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松陰神社にやって来ました。 ここは松下村塾を含め多くの史跡が集中しています。 萩に来たら外せないポイントですね。 神社の鳥居前にある駐車場スペースには、龍馬と久坂、薩摩藩士田上が会ったことを記念して碑が建ってます。この場所に龍馬が泊まった旅館があり、そこで久坂と対面。 対面といっても龍馬は武市半平太の書簡を持参してのこと。そこにたまたま薩摩藩士がいました。 とうことで薩長土連合密議と書いてありますが、ちょっと意味的には微妙。。 このことがあった1862年は松陰さんが安政の大獄で亡くなって5年を過ぎようとしてた頃。 坂下門外の変、 寺田屋事件、一橋慶喜が将軍後見職になった、生麦事件、 松平容保公が京都守護職になったなど、いろんなことが起きました。 大河ドラマでは、 高杉晋作らによる英国公使館焼き討ち事件が起きる前あたり。 (1) さて、いよいよメインである松陰神社境内へ。 明治40年に伊藤博文と野村靖が中心となって建てたとあります。 (2) 敷地内にある松下村塾。 大河ドラマでは、文に「塾を開きませんか」と言わせてますが、実際は叔父の玉木文之進(奥田瑛二さん演)が始めた塾で、松陰さんは3代目塾長。 富永有隣(本田博太郎さん演)も教えていたらしい。 (3) この建物は修復はあったとはいえ現存する建物なのでロマンを感じます。 世界遺産にもなるのでしょうね。 (4) さすが松下村塾は見学者が多いので、我が家は付近を行ったり来たりして、人が少なくなったタイミングで見て廻ってます。 これは孝行竹。松陰さんの親孝行にちなんで名づけられたらしい。 左が皇太子殿下ご夫妻の記念碑、右が天皇・皇后両陛下の記念碑。 (5) 塾の内部は当時の雰囲気を伝えてますが、実際に観ると感慨深い。。 私が前回萩に来たときここには寄れなかったので、11年ぶりに訪れました。 (6) 松下村塾の目と鼻さの先に杉家の家があります。 (7) 杉家の一室。三畳の部屋。 ここに松陰さんは謹慎してました。 (8) その真向かいに松陰神社があります。拝。 松陰さんの硯と書簡が御神体。 この建物は昭和30年の建造。 (9) その左にある松門神社。 これが元々の松陰神社。 今は松下村塾の門下生を祀る神社になってます。 (10) 面白いなと感じるのは、福川犀之助(野山獄の看守。田中要次さん演)も祭神として祀られていること。 実際に松下村塾で学んだという記録があるのかどうか分かりませんが、野山獄では松陰さんの教えを受けてたらしい。 松門神社の脇にある、前原一誠(佐藤隆太さん演)らの碑。 大河ドラマのストーリーもあるので、あえてここでは触れません。 (11) 再び松下村塾のとこに戻って、有名な「親思ふ・・・」を書いた碑へ。 (12) この言葉、ジーンときます。 博物館は2つあり、重要な資料は志誠館で見学でき、これはもう一つの蝋人形館。 (13) 若き吉田寅次郎が藩主毛利敬親候(北大路欣也さん演)へ講義をしている風景を再現。 大河ドラマでは敬親候が「寅次郎の声を聞きたいのう」と話す場面もありますが、こういった風景はそれを彷彿させます。 (14) 松陰さんと金子重輔が黒船に向かうシーン。 (15) アメリカの博物館には、当時、松陰さんがペリーへ渡したとされる書簡が今も保管されているらしく、いつか見てみたいものです。 松陰さんが安政の大獄で江戸へ送られるときにも一行が寄りました。 ここから先は萩の街並みが見えなくなる。。 (16) 鳥居をくぐる手前には、松浦亀太郎(内野謙太さん演)の住居跡がありました。 松陰さんの肖像画を描いた人です。 (17) 大河ドラマでは愛すべき魚屋さんで、重臣・長井雅楽(羽場裕一さん演)暗殺に加わり、失敗して自決。 ドラマを見ていると、この人には生きていてほしいと思う人が出て来ますが、亀太郎さんには史実を曲げて、生きてほしかった。。 吉田稔麿(瀬戸康史さん演)の家も、松陰神社の近くににあります。 (18) 他にも伊藤利助(劇団ひとりさん演)などもあります。 御朱印など。
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歴史を感じた風景
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松陰さんが黒船乗り込み失敗後、萩に護送されてから投獄された野山獄。 実はここへ来たのは初めてでした。 (1) 野山獄の向かいは岩倉獄。 ほんと目と鼻の先なんですね。 (2) 間取りが分かる図がありました。 (3) (1)の写真で写っているスペースは図ではほんのちょっとのようで、大半は民家に変わったようです。 岩倉獄跡には、松陰さんとともに黒船を目指した金子重輔の碑がありました。 (4) 獄にいた金子は、姿は見えないけど近くにいた松陰さんをこうやって見ていたんでしょうね。。 (5) (6) 1日目はここまで。 変わって2日目。 藍場からスタートです。 おそらくここは花燃ゆのロケ地。 (7) (8) 小田村伊之助が走っている姿が思い浮かびます。 この小さな川沿いを散策すると桂太郎(第11代内閣総理大臣。13,15も。)宅もあったりします。 松陰さんが亡くなったころは、まだ少年。。 (9) (10) (11) (12) (13) 津和野や長崎の島原にも似た風景が楽しめます。
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我が家が留めた駐車場の端に、銅像が見えたので近づいてみると、山県有朋の銅像でした。 (1) ここから武家屋敷群がある菊屋横丁などを通って、博物館へ向かいました。 新たに高杉晋作の銅像が出来てました。 おとなな雰囲気の銅像でしたね。 (2) 菊屋横丁。 (3) (4) このあと博物館へ。。 博物館では手紙が多く展示されており、ドラマでは久坂がなかなか手紙を書かないような感じでしたが、文宛の手紙、けっこうありました。 博物館にいるとき雨に降られましたが、止んだので武家屋敷群を見ながら駐車場へ向かいました。 (5) 高杉晋作の住居もこの並びにありました。 (6) (7) その通りを一つ隔てたところに小田村伊之助住居跡がありました。 (8) さらに歩いて桂小五郎の住居跡。 (9) (10) 高杉らが子供の頃に来ていたという神社とお寺。 (11) (12) (13) (14) (15) ここは以前は自由に入れたと記憶してましたが、入場料を払うようになってました。。 保存に役立つなら。。 駐車場の角に久坂の銅像も建ってました。 (16) (17) 台座が低いな。。 (4)は野山獄、藍場川など。
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萩往還を抜けて萩市街へ入り、まずは大河ドラマ館へ。 大河ドラマ館、展示物は撮影可と不可のものがありました。 (1) これはドラマオープニング最初の映像から。 (2) ここに登場する2頭のシカ。 最初は吉田松陰と文と思ってましたが、小田村と文? 久坂と文の婚礼衣装(^_^) (3) 小道具も数点展示されてました。 (4) 久坂役の東出昌大さん、背の高さが衣装からも分かります。 (5) ドラマでも見た、松下村塾の部屋。 (6) これビックリです。 入場の際にカードをもらったのですが、そのカードをかざすと3D画像が現れました。 (7) 塾の風景をイラストの映像で表現。 (8) この大河ドラマ館は体育館を利用してますね。 (9) いろいろ工夫もあって面白かった。 (10) 大河ドラマ館は明倫館の跡に建った旧明倫小学校敷地にあり、すぐそばには明倫館の史跡がありました。 (11) (12) 旧明倫小学校の建物の前には明倫館の碑が建ってます。 左が6代藩主が建てたもの、右が13代藩主敬親公が建てたもの。 (13) 大河ドラマでは北大路欣也さんが敬親公の口癖「そうせい」を見事に言われてますね。 明倫館の横にある有備館。 (14) 槍術場。 (15) (16) 剣術場。 (17) 明倫小学校、いい建物ですね。 (18) 有備館のこの看板、龍馬もここに立ったと伝えられてます。 (19) 松陰さんはここで師範として教えていた、その記念碑。 (20) 敷地内にはほかにもいろいろ碑などがありました。 このあとは博物館への道すがら菊屋横丁などを。。
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先週末5/30-31は、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」ゆかりの地を中心に萩を歩いてきました。 萩は何度も訪れてますが、大河ドラマ効果で色々と整備されたり博物館での展示物が豊富になったりで、新しい姿を楽しめました。 今回のルートは、美祢東JCTから小郡萩道路へ入り、絵堂IC(工事中でここが終点)で降り、国道490線と県道32号線を経て、萩往還(国道262号線)へ。 途中から再び県道32号線に入り、道の駅・萩往還へ立ち寄り、萩市街へ向かいました。 この道の駅には松陰記念館があります。(入場無料、撮影可) (1) (2) 中には松下村塾をイメージした蝋人形や資料(複製)などがあり、ほどよい知識を得るにはいいスペースとなっています。 (3) (4) 複製とはいえ直筆なので、言葉から感じるものがあります。 (5) 下の書は、資材になるであろうと予感した松陰さんが親族に送った手紙。 この中に「親思う・・・」の言葉が3行目に書かれています。 (6) 「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」(孟子) この言葉、ドラマで伊勢谷友介さん演じる松陰さんがよく言ってましたね。 (7) 龍馬は、武市半平太の手紙を持って、久坂玄瑞に会いに行くとき通ったようです。 (8) 館内の様子。 (9) この記念館はおすすめです。 表には、銅像が数体立ってます。 左から、山県有朋、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤利助(博文) (10) 左から、久坂玄瑞、吉田松陰、高杉晋作 (11) この道の駅の上にある道は昔の萩往還へ続く道。 ここはアスファルトで風情がないけど、横道の萩往還はいい道。次は歩きたい。 (12) 道の駅から少し萩市街方面へ走ると、萩往還梅林園の案内板が現れます。 そこを案内に従い右折すると、涙松最寄りの駐車場があります。 (13) 涙松は、松陰さんがいはゆる安政の大獄により江戸に送られるとき通った道にあります。 ここが萩の町が最後に見える場所だったらしい。 (14) (15) 碑の裏書。 「今より53年前」と書かれたその年は、大正3年。 (16) 我が家も萩の町を望んでみたけど、よく見えなかった。。 (17) (18) このあとは、大河ドラマ館、明倫館跡へ。
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