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何でも武装した4人組の男が襲撃したらしいけど、 幸いにも企ては失敗し、うち3人は死亡して残りの1人は逮捕されたとのこと。 ただ、大使館の守衛が1人亡くなった他、一般人にも負傷者が出た。 とりあえず、ボクは無事です。 どうかご安心を。 ただ、今回の事件はシリアの協力隊員にとっては衝撃的だった。 何しろ現場はJICA事務所から300メートルくらい。 地方の隊員が寝泊りするドミトリーからは、なんと100メートルくらい。 ボクにとっては毎日の通勤経路でもあり、 数ヶ月前まで週に3回くらい語学を習っていた施設でもある。 それほど身近な場所で銃撃戦が起こり、 BBCのヘッドラインとして繰り返し報道されている。 これは何とも言えない気分になります・・・ ただ、一方で今回の一件は 必要以上にマスコミの注目を集めた気もする。 半年ほど前にも似たような事件があったけど、 その時は海外のメディアはほとんど動いていなかった。 やっぱり9・11から5年と1日目というタイミングと、 アメリカ大使館という場所があまりにも象徴的だったんだろう。 「ま、毎年1回くらいは起こってること。心配することないよ」 友人のシリア人たちは、そんな感じで涼しい顔をしてる。 さっき現場を車で通りかかったけど、銃痕とかは生々しかったけど、 他には警備が若干厳重になってたくらいで、特に変な様子じゃなかった。 周辺の出店は、いつも通りサボテンを食べる人たちで賑わってたしね。 そんな感じです。
現場よりお伝えしました。 |
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レバノン戦争の停戦から1ヶ月が経とうとしている。 そして、嬉しいことに、この停戦はこれまで無事守られている。 ただ一方で、レバノンで起きた悲劇から人々の関心が薄れているのも事実。 隣国シリアでも、ヒズボラを褒め称える話ばかり先行して レバノンの受けた被害についての話題は減ったような気がする。 ただ、復興支援ってものは、心ある人の手によって確実に続けられている。 支援物資を載せてレバノンに向かうトラックを、シリアでは今も頻繁に見かける。 それにしても、復興支援って本当に大変な仕事だと思う。 緊急援助ってのは人々の関心を集めて割と華々しいモノだけど、 復興支援は長期的なスパンで辛抱強く地味な活動を続ける必要がある。 それに、事態が落ち着いてから本格化するから支援も得にくい。 早いもので、9・11からもうすぐ5年の月日が経つ。 この5年間で、世界は確実に間違った方向へと突き進み、 数え切れないほどの悲劇が起こり、それが関心を集めては忘れ去られてきた。 でも、その忘れ去られた悲劇は、間違いなく現在進行形で人々を苦しめている。 「忘れないで、アフガニスタン」 こんな活動を、ボクは心から応援したい。 さて、ふたたびレバノン復興支援に話を戻そう。 以前の記事に、日本はレバノン支援にあまり積極的でないと書いたけど、 実はいくつかの日本のNGOが現地で必死に活動を始めていた。 それを知ってボクは本当に嬉しくなって、 何か手伝えることがないかとNGOと連絡を取ったりしていた。 が、そんな矢先、残念なニュースが届いた。 JEN(ジェン)というNGOの一員として 事前調査のためレバノン入りしていた日本人、 湯浅敏広さん(52歳)が急病で逝去されたのだ。 湯浅さんは札幌で小学校の教員を務めた後、 アフリカなどでの難民支援にずっと取り組んできた方だ。 そして、ボクたち青年海外協力隊の先輩でもある。 緊急援助の現場で亡くなった湯浅さんに、 後輩として心から尊敬と哀悼の意を表したい。 そして、湯浅さんの見ることができなかった 「平和なレバノン」が一刻も早く実現することを心から願いたい。 湯浅さんの所属していたJENへの支援はココ
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今日は、これまで取り組んできた夏休みエコクラブ活動の最終回だった。 学校の周りの清掃活動、ペットボトル工作に水質検査体験、 それに下水処理場への社会科見学など、ほんとに色んなことにトライした。 もちろん問題点・改善点を挙げたらキリがないけど、 最終回を終えた今、やっぱり何とも言えない達成感がある。 そんな周囲の声に、当初は活動の自然消滅すら懸念もしていた。 でも、終わってみれば15人くらいの子供たちが安定して出席し続けてくれた。 15回の活動に全出席してくれた ワーエル(10歳) 家族旅行中もエコクラブのために戻ってきてくれた アリジ(9歳) いつも興奮しすぎて30分前には来ちゃう ミレ(10歳) とにかくいっつも笑ってる バッシャール(10歳) 他にも沢山の子供たちが、いつも笑顔でボクを迎えてくれた。 この笑顔のために、ボクはここまで頑張ってこれたと思う。 これまでの感謝の気持ちを込めて、 今日は生徒たちのために卒業証書の授与式をした。 (上の写真で子供たちが持ってるのが賞状) 正直、かなり感動的でした。ちょっと泣いた。 こういう活動がシリア全体に広まっていけば、 環境の観点からも教育の観点からも、どんなにいいだろうと思う。 残りの期間は、これまでやってきた経験を無駄にしないよう、 今までの活動のまとめと広報活動、それから引継ぎに精を出していきたい。 というわけで、まだまだ頑張りまーす!!
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協力隊の期間中って、かなりの頻度で空港に行くもんだ。 先輩隊員の見送り、新隊員の出迎え、訪ねてくれた友人の送迎・・・ これまで、かなりの出会いと別れを経験してきた。 でも、昨日の見送りは特別なものだった。 仲の良かったシリア人の友達が、中国へと旅立っていったのだ。 彼女の名前はハーラ。 日本語を専攻している大学1年生だ。 これまでボクの活動を手伝ってくれていたのだけど、 自分で考えて行動し、堂々と自分の意見を主張できる彼女は、 他の友人たちと比べても一際目立つ存在だった。 そんな彼女が、3ヶ月前くらいに打ち明けてくれた話。 突然の話に、ボクは最初何かの冗談だと思った。 日本語を学んでる彼女が、なんで中国で医学を学ぶのか意味不明だった。 でも、彼女は本気だった。 彼女は以前から医学を志していたのだ。 数年前に、彼女は癌で祖母を亡くしている。 その時に大好きな祖母が苦しみながら亡くなる姿を見て以来、 癌の有効な治療法を見つけることが一生の目標になったらしい。 でも、シリアの一発勝負の入試システムで大学受験に失敗してしまい、 彼女は仕方なく文学部の日本語学科に入学することになったのだ。 (この国は成績に応じて自動的に学部が決まり、浪人するケースはごく稀) 一方、彼女の祖父は世界初のアラビア語・中国語の辞書を書いた著名人。 (何でも執筆が終わってシリアに帰国した翌日に亡くなったとか…。) 中国大使館から「○○先生のお孫さんなら是非」と奨学金の申し出があり、 中国での医学再挑戦の話がトントン拍子で進んでいったというわけだ。 語学研修・医学部・臨床研修を合わせれば、 最低でも7年間はかかる未知の国への留学。 そんな格好よすぎることを言い放って 旅立つたった18歳の少女に、ボクは心の底から感動した。 空港の出発ゲートで最後に見た彼女の顔は、 寂しさを顔に滲ませながらも、大きな夢を見据えて キラキラ輝いていたような気がする。 「こんなヤツがいれば、シリアの将来も明るいかもな」 彼女を見送りながら、そんなことを考えたのでした。 あーぁ、俺も負けてらんないなぁ…。 あんま関係ないけど、お呼ばれしたダンスパーティーで 踊る超セクシーなハーラの妹。なんと14歳の中学生… いやはや、みんなスゲーなぁ…
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前回の任期短縮の記事には、沢山の人から 温かいメールやコメントを頂きました。 本当に感動しました。ありがとうございます。 残りの期間も悔いのないように活動を頑張ります。 そして、シリアでの生活も思う存分満喫しようと思います!! さて、今回はあまり紹介してこなかった 首都ダマスカスでの日常生活について書いてみる。 この国は野菜・果物がとにかく安い。 でもって、安いのにメチャクチャ美味い。 なんでも、水不足に悩まされてはいるものの、 土壌そのものは野菜の栽培に適しているのだとか。 この感動を、スイカを例にとって説明。 日本では割と高級なイメージのあるスイカだけど、 シリアでは何と1キロが5シリアポンド(約10円)で買える。 10キロくらいの巨大スイカも100円なり。 もう、いくらでも割り放題やね。 ということで、売られ方もヒドいわけです… こんな風に車でいい加減に運ばれて、 こんな風にいい加減に道路で売られたりもしちゃう。 食べると本当においしいのにね・・・ いやはや、日本じゃ絶対に考えられないです。 参考までに、他の野菜・果物も1キロの値段はこんな感じ。 きゅうり‐20円、トマト‐30円 メロン‐30円、ブドウ‐40円 サクランボ‐150円 とにかく、安いのです。 ちょっと近所の市場も紹介。 ここは「金曜市場」って呼ばれる市場で、 アラブの休日である金曜にも営業している貴重な場所。 こんなところが徒歩3分で、生活は超便利です。 今日は特に気合いを入れて買い込んでみた。 これで、〆て150シリアポンド(約300円)なり。 安い。安すぎる・・・ って、日本ではずっと実家暮らしをしてきたから 日本での野菜の値段の相場とか知らないんだけどね… その分、何だか日本のスーパーに行くのが怖いです。 最後に問題。これは何でしょう? 今は専門の露店まで沢山出ていて、シリア人はみんな夢中です。 日本じゃあまり食べないモノで、写真は皮を剥いた状態。 甘くてジューシーで、なかなかおいしいです。 1キロ100シリアポンド(200円)と、かなりの高級品です。 正解は下のコメント欄に後日書きます。
当たっても特に何もあげません。 |



