画像は、モ1の運転席の物。6/13の河口湖駅イベント時に併せて車内公開された時に撮影。
今はなき、富士急3600型は、従来のモハ500とクハニ800型の更新車。
その内、電動車モハ500型はモハ1型更新車と新造車に大きく分かれる。
…で、その3600型のうち、最後まで残ったのは両運転台車の3602と3603の2両。
元小田急2200系一族による、5700型集中投入後も唯一残った旧型車である。
残った理由は、『基本的に事業用』モニ100型亡き後の牽引用である。
電気機関車を持たなかった富士急行では、貨物扱い当時電車による牽引で貨車を引いており
5700型投入以前は、モニ100型を含め5000型以外の在籍車両は、
電車用の密着自動連結器ではなく、貨車を連結できる単なる自動連結器を装備していた。
5700型からは密着自動連結器になり、モニ100の廃車後は3600型のみが貨車牽引可能であった。
特に、保線用のホッパ車等の牽引については、3600型にしかできない時代があり
平成に入り、1000系導入開始後も即廃車対象にならなかったのは、このためである。
しかし、元小田急と思われる、大型保線用モーターカー(ディーゼル機関車)が
保線用の付属車両ともども入線した後、とうとうこの3600型にも廃車の運命がやってきてしまった。
相当前振りが長いが(劇汗)もうちょっと付き合ってください。
河口湖駅構内のモ1であるが、この3600型廃車決定時点で既に静態保存整備が終わり
河口湖駅構内側線のいちばん奥に公開されることなく留置されていました。
確か平成6年の夏のある平日の昼下がりのこと。
私は、仕事で下吉田駅構内にいた。
そして、その下吉田駅構内の側線上には、モハ3602と3603がそこにいた。これから重機の餌になるのである…。
この場には、富士吉田工場の工場長さんもそこにいらした。
「あぁ〜、潰されていく・・・」
眉間にしわを寄せながら、工場長さんはため息をついていた。
私は、「どちらかの車籍をモ1に渡して、モ1を動態保存車にできないんですか?」
と、工場長さんに尋ねてみた。
すると、返答はこうだった。
「外部のファンなどからもっと声があれば、多少は動いたかもしれないが
上層部が決めたことだからどうにもならないので・・・」
と、言葉に詰まっていた。
その内、工場長さんが、語りだした。
蕨(日本車両蕨工場)に、モハ500とクハニ800を順次送り出して、それが
今の3600型となって戻ってくる時のお話だとか、整備の細かい話だとか・・
この3600型を、ずっと見守っていたその感じが手にとって分かるようなお話をされた。
そして、解体途中で、客室が丸見えになったときのこと。工場長さんが
「あそこに箱が見えるだろ」と指差す。
見てみると、1m四方くらいの物が見える。
「あれは、日本車両に頼んでおいた、未使用のブレーキの予備部品なんだ。
整備はばっちりで、全然問題はなかったんだけど・・・。もったいないなぁ・・・」
そう語りながら、肩がさらに少し落ちた気がした。
私が下吉田構内を離れる時、じっと3600型を見据えたまま、潰されていくのを見ていた工場長さん・・・。
15年経った今でもあの状況は鮮明に思い出せる。
あのとき、もし、3602か3603のどちらかと、モ1型の復元車両を機器乗せ換えとかで車籍交換して
本線走行可能な状態で、モ1型があれば・・・。
もしくは、車籍無しでも、3602か3603の部品を使って河口湖駅構内だけでも動かせる状態にしてあったなら
写真撮影会の時に、現役の各車と肩を並べて写真にすることができたかもしれない・・・。
河口湖駅構内でモ1型を見ると、いつもそういう妄想になってしまうのであった・・・。
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はじめまして。
コメント失礼致します。
富士急の吊り掛け電車に乗った事がない自分としては河口湖の側線に置いてある3600系はとても気になる存在でした。
事業用でしたがいつかは乗ってみたい電車のうちの一つでした。
3600系が廃車になる時記念乗車券が発売されたようですが、買いそびれてしまいました。
保存された3100系のようにならず解体されてしまいとても残念です。
今東急車両へ譲渡された東急3499号や廃止された十和田観光電鉄線の車両たちはそれぞれ静態保存に向けて動き始めていますね。
保存するに当たって土地の確保や、維持管理するのは大変だと思います。
先日蒲原鉄道のモハ71+クハ10保存車両も解体されました。
結局残したいとか保存したいと思っていても、資金のない自分1人だけではどうしようもないとつくづく痛感します。
長長自分の意見ばかり失礼しました。
2013/11/2(土) 午前 9:40 [ 宵闇 ]
宵闇さん、コメントありがとうございます。
最近仕事が忙しく、亀レスですみません。
最後の、「資金のない自分1人だけではどうしようもない」は
まさにおっしゃるとおりだと思います。
…そのことも、実は話があるんです。
この記事より10数年も古い、昭和57年の冬、5700型(元小田急2200系列)が
富士急行線に導入されたとき、最初の廃車が7000型(元国鉄クモハ12,14とクハ16)でした。
やはり、下吉田駅構内で解体前提の留置中に、その場で職員さんとお話したときのこと。
職員「1万円で1両売れるよ」
その金額は、おいらでも買える。しかし、問題はそのあと。
『輸送費用』と『置き場所』である。
当時は、まだ貨物輸送が残っており「買ったあと側線の一番奥でもいいから置かせてもらいたい」
というお願いも断られ(当たり前だが)、特に貴重なクモハ14を残したかったのですが
結局、重機の餌食となっていきました…。
あれから30年も経ったのか・・・。
もしクモハ14が残してあれば鉄道博物館行きだったろうと思うと
残念でなりません。
2013/11/10(日) 午後 11:54