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早いもので約2週間が経ちましたが、 10日間の里帰り中の出来事について日を追って記録します。 家からお墓まで徒歩なり、車であっても30分もかからない距離に お墓があるような環境で育っていたとしたら (今私の住む場所は、そんな環境にある方が多いかもしれません。)、 日常の中にお墓参りが溶け込み、ご先祖様の意味を理解し敬うことを 自然と学び、習慣となっていたのかなと思います。 本来はそうあるべきだなとも思うし、そうできたらどんなにいいかなと 最近よく考えていました。(。u_u。) お墓に行くまで、車で下手すると2時間かかかってしまう家で生まれた私は (両家どちらのお墓ともすごく遠いというわけではないですが。) お墓参りは日常ではなく、間違いなく、非日常のことでした。 それでも新幹線を使わなくてはならない今を思えば、近かったと言えなくはないかな・・・ 非日常であったお墓参り。 それは非日常だけあり、幼い頃の私にとっては、どこかワクワクとする お出かけの一つだった気がします。σ(゚ー^*) <写真:母と共にお墓参り。当時1歳9ヶ月。> ご先祖様がどうのとか、全然解らない。(今でも解りません;) けれど、墓石にお水をかけることや、久しぶりのイトコに会えることが なんだかとても楽しかったりして。(・∀・`) そんな私が、お墓参りに意味を持つようになったのは、 お墓の中に祖母が入った時からです。 会いたい。会いに行く。 不謹慎ながらも何の理由も持たなかったお墓参りに、 そんな確かな気持ちが、生まれたのです。 <写真:祖母の家にて、祖母と共に。当時4歳。> 私の両親は共に末っ子で、かなり年がいってからの子供。 私の祖父母は21世紀を迎えることのないまま、全滅・・・(あ、、また不謹慎・・(^。^;)・・) 天国へ逝ってしまいました。。.:*:・"☆ 病と向き合い、逝くその姿勢をもって、死に様を通して、 その後、私に子供を生む決心をさせた祖母が眠るお墓へ、 祖母の娘である私の母と共に、母の孫である私の娘と共に、三人で会いに行くこと。 それは三人それぞれにとってとても意味深いことなのですが、 私たち親子は愛知のためなかなか実行できず、今まで数えるほど。。 関東に居たからといって、車で2時間じゃあなかなか行けるもんじゃないけれど、 遠いと余計想いは募って、行けないことを歯がゆく感じていたので(・ω・`)、 行ける度に(三人でなければ意味がない☆彡)本当によかった・・・と思うのです。 <写真:白い菊の花束を買い、お寺へ。カメラ片手に、母と娘を後ろから追う私。。> ∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵ 私の両親はいろいろと考えた末、数年前、都心も都心、ビルの中にあるお墓を購入。 素晴らしく綺麗で、ボタン一つでお墓が飛び出してくるようなところ。(σ・∀・)σ このようなお墓には抵抗がある方がまだまだたくさんいらっしゃるとは思いますが、 いずれお参りする私たちのことを考えてくれた両親には感謝していますし、 その気持ちに応えようと心に決めています。(・∀・) 週に一度とか、買い物ついでにお墓にさっと立ち寄れる。それが私の夢。 今まで散々迷惑をかけ・寂しい想いをさせてきた分、生きているうちに たくさん関わり合いたいと思っているのはもちろんのこと、 亡くなってからも、決して寂しい想いはさせないよ。と思っています。 そう言いつつ、自分がどこに住むかも解らない環境・・・ その上、両親が先に逝くとも限らないくらい健康には自信がないですけど。(^▽^;) なんてことはない、シズラーです。(レジ脇のPEZも嬉しがって撮影♪) けれど、名古屋に引っ越してから7年間はご無沙汰だったので (名古屋にもあったようですが、知らない間に撤退されてました;;)、 行きたくて行きたくて仕方なかったのです。(∇≦*)ノ 独身時代、しょっちゅう通ってました。ここのサラダバーが大好きで。 更に詳しく言えば、サラダバーの海草サラダ&豆が大好きで。(´▽`*) 単純で気休め的だけど、野菜不足だと感じた時の、駆け込み寺でした。(・∀・` ) 「食事扱い」であるくらい、種類が豊富なのが売りのシズラーのサラダバー♪ 久々に行ったら値上がりしていて、サラダバーは1800円。 しかも7年前頻繁に利用していたOLの頃の金銭感覚と、 専業主婦になった今の金銭感覚では雲泥の差・・・ 「そんなに高かったっけ!??」って内心かなりうろたえましたが(゚Д゚#)、 東京に来てる時くらいは。。そう思って注文。(ノ≧∀≦)ノエイッ ・・・結局は母におごってもらいました;(ごめんね・・ありがとう。。) 味はそのまま、鬱陶しいくらい丁寧な接客もそのまま(^▽^;)、 とっても懐かしかったです。(´ω`*) 知らない間に夕方から、夜になるまで居続けてたくらいに。(∇ ̄〃) ∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵¨∵ 母も難病を抱えた体。遠出は日に日に難しい・・・ 私も里帰りの限られた時間の中でお墓参りに行くのはなかなか難しいかったけれど、 また必ず、三人で、行きましょう。(゚ー^*) (もし、あなたがどうしても行けそうにないという場合は、 私たち二人があなたの気持ちを持って、お墓へ運んでくるから・・・安心してね♧) |
昔からの友達
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■小さい頃からそばにいた、私のお気に入り。母からゆずりうけたもの。今につながる思い出アルバム。
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どれもこれも、幼いながらに心から気に入り、 それらと遊んでいる写真もたくさん残っているのですが、 その中で唯一と言ってよいほど、 私が気に入ることのなかったものが、この赤ちゃん人形です。(´▽`;) 私は小さい頃の記憶をかなり鮮明に憶えている人間で、 一番古い記憶は、3歳の記憶。 ほとんどが、失敗したり怒られたり、インパクト強めの負の記憶・・・ その中に、「このお人形が好きでなかった」という記憶もまた、 しっかりと残っているのです。(-v−;) 体長60cm、重みもそれなりにあり、かなりリアル。(゚∀゚;) 寝かせると目を閉じるタイプの赤ちゃん人形。 そのリアルさが少し怖くて、ほとんど触ることがありませんでした。 そのわりに、はたち過ぎまで部屋に飾ってあったのですが、 それもまた、最初は怖さゆえ。 押入れなんかにしまってしまったら、しくしく泣き出すんじゃないか・・・ なんて考えたりして。(v_v。) けれど時が経つにつれ、いつの間にか居て当たり前になり、 飾り箪笥の一番左上はこの子の席といつしか決まっていました。 あくまでインテリアの一つとして。 インテリアにしては、ちょっと存在感があり過ぎたかもしれませんが。(∇ ̄;) 親的には当時、かなりこだわってこの子を探し、選び、購入に至ったようで、 私の知らないところで、それなりの手入れを続け大切にしてきたものらしく、 出し惜しみをしていたのです。(。u_u。) 私の娘は幼稚園にあがるまでの小さい頃は、 手のつけられないスピリッツチャイルド(少し感情表現の激しい子)だったので、 「あんな状態では、この子はわたせない!」というワケ・・・(^▽^;) (確かに、あの頃の娘にわたしていたら、既に手足がもぎとられていたでしょう。) なんとか人並みに娘が落ち着いた5歳の夏、満を持してやってきたのです。(゚ー^*)=3 私もずっと知らなかった一つの事実と共に。 この子がかぶっている帽子は、私がかぶっていたものだということを 私はその時に初めて知りました。 うっすら黄ばんだ、ファミリアのニット帽。 それを知った上で、改めてこの子を抱いてみると、 まるで自分を抱いているような、とても不思議な感覚に・・・・・ 私はこんなに小さかったんだ。 その小さな私を、母はこうやって抱いていたんだ。 たったそれだけのこと。 でも、それを感覚として実感できたこと、 それは、今まで親からの愛を見失いがちな人生を生きてきた自分にとっては、 ずっとこんがらがっていた結び目が、すっとほどけたような一瞬でした。 母に抱かれた記憶。 その「感覚」は、子供には残りません。 けれど、それが持つ力というのは、計り知れないもので、 全ての根本、根源なのではないかということ、 そして、その感覚を親が子供に伝えていくことの重さを、 何十年ぶりに抱いたこの人形に教えられた気がしました。(゚ー゚*) だからと言って、 常に抱いていたり、毎晩これと寝るというほどベッタリではありませんが、 何かにつけてこのお人形が登場し、娘は世話をやいています。(ノ゚▽゚)ノ 私も母親の子。 娘の初めてかぶった帽子や、ミトンは箪笥の中でキレイに保管中。。 いつか、その帽子につけ変えてあげようと思っています。 でも今はもう少し、このままで。
私に私を抱かせてください。 |




