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体調が回復しましたので、年末最後に官兵衛の家臣(栗山善助、母里太兵衛、井上九郎右衛門、黒田一成)の史跡(といっても墓参り)へ行って来ました。 福岡市内から太宰府越えして日田方面へ向かう途中に朝倉市があり、道の駅原鶴の少し手前に栗山善助(濱田岳さん演じた)の眠る円清寺があります。 入口に案内板はなかったのですが、国道386号線・志波の信号から山側(反対側は筑後川)へ進むと、お寺が見えたのですぐ分かりました。 (1) (この山門の右手に坂があり、そこを登った先に寺があり、車を止めました) (2) 階段を登ると正面に本堂。 (3) 戸を開け、中に入ると説明がありました。 (4) 写真はありませんが左にルートが示してあり、仏様を拝んだあと、左奥にある栗山善助の位牌、木像、掛け軸(福岡市博物館でも見た)が公開されてました。 座布団は黒田家の家紋ですねー。 (5) 栗山善助や黒田官兵衛・長政公掛け軸などを拝観し、右奥の仏像などを拝観後は、鐘を観に行きます。 (6) (7) これが朝鮮から持ち帰って鐘でしょうか。 黒田長政公が寄進されたそうです。 (8) 本堂を出て、栗山善助の墓へ。 (9) (10) (11) 正面に戒名、右横には栗山利安の名が刻まれてました。 (12) (13) お墓の後ろには、居城・左右良(までら)城ががあった山が見えます。 (14) 再びお寺の境内へ。 善助の子・栗山大膳の碑があります。 (15) 大膳は黒田長政の子である第2代藩主・黒田忠之と対立し、いはゆる黒田騒動の当事者に。 幕府の裁定が「大膳乱心」ということで福岡藩は取り潰されず助かりました。 その大膳は盛岡藩へお預けになりますが、そのとき(大河ドラマでは官兵衛が善助に赤合子の兜を与えるシーンがありましたが)赤合子の兜を持ってゆきましたので、この兜は盛岡にあるのです。 (16) 藤の季節もいいでしょうねー。 (17) 栗山善助に触れ合えたひとときでした。
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歴史を感じた風景
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NHK大河ドラマ「 軍師官兵衛」 終わり、ひとつの脱力感というか、終わったときの感慨を感じてます。 最後の数回、天下取りをうかがうあたりのくだりは、もっと多くあってもよかったと思うけど、これまでドラマではなかなかやらなかった解釈に満足しています。 それに、赤合子の兜を、満を持してここで出すか!というのも印象が残って、私はよかったと思ってます。栗山善助に授けるシーンも感動的で。。 官兵衛が亡くなったあとは、様々なことが史実として残ってますが、その後の家臣ゆかりの場所も、まだたくさん行っていないので廻りたいなと思いました。 官兵衛は福岡市内にある崇福寺に眠ってますが、今年我が家がここを訪ねたのは7/5のことでした。 お寺は歴史舞台が九州へ移る前に改善を進めていたのでしょうか、山門も改築中でした。 (1) 門に先に伸びる本堂への道。 (2) この中は一般公開はしておらず、入れないところでしたが、我が家は御朱印を頂くので 中へ。 (3) (4) 座禅という文字と官兵衛のポスターが、この空間を変えます。 (5) そのあとは墓参。 (6) (7) (8) 門を潜ると広がる官兵衛、長政をはじめ、黒田家の方々が眠る地。 (9) (10) (11) (12) (13) 官兵衛の隣に眠る光姫。 ふたり寄り添うのがいいなと思いました。 (14) 官兵衛の手前には長政公が眠る。。 (15) 静寂なこの崇福寺、訪ねる人も増えてにぎわいを見せてる上に、まだまだ増えるでしょうね。。
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嘉麻市には母里太兵衛が眠る麟翁寺があります。 そこを目指して歩いていたのですが、すぐ横に福圓寺というお寺があり、太兵衛の母と後藤又兵衛の母が眠っているようです。 (1) (2) (3) 手前が太兵衛の母、奥が又兵衛の母の石塔。 (4) そして数軒空いての隣が太兵衛が眠る麟翁寺。 (5) 門をくぐり、右を振り返ると日本号があります。 (6) あいにく受付に間に合いませんでしたので、また来たいと思います。 (7) (8) 右手奥には太兵衛と子・友晴、孫・友清の墓が並んでます。 太兵衛の墓は左。 (9) 母里但馬守友信之墓→と書いてあります。 (10) その太兵衛が眠る麟翁寺のすぐ近くには寒北斗酒造があります。 創業1729年。 (11) (12) (13) (14) ひやおろしを買いました(^_^) もう一軒、大里酒造へ。 (15) (16) ここでもお酒を買いました。 早速帰宅して、一献(^_^)
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今日10/25は、嘉麻市一夜城まつりに出掛けました。 その祭りは夜がメインなので、その前に黒田官兵衛ゆかりの地をぶらり。 まずは一昨日10/23から始まった飯塚市歴史資料館の「黒田二十四騎展」へ。 大河ドラマでは名護屋城の頃をやってましたが、関ヶ原で功があった黒田長政公が筑前五十二万石を拝領した後、この飯塚・嘉麻・嘉穂・穂波・直方などの筑豊地区には家臣が配置されました。 (1) 内容は黒田家家臣二十四名にスポットを当て、主に飯塚・嘉麻地区を任されていた母里太兵衛や官兵衛が中津から名護屋城へ出陣した際に通った頃の書状だったでしょうか、この地域に残るそのようなゆかりの品の紹介があってました。 (2) 二十四騎の絵も数点飾ってありました。 神社の拝殿の天井や壁によく見る額状の絵です。 展示品の数は多くはありませんが、なかには福岡市博物館に貸し出し中とか掲示されているものもあり、貴重な書状や品が残されているのがわかります。 (3) 幟がいっぱい。 そのあとは、近くにあった「のう祖八幡宮」へ。 (のうという字が難しく、「嚢」これでも違ってますが、こんな雰囲気の字です。 (4) 急な坂道を車で登りました。 (5) (6) (7) 宮司さんのご厚意で、奉納された絵が近くで観れました。 これ、新聞やテレビで報道されていたので、生で観たかったのです。 (8) (9) 福岡県内、官兵衛ゆかりの地がいっぱいです。 (10) これは境内にある「結びの石」という、いはゆる縁結びの石ですね。 イザナギノミコトの頃から伝わる話だそうです。 男性は左から、女性は右から廻って、中央で出会うようにするらしいです。 (11) たまたまですが、ここは昨日「華丸・大吉のなんしょうと!?」に出てました。 (12) 次は太養院(たよういん)へ。 (13) ここは中津から出兵した時の黒田家の宿泊地だそうです。 碑が建ってました。読めませんでしたが、建立に寄付をされた方々の名簿などでした。 (14) 黒田家の家紋・藤巴が中央に。。 (15) (16) 飯塚、今回の最後は「飯塚」の地名の由来の一説となった飯塚山。 神功皇后が「いつかまたここで会いましょう」という言葉から「いいづか」となったらしい(説)。 (17) このあとは嘉麻市へ。
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中津城は美しい城ですね。 背景に雲が広がって来ましたが、晴れていたら堀に天守が映ってましたかね。 (1) (2) 大河ドラマの効果でしょうか、官兵衛の像が出来てますね。 (3) この像の後ろの石垣、明らかに石積みが違うところがありますが、右側が官兵衛が作ったもの。 (4) なんかテレビの取材もあってます。 (5) 観てた防波堤を降りて川岸へ。 (6) ここから官兵衛は大阪との情報を得るルートを確保していたのですね。 それにしても石垣が立派です。 (7) 時計と逆回りに歩いてますが、城への南の入口の手前に神社があります。 昨日9/14の大河ドラマ「軍師官兵衛」で宇都宮一族郎党が、秀吉の命で討たれましたが、築上町からこの中津あたりには左にあるような幟がをあちこちで目にします。 (8) この城井神社は宇都宮鎮房公を長政公が祀って建てたと説明版にありました。 (9) ドラマの様子では、長政(松坂桃李)は強く燃える気持ちを鎮房(村田雄浩)に思っている感じが出てましたので、逆に、正攻法で行かなかったことへの無念さ、後悔などがあったのでしょうか。 すぐ横の扇城神社には家臣たちが祀られてます。 (10) 大河ドラマでは中津城に迎え入れられた鎮房の家臣が別室で待機するような設定でしたが、城下の合元寺に家臣は待機してたと記録されてます。家臣の一部は入城していたのかはわかりませんが。。 (11) お寺の壁は当然、当時は白壁でしたが、この事件後は赤く染まる(斬り合いになって飛び散った血が浮き出る)ということで、ついには壁を赤く塗ったそうです。 (12) (13) (14) (15) (16) 話が合元寺へ移りましたが、再び中津城。 (17) 中津は色々と観光客向けにサービスをしてます。 (18) 中津は近いうちにもう一度行きたい。 道すがら、栗山善助ゆかりのお菓子屋さんがありました。
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