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黒門前駐車場バス停で降り信綱寺へ向かいます。 バス停はこの地図の左下 P に着き、そこから左へ少し歩くとこの案内板があるところに辿り着きます。 (1) ここを省略して黒門へ行く場合は、Pから上に延びている道を登っても行けます。 (2) 昌幸公にはふたり兄がいて、長男・信綱公と次男・昌輝は長篠の戦で戦死しています。 信綱寺(しんこうじ)には、昌幸公の兄・信綱公夫妻の墓があります。 ちなみに先日の大河ドラマ「真田丸」で信繁(幸村)が従五位下という官職を太閤秀吉から授けられ、色々あったけど左衛門佐(御所(平安京)の内裏と内裏の外の間を護衛する仕事だが、この頃は名ばかりで実際に護衛をしていたわけではない)の職に就く。 信綱公は左衛門尉(さえもんのじょう)であり、遠山の金さんで有名な遠山景元(北町奉行)も同じ官職。 (3) 横道にそれましたが、信綱寺に戻ります。 黒門のそばには馬頭観音もあります。 (4) 黒門を潜るとアジサイが目に飛び込んで来ました。 (5) 福岡は既に終わったアジサイがここでは見頃(^.^) 右へ歩きしばらくすると歴史の丘公園に着きます。 (6) 奥から歴史をたどって手前に進むと大坂の陣へつながります。 左側に真田氏の歴代の当主、右側に真田氏が仕えた主家(武田信玄公等)の花押が置いてあります。 (7) 真田発祥の幸隆公から望む。 (8) このあとは信綱寺へ。 (9) この門を潜ったあとは、まあまあの角度の石段を登ります。 (10) 一分くらいで寺に着きます。 (11) (12) 扉は閉まってました。 お堂の右手から境内の外に出るとお墓への案内があります。 (13) (14) 向かって中央に信綱公、左に夫人、右に弟昌輝公が眠ってます。 (15) 元々は門の右手にある桜の下に家臣白川兄弟によって葬られたが、のちに墓所に移されたらしい。 (16) (17) 帰途。アジサイの道が美しい。 雨で良かったのかもしれません。 (18) 信綱寺にはほぼ1時間いました。 黒門前駐車場バス停からバスに乗り上田駅に戻りました。 (バスはゆきむら夢工房経由ですが、乗り換える便と駅直通便があります) 上田電鉄上田駅です。 (19) 事前に運行時刻を調べて置き、真田丸ラッピング車両を見ました。 (20) (21) (22) このあと焼き鳥などを食べながら一献(^.^) (23) 上田駅は3つの鉄道会社がある駅でした。 (24) (25) 翌日は再び上田城へ。
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歴史を感じた風景
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真田の郷をめぐります。 上田駅前からバスで周遊スタートとなるゆきむら夢工房へ。 そこからは300円乗り放題のフリー乗車券でひとつひとつ巡って行きます。 (1) バスがほぼ30分おきに運転されてますが、一か所廻るのにちょうどいい間合いです。 (2) ルートは上田市のホームページに出てますが、主だったところは行けるのでこのバスは便利です。 https://www.city.ueda.nagano.jp/ssangyo/kankojoho/bus/index.html#route まず最初に真田氏歴史館へ。 (3) ここは真田氏発祥の地ということで、昌幸公以前からの資料が多かったです。 歴史を知るのによかったです。 次は真田氏本城跡へ行くのですが、その前にお昼(^_^) そばやさんが真田氏歴史館から数分のところにありましたので、うち1軒へ入りました。 (4) (5) 囲炉裏もあったりで雰囲気いいです。 (6) 頼んだのは、クルミそばとざるそば。 かみさんとシェアしながら頂きましたが、おいしいと言って、ほとんどかみさんがクルミそば食べました。 (7) 真田氏歴史館前からバスに乗り、真田氏本城跡へ。(^_^) 真田氏本城跡はかなり上にあるのですがバスが近くまで行くので楽でした。 (8) 本丸跡めざして歩きます。 (9) 途中左手には眺望が広がります。 (10) 本丸は小高い丘にありました。 (11) そこに向かう道に仏像があります。 (12) ここに来た方々が六文銭を5円玉などで作って供えて行ってます。 我が家もそれは知っていたので作って供えて行きました(^_^) 本丸跡はけっこう狭いです。 (13) 本丸から見える風景。 (14) ほんと景色いいです(^_^) (15) ここでロケもあったのですね。 (16) ここでは30分から1時間もあれば十分足ります。 つづいて長谷寺(ちょうこくじ)。 (17) うっそうとした中、登って行くと、 (18) 幸隆公(昌幸の父)夫妻と、昌幸公の墓があります。 (19) (20) 福岡ではとうに終わっていたアジサイがきれいでした。 (21) お墓の左横にあった幸村公の供養塔。 (22) 実はこれ見落としていて、お寺の方にありかを聞いて戻って来たのでした。 つづいて山家神社。 (23) (24) あいにく祭事があっていましたので、そうそうに退去。。 (25) このあとは黒門前駐車場バス停で降り信綱寺へ。
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長野に来ています(^-^) 念願の信玄謙信一騎討ちの銅像が見れました。 |
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名護屋の陣巡りの日はあいにくの天気でした。 道の駅に着くといっそう雨が激しくなり、中止もやむなしかなと。。 (1) 道の駅の駐車場、前田利家の陣跡が近くみたいですが、足元が汚れそうなので行くのをやめました。 (2) で早めのお昼ごはん。 (3) イカカツのホットドッグだったかな、ボリュームもありなかなかの味でした(^_^) 道の駅から数百メートル先に博物館があります。 (4) 駐車場の背後には名護屋城の石垣が見えてます。 (5) 雨に濡れて緑がきれい。 大手門跡。 (6) 井戸なども残ってます。 (7) 博物館は豪華なたたずまい。 (8) 中は撮影可と不可がありました。 ネット上へのアップは手続きなどがありそうなので、今回はなしにしますが、展示内容は古代から近代までの名護屋の歴史を発掘物や歴史史跡を交えて説明するスタイル。 表現に色々配慮がなされてましたね。 幻想的な名護屋城跡。 (9) ここからの眺望やバーチャル映像で見れる風景は次回の楽しみに(^_^) (10) 博物館の敷地内に木下延俊陣跡があります。 (11) ねねさんの兄の子です。 (追記)後の小早川秀秋。 夏は涼しそうな林の中を歩きます。 (12) 陣は生活の場だけでなく、庭があったような痕跡もありました。 (13) このあとは、受付時間まで少し陣跡を。。 (14) といっても道すがらですけどね。 奥は豊臣秀保陣跡。 (15) 秀吉の姉、ともの子。兄は豊臣秀次。 三法師さんです。 (16) 信長亡き後、秀吉軍が明智を討ち、清州会議で秀吉がだっこした織田信忠の嫡男です。 黒田長政陣跡。 (17) 橋のたもとにあり、駐車スペースもありますが、雨なので車中から撮影のみ。 名護屋の陣跡は歩き回らないと楽しめないかなあ。 次回は天気がいい時に廻りたいな。
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5/29は名護屋城博物館のイベントに参加して来ました。 名護屋城跡と博物館は佐賀県唐津市鎮西町(呼子の南西)にあります。 今、大河ドラマ「真田丸」は北条攻めに向かってますが、それも終わったら舞台は名護屋城に移るのではないかと思ってます(^_^) (1) イベントは名護屋城めぐり、ではなく、文禄・慶長の役の際の各大名の陣、それも真田昌幸の陣をメインにめぐるというものです。 (2) 駐在した大名数が160ということで、陣の数はそうとうあり、それを全部廻ることはまず難しい。。 というよりも、陣は江戸時代の文献を元にしており、誤認や記載ミス(であろう)で重複してたり欠けたりしているので正確とは言えないようです。 そもそも、どこに誰が陣を配置すると決めたのかもハッキリしてないようです。 (3) とはいえ、史料が残っているもので信憑性が高いものもあるわけです。 マップがあるのですが、今は私有地で入れなかったり、不明なところも多いです。 <肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会サイト> http://hizen-nagoya.jp/bunroku_keicho/index.html さて、雨ですが、数班に分かれて陣めぐりスタートです。 (4) 集合場所である波戸岬少年自然の家、ここに室町幕府最後の将軍だった足利義昭の陣があったそうです。 (5) 足利義昭が参陣していたことを知らなかったので驚きでした。 足利義昭の陣から海寄りにあるフナゼ遺跡。 (6) 土塁などが見つかってますが、誰の陣だったのか分かっていないそうです。 秀吉が戦勝祈願を行った田島神社がある加部島(かべしま)と結ぶ橋も、この雨模様でよく見えません。 (7) とにかく付近はこういった石垣や土塁の後らしきものが点在しています。 (8) そしてこれがこの日のメインでしょう、真田昌幸の陣。 (9) 3つの緑の小山があると思いますが、左から蒲生氏郷の陣、加藤光泰の陣、真田昌幸の陣(半分以上メインで撮ってます)です。 氏郷は奥州で100万石近くの大身になるので知ってますが、加藤は知りませんでした。 加藤光泰(みつやす) 美濃の斎藤龍興の家臣だったが、斎藤氏が滅亡した後は秀吉に従い、戦功を上げ大垣藩主など。 これから真田昌幸の陣跡へ向かいます。 (10) 名護屋ではこの幟をあちこちで見かけました(^_^) (11) (12) 悪路を進みます。 (13) 開けたところに手作りの案内板がありました。 (14) ガイド(博物館職員)の方の説明によれば、この奥には真田さんという方が住んでおられ、その集落はサナダンシタ(真田の下)というらしいです。 矢印に従って進むと、「サナダサエモンサマ」(真田幸村(信繁))墓と伝わるココへ。 (15) (16) 諸説・伝説、あるようですが大阪夏の陣で幸村が亡くなるのは1615年。 この墓が建てられたのが1633年と刻まれているようです。 大坂夏の陣で負けた幸村の家臣か縁者の誰かが、逃げに逃げて、昔、縁があったこの地に辿り着き、 幸村の供養墓を建てた、という説を信じたい。。 墓から近い位置にある鏡石。 (17) 石垣用の石を切り出す際に矢を射した矢穴があります。 その奥に残る石垣。 (18) ここに曲輪(廓)があったと考えられます。昌幸がいたのかもしれません。 この石垣の下にある「サエモンサマの室」と伝わる塔。 (19) こうなるとずっと伝説であってほしいと願います。 ここまで見学して出発地に戻ります。 ちなみに入口などには、こういった案内が建ってます。 (20) (21) 氏家行広(うじいえゆきひろ)の陣。 美濃三人衆・氏家ト全の次男。織田信孝家臣。のち秀吉家臣。桑名城主。 (22) 谷を挟んで真向かいには弟・氏家行継(うじいえゆきつぐ) ト全の三男。のち秀吉の配下に。 (23) (24) あいにくの雨でしたが、それはぞれで風情があってよかった。。 こういうイベントがあったら、また参加したいと思う。 こういう天気だったので、名護屋城跡や他の陣跡も巡りたかったけど天気がいい日にまた来ようと思い、15:00解散後、帰途へ。
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