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いろんな風景、まさしく色々になりましたので近いうちにカテゴリを分けたいと思います。 さて、本日11/12は例年通り長崎幕末祭がありました。 龍馬の誕生日&命日は11/15ですが、それに近い土日などにやっています。 その話は次回します。 今回は朝時間があったので会場に向かうまで少し歩いた風景をアップしたいと思います。 中島川を歩いて行くとたくさんの石橋に出会います。 しかしほとんどの橋は昭和57年の長崎大水害で流されて再建されました。 とはいえ、美しい姿を今も見せてくれてます。 福沢諭吉ゆかりのお寺。 境内にあるイチョウがきれいなんですが、もう少し待たないといけません。 川をのぞいてみると鯉がたくさん泳いでました。 この先にまた少し歩いてのぞくと、今度はカメもいました。 のどかです。 ここはイチョウがいい感じで色づきを進めてました。 もう少しです。 今日は天気もまずまずで、眼鏡橋が美しく映ってました。 我が家はここから左折し麹町商店街、そして寺町通方面に歩きます。 すると面白そうな自販機がありました。 これも龍馬伝の影響でしょうか。。 そうこうしているうちに龍馬通りの登り口。 ザクロが! 坂を登っていくと、亀山社中ゆかりの人物の案内板が迎えてくれます。 右は我が家が所属している市民団体の手作り。そうとう前に設置したもの。 俳句はその会員さんの詠んだ作品。 左は龍馬伝が始まるということで長崎市が設置したもの。 何度か登場させましたが、龍馬のぶーつ像です。 この像の後ろを振り返ると、ぶーつ像の説明板があります。 説明板には像を建てたときに募金を頂いた皆様の名前を刻んでいます。 ここからちょっと歩くと瓊浦(けいほ)高校が見えてきます。 下柳投手(福岡ダイエー⇒日本ハム⇒阪神)など、プロ野球選手を輩出した学校です。 ここまで来ると、亀山社中資料展示場、若宮稲荷神社はもうすぐです。
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長崎の風景
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前回紹介の浦上天守堂から南に少し歩くと爆心地公園があります。 公園には浦上天守堂の壁の一部も展示されてます。 そして爆心地。 1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、米軍爆撃機B29ボックスカーから投下されたプルトニュウム原子爆弾ファットマンがこの上空500メートルで爆発しました。 見学していると、「原爆を許すまじ」のメロディが聞こえてきました。 時計を見るとちょうど11時2分でした。 きっと毎日11時2分になるとこのメロディが流れているのでしょう。 公園には被爆した当時の地層等もあります。 その爆心地公園の近くには原爆資料館があります。 立て替えられたということで、子供の頃来たときの印象とは違いました。 展示も変わったようです。 触れてはいけないようですが撮影不可ではないようです。 被爆した建物・施設の展示や被爆後の長崎の様子を映しています。 これがファットマン。これが投下されたのです。 投下された時刻11時2分で止まった時計。 資料館では当時の様子をいろんな角度で見ることが出来ます。 教科書の学習だけでは分からないことがここにはあります。 一度はここをお訪ねになっていただければ。。 原爆資料館からさらに南へ移動します。 一本足の鳥居で有名な山王神社へ来ました。 この昇り口には数台止められるコインパーキングもあります。 原爆で半分は吹っ飛びましたが右側はそのまま残ってます。 脇には倒壊した部分が横たわってました。 鳥居の先には山王神社があります。 この楠木も被爆したkど、今はこのように立派になりました。 当時の写真と見比べてみると生物のチカラを感じます。 神社本殿。 振り返ると楠木の大きさがよく分かります。 なかなか行かなかった原爆関係の場所でしたが、行ってみてよかったなと思いました。
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先週末は長崎のかみさんの実家に帰ってました。 そのとき浦上周辺を巡りましたので紹介します。 まず平和記念像です。 彫刻家・北村西望(せいぼう)氏の作品で、右手は原爆の脅威、左手は平和、右足は原爆投下直後の静けさ、左足は原爆の恐怖をそれぞれ表現しているそうです。 また、目を閉じてますがこれは犠牲者の冥福を祈っているということ。 像の高さは10メートル近くあります。昭和30年建立。 像の両脇には折鶴が捧げられてます。 像の後ろには原爆に対する作者の言葉が書かれてます。 私はここを小学校の修学旅行以来訪れました。 平和公園の一角に平和記念像はあります。 像に背を向け噴水へ向かうと、まず左手に刑務所の跡があります。 爆心地に近いここでも多くの人が亡くなっています。 原爆で亡くなった方々へ祈りを捧げる記念碑です。 水がほしくて亡くなって行った人のために水を花にかけてくださいと側におられた係りの方から声が掛かります。 その向かい側には世界各国の平和を祈る像等が贈られてます。 噴水まで来ました。 のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
-あの日のある少女の手記から-
(「平和の泉」から転記)この言葉は誰もが聞き覚えがあると思います。 祈ります。 この後は浦上天守堂を見学しました。 天守堂が見える丘というのが整備されており、ちょうど正面に浦上天主堂が見えます。 ここから歩くこと数分。 天守堂は小高い丘にあります。 ここも原爆で壊れ、跡形もなくなったそうです。 昭和34年に再建。 石像も被爆してます。 この日は結婚式も行われえており平和だなあと感じました。 この後は爆心地へ向かいます。
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出島のつづきです。 出島の東側は従来からの史跡が残ってます。 バトミントン、ここでオランダ人がやって広まったのでしょうか。。 このミニチュアは昔からあります。 というか、昔はこれしかなかったように思います。 ここから門を出ると、このような建物の前に出ます。 この建物は国内最古のキリスト教の神学校だそうです。 神学校とは神学や宗教学を学ぶ学校だそうです。 これは明治に建てられました。 美しい建築物です。 夕景もきれいなんだろうなあ。。 その横にあるのは長崎旧内外クラブという建物でしたが、これは後で紹介します。 先に旧石倉にある資料館に入ります。 陶器や運搬されたであろう品々が展示されてます。 2Fには海をモチーフにした展示物。 これは咸臨丸(勝海舟がアメリカに渡った)のミニチュア。 船上のイメージかな。。 実はここはこのように竜馬関連の展示がされているのです。 なぜかというと、この資料館である旧石倉、オランダ商人ハットマン所有だったらしい。 そして、亀山社中から海援隊となった後、ここでミニエー銃の取引(買い付け)を行ったという記録が残っているらしいのです。もちろん、幕府には内密で買い付けるわけですから出島で取引をするのが当然だったのでしょう。竜馬がその場にいたという記録まではないそうですが。。 歴史の目撃者なんですね、この建物は。 出島の敷地内には、まだ発掘中のところもあります。 これからが楽しみです。 この道をまっすぐ戻ると最初の入口に行きます。 もういちど振り返り、景色を楽しんでおこうと思います。 そして出島を出て、扇の上の部分(バームクーヘンンの外側と言った方が分かりやすいかな)を歩きます。 これは先ほど後回しにした旧長崎内外クラブの建物。 今は1Fはレストラン、2Fは資料展示室になってますが、当時はグラバーの息子やリンガー(ちゃんぽんリンガーハットのリンガーですね)が外国人と日本人との交流の場として作ったもの。 おしゃれな建物でした。 神学校は外から撮ったほうがきれいにフレームに入るようです。 出島は見所たっぷりです。
ぜひ一度はご覧下さい。 |
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鎖国時代に唯一外国に開かれていた長崎・出島。 そこが今復元事業で19世紀の姿に戻ろうとしています。 学生時代に訪れたときは、ミニチュアの出島と石垣しかなかったと記憶してます。 それから20数年。 完成がいつになるのか明記されてませんが、徐々に一般公開の建物などが広がってます。 我が家が訪れた先週末、まだ復元作業中のところもありました。 いつものように玉屋の駐車場に車を止めます。 そして路面電車に乗り、目的地近く・築町で降り、まずは出島の外観を見ます。 扇形の左端にあたる部分を臨みます。 出島橋の先の石垣に婉曲した姿を確認出来ます。 そして今見ているところから右へ歩き、R499・海岸通に出ます。 これはそこからの写真。 扇形の左端から右端まで歩きました。 出島に入る前に石垣を見学。 17世紀に建築された当初は奥が出島の端。 右下に延びている部分は増築された部分。 石垣の組み方の違いで増築の回数が分かります。 3回増築されてます。 出島の中に入ります。 ルートが用意されてますが、まずは我が家は料理部屋へ。 出島では、外国人(商館員)はカピタン部屋という建物で食事をしていたらしいです。 料理部屋で調理したものをカピタン部屋に運んで食べた。 そのカピタン部屋。 2Fにある部屋。ここで食べたのでしょうか。 このカピタン部屋、部屋がいくつもあります。 奥にある部屋では、オランダ正月を再現しています。 オランダ正月とはクリスマスのこと。 当時、キリシタンを隠すために、オランダ正月という名目でパーティをしていたらしいです。 この写真では電気の灯りですが、当時はローソクです。 暗いので、鏡を配し、光を反射させて明るくしようと工夫しています。 部屋と書くと、ひとつの建物の中の部屋と思ってしまいますが独立した棟なんです。 また、資料が公開されている部屋はいくつかあり、それは蔵だったり住居だったりします。 それぞれどこにあったか憶えてないのですが紹介します。 当時の出来事を新聞のように展示。 年代ごとにいくつも記事があり、これは面白かった。 ビリヤードをする商館員たち。 よく出来たジオラマです。 出島にも日本人がいました。 出島乙名(おとな)と呼ばれ、貿易や事務を行っていました。 この12ポンド砲は出島で見つかったものではありませんが展示されてました。 家康の朱印状。 渡航許可証で、オランダ船に対し、日本のどこの港に立ち寄ってもよい(許可する)と書いてあります。 このジオラマ、さきほどオランダ正月をしていた部屋のイメージです。 貨幣も時代ごとに違ったものが発掘されてます。 因みに左上の一分金、1万円にあたるそうです。(一分金×4=1両) 徳川吉宗の時代のものらしいです。 出島には、当時の扮装をした人がいて、雰囲気を盛り上げてます。 一番船船頭部屋2F。 蚊帳を吊ってベッドに寝てたのですね。 杉田玄白の「蘭学事始」「解体新書」(複写)がありました。 学校で習いましたね。 床下には、当時の石垣などがあり、保管されてます。 基本的に撮影可で、一部ストロボ不可、絵画は撮影不可でした。 後半に続きます。
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