

開く コメント(1)

丸亀製麺の30分飲み放題はホントに「すべてのせんべろを過去にした」のか? 聞いて飲んでわかったヒットの秘訣

4/16() 9:00配信 ねとらぼ

 

 丸亀製麺の一部店舗で提供される「30分飲み放題」がいま注目を浴びています。1000円という価格でビールやハイボールなどが飲み放題、うどんや天ぷら、惣菜などのおつまみまで付いてくる充実ぶりで、「すべてのせんべろを過去にした」とまで語られるほど。


【画像で一気に見る:30分間たっぷり満喫してきた!】

 

 しかし、飲み放題の時間は異例の「たった30分間」です。短くはないのでしょうか? サイゼリヤや日高屋など、飲食店のせんべろ(※「わずか千円で、お酒を飲んでべろべろになる」の略)のおトク感に熱視線の貧乏ライターとしては、「丸亀製麺の30分飲み放題は使えるのか?」を確かめずにはいられません。

 

 いざ自らのカラダで体感しに、丸亀製麺ハマサイト店へ足を運びました。

 

現社長のアイデアから生まれた

 迎えてくれたのは、飲み放題店舗を一括して担当している田中誠治さん。お話を伺っていきましょう。

 

 実はこの企画、現社長のアイデアで20166月にスタートしたもの。特に都内の店舗は昼間の盛況時に比べて夜が閑散としてしまうことが多いために酒の導入を検討。しかし「インパクトがないとお客さんは来ない」となり、このインパクト十分すぎる「1000円飲み放題」がはじまったのです。

 

 都内の提供店舗は11店舗でオフィス街が中心。この店では150人〜70人ほどの飲み放題セット注文客がおり、夜は半分ほどが飲み放題セットの注文客だとか。客層は圧倒的にサラリーマンが多いそうです。

 

何を取るか、迷うのが楽しい

 いよいよ飲み放題セットを注文しましょう。ACまで3つのセットがあります。

 

 堂々一番人気のAセット(1000円)はうどんセットか親子とじセットのどちらかを選べます。人気の理由はやはり値段で、家族を持つサラリーマンはお小遣い制のため、少しでも安いものが選ばれるからだとか。特に「親子とじ」が好まれているそうです。

 

 なおBセットとCセットはお客さんを飽きさせないために、1年で3回ほどメニューが変わります。ここでは常時同じメニューで提供されているAセットを頼みました。ちなみに今日は付き添いでねとらぼの池谷副編集長も来ているため、筆者が親子とじバージョン、池谷氏はうどんバージョンを注文。注文者には札が渡されます。

 

 付け合わせは惣菜&天ぷらから好きなものを2品選べます。必ずしも1品ずつではなく、惣菜を2品、天ぷらを2品でもOK。惣菜ではやはり枝豆が一番人気。「とりあえず1個は枝豆で」と選ぶ人が多いそうです。

 

 枝豆とのバランスを考え、もう一つは天ぷらを選ぶのがお客さんの黄金パターン。天ぷらで人気なのは野菜のかき揚げとかしわ天(鶏ムネ肉の天ぷら)だとか。それを踏まえながらも、何を選ぼうか楽しくなってきます。

 

 ジョッキをビールサーバーにセットすると、ガコッガコッと自動で注がれていきます。楽しい!

 

30分の天国がはじまる

 いよいよ今日の天国へのチケットがそろいました。1000円でビール飲み放題、親子とじ、枝豆、かしわ天まで付いた充実ぶりです。お酒を飲める状態が整ったときに、30分のストップウォッチが押されます。日本の飲み放題史上でも類を見ない短期決戦がスタート!

 

 この日の取材に同行してくれたねとらぼ副編集長、池谷氏。彼は銭湯好きであることがごく一部のねとらぼ読者には知られていますが、その大好きな銭湯で転倒し、足の靱帯を損傷。患部保護のため過度な飲酒は禁じられているものの、2杯だけ飲んでもらいました。

 

 2人でシェアし合いながら食べると、酒の肴の種類が2倍になるのも楽しい。親子丼のアタマは、時おり大ぶりな鶏肉が入っているのもうれしいポイント。そしてやはり丸亀製麺と言えば十八番はうどん。その自信作を食べながらお酒を飲むのは、これまたオツなものです。

 

 ビール以外にもハイボール、レモンチューハイ、焼酎(麦・芋)を手広くそろえているため、ビール党以外にもうれしいところ。セルフサービスでいつもの揚げ玉・ネギ・しょうが・ゴマも自由に使えるので、カスタマイズも万能です。今回は親子とじへ豪快にネギをぶちまけてみました。いくらやっても1000円。

 

 出足は快調。あれこれ食べて飲んで1000円以内という開放感に酔いしれます。スーパーマリオブラザーズで言う「スター」を取った気分です。

 

まるで「アスリート気分」に?

 短い時間でお酒を何杯も飲んでいるので、アルコール血中濃度が上がり、愉快になってきます。

 

 そこでいつものお酒より、3割増しでハイな気分になっている自分に気づきます。ふだん30分という短いスパンにて「飲み放題」でお酒を飲むことはなく、今回の時間制限により”アスリート”のような精神状態で「酒を効率よく飲もうとがんばる気持ち」が芽生え、一種の興奮を覚えるのです。

 

 ですが、なにせペースが早いので34杯ぐらいでもカラダにズシンと来ます。ここで少しずつお酒を飲むペースが低下気味に。しかし元を取ろうとする思いが、筆者を突き動かします。

 

 30分が過ぎる30秒ほど前に、5杯目に到達できました。そしてほどなく、タイムアップ。ルール上は30分以内に注げば、飲む時間は30分をオーバーしてもOKなのです。

 

 しかし5杯にがんばって到達したことがたたり、飲み疲れてなかなかお酒が減りません。最後は残った料理をかき込みつつ、副編集長の力も借りながら、お酒をようやくグイッと飲み干して……完食&完飲!

 

意外と短くない、30

 意外と30分のタイムリミットは短く感じません。余裕もあり、語りながらお酒を楽しめる印象。むしろ最初から30分と決めると、短時間で効率のいいお酒タイムが過ごせそうです。

 

 料理も夕食としてだいぶ満足できる量です。そしてどんどんお酒を飲んでいけば、30分でもしっかり酔えます。ちなみに最後はシメに無料のかけだし(※かけうどんのダシのこと)を注文して、それにネギやしょうがなどを入れてスープにして飲む方も多いのだとか。やればよかった。

 

 この飲み放題1000円企画、やはり原価率は極めて高いとか。長く飲みたいときは勧めませんが、サクッと時間を決めて飲みたいとき、景気づけの一軒目にはいいと思います。タイムリミットがあるからこそのスリリングな楽しさを、カラダと相談しながら味わってください。

 

ねとらぼ

転載元転載元: kat*r*giki*iem*nnのブログ

開く コメント(1)

3泊目は下関市内の伯父・伯母の家にお世話になりました。伯父90歳、伯母88歳と高齢なため、寝る場所だけ提供していただき、お風呂と夕食は外で済ますことにしました。ありがたいことに従兄が車で「ドライブイン南国」という山陽小野田市の県道沿いのドライブインに連れて行ってくれました。長距離トラックのための広い駐車場とお風呂を備えていて、車内泊前提でお酒も提供しています。なるほど疲れを癒す配慮が行き届いていると感じました。ここでお風呂と自慢のちゃんぽんをごちそうになりました。

4日目の朝5時半に起床し、布団をたたみ、支度を整え、伯父・伯母を起こさないように一礼してそっと家を出ました。最寄りの小月(おづき)駅に行く途中のコンビニで朝食を購入して駅に着いたのは6時40分頃、平日なので通勤と通学の客の視線を受けながら自転車を収納し朝食も食べてホームに出ました。

↓駅舎も駅前も子どもの頃からほとんど変わっていません。この地域の在来線駅周辺はあまり開発されず時が止まっているようです。長く存続すること祈ります。
イメージ

イメージ

↓7:13発岩国行各駅停車。こちらでは見られなくなった115系が懐かしい。
イメージ

社内は通勤・通学で混雑しており、何とか自転車を置くスペースを確保し、自転車を支えながら先頭に貼りついていました。何駅目かで自転車を固定する場所が空き、更に何駅かで空席も目立つようになってきました。8時頃に車掌が回ってきました。折り返して去って行くのを呼び止めて1回目のスタンプを押してもらいました。青春18きっぷの開始です。1日当たりでは11850円の1/5の2370円で元が取れますが、今日の下車予定の下松までは1940円なので足りませんが、5回のトータルで元が取れればいいとの割り切りで良しとしました。

定刻9:35に下松に到着しました。下松は徳山と光に挟まれた瀬戸内海工業地域の一角を占め、昔から商工業が発達しています。駅を降りて自転車を組み立てていると遠足の幼稚園の子たちとかち合いました。子どもたちが私を見て挨拶していきたので、私もできるだけ頬の筋肉を緩めて挨拶を返しました。走る前に思いがけず癒されました。

イメージ

下松を出発して、最初に目指したのはコンビニです。昨晩不覚にも充電を忘れてしまいスマホのバッテリーが底を着きそうだったからです。電池式充電器の調達か充電可能な施設を教えてもらうためです。とりあえず光市まで行けば大規模商業施設があるとの情報を得て、7〜8キロ東の光市街のMaxValueまで走って電池式充電器を購入しました。

光から5キロ程行くと道は海の側を通るようになります。瀬戸内海国立公園の指定地の室積海岸(むろづみかいがん)に寄りました。しばらくぼーっと海を眺め、瀬戸内に来た実感が湧いてきました。

イメージ

この辺から国道188号線は10キロ以上に渡って海に沿っています。海の景色を楽しみながらの気持ちのいいサイクリングでした。

↓梶取岬という岬に差し掛かりました。この岬で約90度曲がって柳井方面に向かいます。
イメージ

梶取岬から数キロ行くと麻里府(まりふ)という地名が出てきました。海方面に入っていくと麻里府港があり、馬島という離島行きの船が出る港がありました。その側にかきの直売場があり自転車でなければ買って行くのに、とちょっと悔しさを覚えました。

イメージ

麻里府港からは柳井に向かいます。本日の最終的な目的地は室津半島の南端の「鳩子の湯」という温泉施設の付近です。麻里府港のある田布施から半島の西側を南下すれば早いのですが、遠回りして東側の柳井経由にしました。これには2つ理由があります。

1つは瀬戸内海で3番目に大きい周防大島がよく見えるからです。昨年は豪雨被害、大島大橋に船が衝突しての断水、逃走した囚人の潜伏等災難続きでした。この島は祖母の故郷でもあり幼少から馴染の深いのですが、室津半島からの眺めの素晴らしさを聞くにつけ、是非とも見てみたいと思ったからです。

2つ目は昼食です。1つ目ありきの計画ですが、当初から柳井で海産物をと考えていました。とは言え、特に目当ての店があるわけではなく行き当たりばったりでしたが、たまたま目に付いた寿司屋の「なか」に吸い込まれました。

イメージ

柳井港魚市場直送の活魚を使った鮮度抜群の寿司の提供を謳っているだけあって本当に美味しかった。しかも安い。ここは正解でした。

↓にぎりランチ750円、これに茶碗蒸しが付きます。寿司の美味さはさることながらアサリの味噌汁は貝の旨味が濃くしみ込んだ逸品。
イメージ

柳井からは室津半島の東岸を南下します。ときどき足を止めて海と島の美しさを堪能しながらゆっくりと進みました。

↓柳井の市街地から20分程走ると海の透明さと砂浜とのコントラストが鮮やかになってきます。
イメージ

イメージ

イメージ

ここから先は細かくアップダウンを繰り返します。一つ一つは大した勾配でも距離でもないのですが数をこなすとさすがに疲れてきます。途中で今度はデジカメのバッテリーが底を着きました。バッテリー充電を兼ねて休憩を入れました。眼下には集落がありました。どうやら港があるようです。日々この眺めを見ながら生活している人々はどんな心持なのだろうか?都会で暮らすサラリーマンには全く想像がつかないことです。

イメージ

イメージ

10分くらいデジカメのバッテリーを充電し今日の分は撮れるようになりました。1枚撮ってさあ行こうかと思ったときに原付で乗り付けた人が私に声をかけてきました。柳井の駐在さんでした。昨年逃走した囚人に自転車旅行のカムフラージュでまんまとすり抜けられて恥をかいた警察が、サイクリング中の人を職務質問するのだと直感しました。素直に応じて名前と住所と目的地を答えました。話をしていると案の定職務質問が義務になったようです。同世代ということもあって話が合い、世間話も交えてなんやかやで30分ほど話し込んでしまいました。この先の景勝地なども教えてもらいました。

駐在さんと別れて目の前に見えていた阿月トンネルをくぐると下り坂です。トンネルを抜けると出口のすぐ側に登り道があったので、絶景ポイントを期待して登って行きました。どうやらトンネルの上の林に登っていく道のようで、無駄足になるのも嫌なので断念しました。

イメージ

↓坂の途中の木々の隙間から見えた風景です。
イメージ

改めてトンネルの先の坂を下りて駐在さんに教えてもらった絶景ポイントに向かいます。トンネルから1キロもないところにある湯原海水浴場です。周防大島と笹佐島に挟まれて遠く大島大橋が見えます。

イメージ

イメージ

更に南下すると周防大島の東側が見えるポイントがあります。周防大島はおたまじゃくしのような形の島で、西側が頭で東側が尻尾です。周囲200キロのこの島の大きさを感じます。次回は走りたいと思います。

イメージ

周防大島の尻尾部分が見えるのは半島のかなり南に来たことを意味します。急激に道幅が狭くなる坂道を登って下りると更に海が綺麗に、そして風景がシンプルになります。

イメージ

↓海が綺麗に
イメージ

↓風景がシンプルに
イメージ

↓また登って
イメージ

↓また下りて
イメージ

柳井市と上関町の境界付近に「池の浦道路公園」という公園があります。池の浦は源平が戦った古戦場があり合戦のことが石碑に書かれています。

イメージ

公園駐車場の横に急坂の遊歩道があり、坂を登っていくと更に階段があり階段を上ると展望台がありました。そこからの眺望がすばらしく感動的です。

↓周防大島を望む
イメージ

イメージ

ここまでの写真を見て気が付くと思いますが、車も人もほとんど通りません。上関には半島の西側を行くのが一般で東側からは少ないとのこと。道も景色も独り占めですが、トラブル時のことを考えると少し心細い感じはしました。

池の浦トンネルを抜けて上関町に入ります。交通量は相当少ないのに道も沿道も手入れされていて綺麗なことに感心しました。

イメージ

久しぶりに町中に入りました。上関町は室津半島の南端の室津地区と上関大橋で繋がっている長島の北東端の上関地区を中心に、幾つかの島島で構成されています。長島の南西端には上関原発の開発予定地があり、何十年にも渡り反対派と推進派の間で町を2分してきた歴史があり今だ平行線とのこと。

イメージ

上関大橋の側には吉田松陰の歌碑がありました。浦賀で黒船を見た松陰は、密航で外国へ行くために長崎に向かう途中、ここに寄って詠んだ歌とのこと。

イメージ

しばし歌碑を眺めた後、橋を渡りました。渡ってすぐに一気の下り坂で上関港に出ました。上関町役場のある家も多く立ち並ぶ町です。とりあえず海岸線に沿って行けるところまで行こうと走り続けたところ、町の外れから山の方に向かう登り坂がありました。ここを登れば先ほどの坂を登らなくていいかも、と思いながら何となく登り始めました。登っていくとなにやら工事をやっている場所に来ました。工事車両の見張りをしている人がいたので聞くと、この先に展望台を建設予定でそこまでの道を舗装しているところだとのこと。

イメージ

工事中なら行っても仕方ないと思い室津に戻ることにしました。標高を保ったまま橋に戻りたかったのですが、結局港まで下りて登り直すことになりました。この下りは途中から集落の中の狭い急坂を行くことになり、ワイヤーが切れるのが心配になる程思い切りブレーキをかけないとならない状況でした。あっという間に港についたのですが、かなり怖い思いをしました。

イメージ

室津に戻り従兄との待ち合わせは「鳩子の湯」という町営の日帰り温泉施設でした。露天風呂からは上関大橋が一望でき、ゆったりとしたとてもいいお風呂です。1974年のNHK朝ドラの「鳩子の海」の鳩子で、幼少期の舞台がここ上関だったことは初めて知りました。

余談ですが、昨年周防大島の断水時には多くの島民がこの「鳩子の湯」に入浴に来たとのことです。島と上関の友好関係が良好で、無償で受け入れたと聞きました。

この日は伯父の妹の家に泊めていただくことになっていました。鳩子の湯から数100mの坂道登った丘の上にある一軒家でした。ロケーションとビューがあまりにも素晴らしい。庭からは上関の町が一望でき、南側は晴れていれば広く四国や九州まで見ることができるとのこと。

イメージ

イメージ

イメージ

来てよかった!と心底思いました。ここに来た想い出は私の宝です。

《走行の記録》
イメージ

距離

66.9km

最大標高差

150m

平均斜度

全体:0%
上り:4.1%
下り:3.9%

獲得標高

上り:603m
下り:586m

日時

2019年3月12日 09:57:22
〜 2019年3月12日 15:56:43

「輪行&サイクリング 上関〜とびしま海道〜今治」に続く

転載元転載元: smi*agoのブログ

開く コメント(0)

特別な存在である 従って自由気ままに結婚することは 適切でない。


佳子さま 小室さん結婚に賛成…まさかの表明で秋篠宮家に亀裂



佳子さま 小室さん結婚に賛成…まさかの表明で秋篠宮家に亀裂
佳子さま 小室さん結婚に賛成…まさかの表明で秋篠宮家に亀裂の画像

「充実した学生生活を送ることができ、感謝しています」

3月22日の、ICU(国際基督教大学)の卒業式。早朝、キャンパスにお見えになった佳子さまは、集まった記者たちにすがすがしい笑顔を見せられた。
佳子さまは学習院大学を2年生の夏に中退し、姉の眞子さまと同じICUを受験。20歳で再入学されている。
「佳子さまは、高校生の時に学習院とは別の大学を受験して不合格になっていたのです。幼稚園から学習院で過ごし『限られた一つの環境しか経験できていない』と悩んでいらしたという佳子さまにとって、ICUでのキャンパスライフは悲願でした。一昨年はイギリス・リーズ大学への留学も経験されました。佳子さまの満面の笑みが、たいへん充実した4年間だったことを物語っています」(皇室担当記者)
しかし、この日発表された佳子さまの「大学ご卒業に当たってのご回答」は記者たちに衝撃を与えていた。皇室ジャーナリストも驚きを隠さない。
「事前に宮内記者会が質問を提出していたのですが、その中に《眞子さまは、結婚に関する儀式を延期されていますが、家族としてどのように受け止めていらっしゃいますか》という一節がありました。ノーコメントもありうるという記者たちの予想に反し、佳子さまのご回答は、秋篠宮ご夫妻のお考えに真っ向から対立するものだったのです」
佳子さまは、眞子さまと小室圭さんの結婚について率直にこう記されたのだ。
《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》
皇室担当記者が言う。
「秋篠宮さまは昨年11月の会見で小室さんに対し、婚約には《多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況》が必要だと明言されました。小室家の金銭トラブルとあまりに不十分な経緯説明、突然のアメリカ留学によって、秋篠宮ご夫妻は不信感を募らせました。“国民の祝福”という条件を突きつけることで、小室さんに婚約辞退を迫ったといっても過言ではありません。一方で佳子さまは、眞子さまのお気持ちが何より重要とのお考えを明確にされました。眞子さまは、いまも小室さんとの結婚の意志は変わっていないといいます。すなわち佳子さまは、眞子さまと小室さんの結婚に賛成を表明されたと言えます。佳子さまの“姉妹共闘宣言”は秋篠宮ご夫妻にとっては、大誤算だったことでしょう」
女性皇族の“お相手選び”は、ご本人の希望だけで決まってよいものなのか――。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう語る。
「たしかに女性皇族の場合、ご結婚は法的にプライベートなことと位置づけられています。ただ、私たち国民と決定的に違うのは、結婚後も生涯にわたって品位を保つことが求められる点です。そのために1億円を超える『一時金』も国庫から支給されます。今年1月まで1年以上も金銭トラブルについての説明をしてこなかった小室さんに、国民も強い不信感を抱いています。秋篠宮殿下はこの国民感情を配慮されているのでしょう」
佳子さまのICU卒業という、未来への期待を感じさせる節目。だがその日に、秋篠宮ご夫妻と眞子さま・佳子さま姉妹の深刻な亀裂が表面化してしまったのだ――。

転載元転載元: 相次ぐ政権不祥事・日本国議会政治の危機

開く コメント(0)

全95ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事