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2004.10.01 この頃は私は広島県で仕事をしていました。 当初3か月だけという約束の仕事は2年になり、この日も遅くまで仕事をしていました。 そんな中飛び込んできた訃報。 呆然とし、鼓動が大きくなったことを今も憶えています。 私がシンセサイザーの鮮烈な音楽と出会ったのが1979年のYMOイエロー・マジック・オーケストラのテクノポリス。 さらにライディーンを聴いてますますシンセサイザー音楽のとりこになってしまいました。 そして氏の音楽と出会ったのは1981年。 FM福岡で流れて来たメロディが印象に残り、レコードを買いました。 (1) この曲は、その好きになった原点。 それから二十数年の熱烈なファンになり、遠くのコンサートへもよく行きました。 (2) 氏の音楽で青春時代を過ごしたこと、多くの仲間と出会えたことを忘れぬよう、今もパソコンを見上げた壁には、氏から頂いた色紙が、氏のやさしく微笑んだ姿とともに我が家を見つめてくれています。 (3) 氏が亡くなったあとは、もう熱中できる音楽には出会えないと思っていました。 それでも失恋を忘れるには新しい恋をするしかない、ではないけれど 「涙そうそう」という歌に出会えてずいぶんと救われました。 弱ったときは言葉が身に染みる音楽を聴いてもいいのだと思ったものでした。 10/2に既になってしまったけど、今日は氏のことを思い出しています。
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