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何やら日本でも解散だ自民党の分裂だなどと政界が混乱を極めているようだけど、 こちらシリアの農村でも、選挙によってかなりの混乱と分裂とが巻き起こったのだった。 (選挙の概要は前回記事参照→http://blogs.yahoo.co.jp/daichi_syria/8733283.html) ちょっと細かい話になってしまうけど、我がギルギス村には FIRDOS委員(僕のNGOの村レベルでのボランティア)がちょっと前まで15人いた。 が、今回はFIRDOS本部の決定でその定員が7人と大幅に減らされることとなった。 委員会の「効率」とか、「迅速性」ってものを求めてのことだった。 でも、このことがギルギス村では大問題に発展してしまった。 イスラムの農村は一般的にいくつかの血縁集団(簡単に言えば同じ苗字)で構成されている。 ギルギス村もその例に漏れず総人口2600人が10ほどの血縁集団で構成されていて、 それぞれの血縁集団の中で結束が固いという傾向がある(同族結婚が奨励されてるし…)。 なんで、選挙でも当然 「うちの一族から何としても委員を出さねば・・・」 という考え方になるわけだ。 http://www.geocities.jp/al_quneitra/IMG_1510-s.jpg ↑暇な村人たちは準備室にも野次馬にやってくる。 見ても意味ねーだろ!!しかも何でそんな笑ってんだよ!! 前回の記事にも書いたが、民主主義という概念は今回の選挙のスローガンのようになっている。 ちなみに、アラブの国々で民主主義は一般的に「デモクラティーエ」と呼ばれている。 さて、この「デモクラティーエ」ってのは、結局は単なる数の論理でしかない。 小さな家族からは委員が選出されないってことは、選挙が始まる前から分かっているわけである。 ギルギス村の小さな血縁集団は、「デモクラティーエ」の前に強制的に姿を消されたのだった。 (もちろん問題はここまで単純ではないのだが・・・) 当然、選挙会場は大いに荒れた。 開票中も野次罵声が飛び交い、今にも殴り合いが起きそうな雰囲気だった。 僕のところにも男が目を血走らせてやってきて、 「こんな選挙は意味がない。何がデモクラティーエだ!」と叫んでいた。これは僕にはあまりにも衝撃的な言葉だった…。ともあれ、今回の選挙は結果としてかなりのしこりを残したことになると思う。 まずはFIRDOSに対する協力体制に温度差を作ってしまったし、 何より村の血縁集団間の関係を悪化させてしまったような気がしてならない。 良かれと思ってやっていることが、逆に悪影響を与えてしまったのである。 「効率」「迅速性」という言葉にも言えることだけど、 欧米や日本などの先進国で当然として語られているからって、 それを「普遍の真理」と考えてしまうのは思い上がりなんじゃないかと思う。 結局は、単に自分達の論理を押し付けているだけな気がしてくる…。 「デモクラティーエ」という言葉を見ればわかるように、この言葉は完全に外来語だ。 アラブ世界にはもともと民主主義という概念はなかったわけだ。 それを急に押し付けようとしても、これまでのシステムと抵触するのは明らかだ。 僕の浅い知識を紐解いても、日本では一時期「民本主義」と訳されたりもしながら、 いわば「日本型の民主主義」が長時間かけて作りあげられてきたように思う。 もしも性急に押し付けられたら、当然拒絶反応が出てくる。 現在米国が必死でやってる「中東の民主化」も、大規模な拒絶反応を引き起こしてる。 無論あの問題をそんな簡単な論理で片付けてしまってはいけないと思うけど、 今回僕が「中東の民主化」の最先端に立ってみて、何とも言えない違和感を感じてしまった。 米国嫌いのシリア人たちが、選挙会場で口々に「デモクラティーエ、デモクラティーエ」と
必死に叫んでいた光景が、僕にはあまりにも皮肉に映ってしまってしょうがなかった。 |
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2005年08月10日
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