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アップのタイミングを外してしまいましたが、桜が満開となった3/24に熊本城通り抜けに行って来ました。 (1) (2) 天守閣などの修復が進む中、まだ門や櫓は一年前と変わっていませんでした。 (3) でも、桜が美しい熊本城へ多くに人が訪れてました。 (4) (5) 武将隊も盛り上げてました。 (6) 荒れてきてる。。 (7) 被害があまりない櫓との差が大きい。 (8) (9) (10) (11) 1年前は入れなかった場所に今回は入れ、よりいっそう地震の爪痕を間近に感じました。 (12) 天守閣は最優先で修復中。。 (13) 宙に浮いてるよう。。 (14) (15) (16) 外周を廻って加藤神社まで行きます。 (17) 何度となく報道された戌亥櫓。 (18) よく支えているなと思う。 (19) 櫓の右手は悲惨な状況のまま。 (20) ここも昨年は入れなかった場所でした。 (21) 加藤神社。 (22) ここからがイチバン天守を望めます。 (23) (24) (25) 天守閣は来年・2019年に復旧の計画で進んでいます。 全体は20年かかるらしい。。
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鞆の浦。 ここは竜馬が、歴史でいう「いろは丸事件」で紀州藩と談判をした地。 竜馬率いる海援隊が「いろは丸」という伊予大洲藩の船を運用して長崎から大阪に向かってる最中に、岡山笠岡付近で紀州藩明光丸と衝突。 (1) 大破した「いろは丸」は明光丸に曳航され、ドックがある鞆の浦に向かったが途中で沈没。 竜馬たちは賠償を求めるべく鞆の浦で紀州藩と対峙した。 交渉は魚屋萬蔵(うおやまんぞう)宅で開始され、次にここ對潮楼(たいちょうろう)で行われた。 (2) 對潮楼前にある龍馬と観音像。 (3) 前に来たときは気づかなかった。。 (4) 對潮楼は江戸時代は朝鮮通信使(外交使節団)の迎賓館でもあった。 (5) 對潮楼に隣接する福禅寺(ふくぜんじ)本堂。 (6) 對潮楼はこの右奥。 (7) 室内からの風景(^_^) (8) いい景色だけど、きっと竜馬たちは風景を楽しむ余裕もなかったんだろうな。 (9) (10) 結果的に紀州藩は交渉を打ち切り、長崎へ出航。 舞台は長崎へ移る。 長崎では土佐藩の参政後藤象二郎が加わり、紀州藩と談判した。 万国公法と「船を沈めたその償いは金を取らずに国を取る」の流行歌を背景に、ついに紀州藩から8万3千両あまりの賠償金をとることになった。 賠償金はその後7万両に値切られたが、竜馬が暗殺される一週間くらい前に支払われた。 竜馬たちが「亀山社中」から土佐藩と連携し「海援隊」と改編していたことが、後藤の援護(土佐藩の家老であるという影響力)を得て、より交渉力をアップしていたのではないかと思う。 (11) 對潮楼で交渉を行う前に交渉をしていたのがこの魚屋萬蔵宅。 (12) (13) 今は宿であり、食事もできる店になってます。 (14) 鯛茶漬けがおいしかった(^_^) (15) (16) いろは丸展示館へ向かいます。 (17) (18) 常夜燈。 (19) 展示館。 (20) 昭和63年に海底で発見された「いろは丸」を調査している風景を再現。 (21) 色んなものが引き上げられてました。 (22) (23) (24) 展示物もさることながら、衝突の状況を詳細に分析している説明が興味深かった。 2階には竜馬が滞在した桝屋清右衛門宅の隠し部屋にいる龍馬がいた。 (25) つづく。
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