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先週、長崎に帰ったとき、上野彦馬関連の場所を少し廻りましたので紹介します。 上野彦馬は坂本竜馬の写真など撮った幕末のカメラマンです。 竜馬の写真としては、スタジオで台にもたれかかって撮ったのが有名ですね。 ※私の所属する亀山社中ば活かす会のHPに写真をリンクしておきます。 http://www32.ocn.ne.jp/~himekami_kyusyu/kameyama/hajimeni/hajimeni.html 少し前にテレビで「竜馬を撮った男」という番組がありました。 現役のプロカメラマンが上野彦馬のゆかりの地を廻り、また上野彦馬を再現で紹介するという内容のもので、とても面白かったです。 その番組を観たので上野彦馬のことが少しだけ分かりました。 今回、菜の花忌に行くまでにちょうどゆかりの地も通るので観て廻りました。 長崎玉屋の真向かいにある駐車場に我が家はいつも駐車します。 その電車どおりの裏手には、眼鏡橋で有名な中島川が流れており、その袂に当時の上野彦馬スタジオがあったようです。 駐車場の一角には自宅跡の碑が立ってます。 そのスグソバに、スタジオをモチーフとしたスペースが昨年出来ました。 ここに竜馬も撮影したスタジオがあったわけですね。 ここで記念に撮影も出来ます。もちろんご自分のカメラですよ。 最初の一枚で紹介した記念碑は、今はこのような駐車場になってます。 中島川は昭和57年7月のの長崎大水害で橋も流されましたが、今はまた多くの橋が川を跨いでいます。 川の姿は変わりましたが、上野彦馬も中島川を撮った写真を残していますね。 前回、菜の花忌の模様を紹介しましたが、上野彦馬が眠っている場所は、竜馬の銅像・司馬さん文学碑がある風頭(かざがしら)公園の敷地内にあり、しかもスグそばにあります。 長崎では、さるく博といって、街並みをテーマごとに散策するというイベントが定着しており、この日も上野彦馬墓前にも見学者の姿がありました。 上野彦馬の墓から、竜馬銅像前広場を望みます。 この場所の近くに竜馬の銅像が立ってるなんて、不思議な縁ですね。 最後に上野彦馬の銅像を紹介します。 銅像は長崎奉行所跡の近くにあります。 諏訪神社方面から歩いてくると、公園入口に来ますが、ここの更に上に目を向けると銅像があります。 銅像と書きましたが、胸像ですね。 ※実はカメラが故障してしまいましたので、少し前に撮影した写真で紹介します。 先ほど書いた奉行所跡の右手上のほうです。 立派な胸像です。 横にはシーボルト関連の碑も建ってます。 今度は久しぶりにシーボルト記念館に行こうかな。。
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坂本龍馬・亀山社中
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2/12は作家・司馬遼太郎さんの命日。 お好きだった菜の花にちなんで、菜の花忌と呼ばれています。 私が所属する長崎・亀山社中ば活かす会(以降、会)も今年で14回目の菜の花忌を開催しました。 開始は11時。 菜の花忌は「竜馬がゆく」文学碑前で行います。 文学碑は風頭(かざがしら)公園内になり、同じスペースには坂本龍馬像もあります。 私は会の撮影担当なので下見にちょっと早めに来ました。 雪が舞い寒い中で催行することになりそうな雰囲気です。。 余談ですが、この銅像・文学碑の前にはずっと前から大木がありました。 木を切ってもらえたら目の前に広がる景観が良くなるのでありがたいとお願いして来てましたが、なかなかそうも行かず。。 ところが、2010年、大河ドラマが龍馬伝になったからかどうか分かりませんが、木は切られすばらしい景観が見れるようになったのです。 ありがたいものです。 定刻11時になり菜の花忌を始めます。 最初に菜の花忌の進行などを説明し、来賓者の紹介等を行います。 つづけて、本日の朗読者の児童の校長先生のご挨拶。 菜の花忌では司馬さんの作品を朗読します。 実は私も数年前、「竜馬がゆく」の一節を朗読しました。 朗読前に、文学碑の説明を行います。 今回も報道各社が取材に来ており、児童たちも張り切って読んでくれるでしょう。 「二十一世紀に生きる君たちへ」を4名で順番に読んで行きます。 実に声が通っていて、いい朗読でした。 朗読の次は、文学碑・司馬さんに菜の花を供えます。 菜の花は50本用意してます。 この菜の花、司馬財団(司馬遼太郎記念館)さんから頂いたタネから育て、毎年その花を供えているんです。 今年はちょっと寒かったせいか、花が少なくて残念でした。 花は最後、希望者に配布します。 インタビューを受ける会のメンバー。 織田幹事は龍馬伝にも携わりました。 今日は主役でなかった龍馬像。 大河ドラマは終わったとはいえ、すごい人気で、菜の花忌を開催している間も多くの観光客が訪れました。 下からココまで登るのは一苦労ですが、爽快な気分で龍馬像を望めます。 菜の花忌が終わり、会の次の行事は4月の総会+花見。 今年は去年に比べサクラが若干遅れそうなので、満開の下で楽しめるかなあと思ってます。 |
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我が家は長崎の市民団体・亀山社中ば活かす会に入ってます。 龍馬・亀山社中だけでなく、坂本龍馬を中心として地域活性化にも力を入れてます。 会報を出してます。 ここ数年ペースが落ちましたが、水曜日にCD-Rが届いたのでHPにアップしました。 そして今日は会報(冊子)が我が家に届きました。 そして、もうすぐ司馬遼太郎さんの命日です。 長崎でも毎年、「菜の花忌」と称して、故人を偲ぶ催しをしています。 詳細はコチラ。 http://www32.ocn.ne.jp/~himekami_kyusyu/kameyama/info/info.html#P27 我が家は今年も春の訪れを長崎から感じます。
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初詣で若宮神社を参詣してから龍馬通りを降って寺町通りへ。 そこを道なりに進むと数多くのお寺があります。 その中のひとつ、皓台寺(こうだいじ)に立ち寄ります。 ここに近藤長次郎が眠っています。 近藤長次郎は龍馬の亀山社中で活躍した人物ですが、密航が露見し、小曽根邸で切腹して果てました。 大河ドラマでは大泉洋さんが演じています。 その皓台寺は寺町通りの端のほうにあります。 この日は残雪が残っており、その風情もありました。 説明文、あります。 お参りしたいけど、3社を決めているのでお参りせず、近藤の墓へ向かいます。 この山門をくぐり、さらに奥へ進みます。 ちなみにここは春のサクラが美しいところです。 突き当たると墓地があり、ここを上に登ります。 長崎は色々見ようと思うと坂を登るのが多いです。 しばらく登ると案内板が見えてきます。 その先には小曽根家の墓地が。 上の写真でも見えてますが、入口の左手に墓碑があります。 その隣に近藤の墓があります。 まだ新しい花が供えてあり、少し前に訪れた人の名残を感じられます。 我が家もお参りしました。 皓台寺を出て、今度は観光通りを目指します。 観光通方面にアーケードを進んでいくと、横道に50メートルほど入ると清風亭の跡地があります。 案内板にも書いてありましたが、龍馬は後藤象二郎と会談した中で、過去にとらわれず未来を語った後藤に好感を得たようです。 今は駐車場になっており、当時の面影はありません。 中央橋へ向かいます。 その中央橋の袂のチンチン電車駅前に土佐商会跡があります。 以前はここは藪の中に句碑があるだけでしたが、龍馬伝のおかげでしょうか、整地されてました。 夕顔丸の碑まで出来てました。 こうやって長崎の史跡を少しずつ廻ろうと思ってます。 一度は訪れたことがあるところも多いですが、久しぶりに行ってみると新しい発見があったりします。 2010年は龍馬伝の影響で、色々と新しいモノ、また整備があり、見て廻るのも楽しくなりました。
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NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送が終わり、2週間が過ぎようとしています。 最初は史実と異なる部分が多い展開に戸惑っていた私も、話が進んでいくにつれて龍馬伝のとりこになって行きました。 史実は大半が全体のわずかであるというのも事実なわけで、例えば坂本龍馬という人物の伝承は龍馬の書いた手紙だったり、龍馬を取り巻く環境の人物の手紙や日記、公記の記載項目だったりするわけです。 ちなみに龍馬の最期は、3日後に亡くなった中岡慎太郎の記憶・証言が裏づけとなっています。 司馬遼太郎さんの名作「竜馬がゆく」も、実際は龍馬が言ったわけでもなく、司馬さんが取材の結晶として ”竜馬ならこう言っただろう”ということを小説にしたのだと思います。 今回の「龍馬伝」も脚本・福田さんの想いではなかろうかと、私は想像しています。 私の勤務する会社社長の先日の会議で、 「何の仕事をしたかではなく、どんな気持ちでしたかが重要である」 という言葉がありました。 今回の龍馬伝は、まさしくそうじゃないかなと思いました。 高校時代に「竜馬がゆく」を読んでから龍馬ファンになった頃から、知識はたっぷり頭に入って来ています。 それは「何をしたか」であり、成し遂げた事実と龍馬への賛美・尊敬から龍馬好きは来ていました。 今回のドラマはこれまでとは違うなと感じてます。 龍馬が立ち向かう目の前のこと、それを成し遂げるまでの気持ちの動き、葛藤、表情、色んなものが坂本龍馬という人物が「どんな気持ちでしたか」ということを教えてくれたドラマだったのではないかと。 「龍馬伝」が終わってから、皆さんはどんな気持ちで過ごされてますか? 私は龍馬が死んでしまって、とても寂しい想いです。 ドラマを見て行くうちに、私もその場にいた気持ちになっていました。 ドラマが終わって1週間経ち、忘れようとしている頃にまたクルマで龍馬伝のサントラを聞くのです。 そうすると、数々のシーンが浮かんできて、また龍馬が死んでしまったことに哀しみを覚えるのです。 すごい偶然がありました。 最終回の前にかみさんと、最終回はどんな感じになると思う?とお互いに想いを会話してました。 逆に言うと、それは想像ではなく希望なのです。 こんな終わり方をしてほしいという希望なのです。 私は、龍馬が斬られた瞬間に場面が移り、高杉や武市が出迎え、楽しそうに会っている竜馬の姿を考えてました。 だから、最終回のオープニングは声を挙げるくらいうれしかった。 龍馬は天国で幸せに暮らしているんだと。 ストーリーでは龍馬の白昼夢でしたが、私はそう思ってます。 龍馬が生まれた日は天保6年11月15日です。 そして亡くなったのは慶応3年11月15日です。 これを西暦に直すと、1836年1月3日が誕生日、1867年12月10日が命日ということになります。 つまり、西暦では、もう日付が変わってしまいましたが昨日が命日だったのです。 さらに、これは言葉遊びかもしれませんが、 龍馬が亡くなる「龍馬伝」の最終回の放送日は11月28日です。 そこから四十九日を数えると、来年の1月2日になります。 四十九日で天に昇った龍馬は、1月3日に生まれ(変わ)るのです。 そう思うと、何か、ドラマではありますが、龍馬が死んで哀しい思いをしているのも、もうすぐ思い出になれるような気がしてます。 たかがドラマ、されどドラマ。 坂本龍馬は福山雅治さんという人を媒体にして、私たちに想いを伝えたような気がします。 実に心に残るドラマでした。ありがとう。 さて、ここからは少し龍馬関連の写真を載せたいと思います。 (過去に載せたものも含んでいるかもしれません) だいぶん前に鹿児島の塩浸温泉で撮った、龍馬とおりょうの新婚の像です。 (この頃持ってた画質が悪いコンパクトデジカメでスミマセン) 毎年、このあたりで新婚旅行ウォークがあってますから、いつか我が家もまた歩きたいと思ってます。 牧園郵便局です。 ここのポストの上には龍馬とおりょうが座ってます。 (これまた古くて画質悪くてスミマセン) 長崎市内にあるおりょうの銅像です。 真木さんとはまた違った美しさを持った銅像です。 まちなか龍馬館に展示されていた龍馬像です。 次に紹介する風頭(かざがしら)公園の龍馬像と同じく彫刻家・山崎和國先生の作品。 これは五島に設置されている銅像の下作成のものだったでしょうか。 薩摩に向かう最中に遭難・沈没したワイル・ウエフ号に乗っていた池内蔵太ら犠牲者を鎮魂の想いで祈っている姿でしょうか。 長崎の龍馬像といえば、まずこの風頭公園の銅像でしょうね。 龍馬の目には、長崎港が映っているんでしょうね。 最終回で海援隊士が辞書を作っているシーンがありました。 HOPEとは?という問いに、こうあってほしいことという答え。辞書に入れないといけない、と。 また、龍馬がおりょうに宛てた手紙に「アイラブユウ」=大事な言葉だとありました。 その作成していた辞書がこれです。 「以呂波便覧」(いろはびんらん)といいます。 けっこう増刷されています。(写真は私の所属する会所蔵のものです) 我が家の玄関。 外から帰ると、龍馬が出迎えてくれます。 これまた古くて画質が悪いのですが、京都の龍馬・中岡慎太郎の墓です。 若い頃は毎年のように11月15日は行ってました。 私の所属する会(長崎)では、11月15日に近い休日に、若宮稲荷神社で生誕祭を執り行ってます。 厳粛かつおだやかにやってます。 「龍馬伝」では、ネコが出る場面が多かったと思います。 写真は亀山社中跡に通じる通称・龍馬通りですが、ネコが多いです。 脚本家の福田さんは、ドラマ製作前に当会資料展示場にも来訪されたと聞いてます。 ひょっとしたら、この道を歩いているときにたくさんのネコに出会い、ドラマの演出に加えられたのかなあ、と勝手な想像をしています。 最後に、夏撮った、長崎駅展示のパネル写真から1枚。 本当に感動をもらったドラマでした。
この週末は長崎に帰り、龍馬伝館に行こうと思います。 |




