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・・・というか、そんな実感はほとんどなく、書いてて不思議なくらい。。 先行きの不安はあるものの、いろいろなことがなんとかまとまりつつあるので、 ここで改めて、忘れぬうちに(決して忘れえぬものですが)引越しの日のことを 丁寧に振り返り、思い出に書き綴っておきたいと思います。(・ω・。)ノ 事前のチェックで、「家具は少ないけど、細かなものが相当多いね。」と しっかり見抜かれていたdaidai家。(ノ≧∀≦)ノ まぁ・・・ こんな風だったり、 こんなんだったり、 こんな状態なんだから、見抜くも何もないですけど。(´∀`;A (二つに分かれていたおもちゃ部屋の一部を抜粋) 業者さん、ご愁傷様でございます・・・<(_ _*)> 天井以外白い壁が一切見えない状態の↑この二部屋↑だけでも強烈だと思いますが、 こちらのリビングも、なかなかの大容量。(´∀`*) 片付け&収納&ディスプレイは好きこそものの、、という感じでやや自信アリ。(^-^)v なので一見シンプルに見えるのですが、扉を開けばそこには壮大な景色が・・・(*v*) 食器、そして、季節別装飾品(平均親指大、の小物)が凄まじい数なのです。 今回は料金ほぼ据え置きでおまかせパックにしていただけたんですが、 実際おまかせにしてたら絶対2日では終わらないのは目に見えていて。(∇ ̄;) 各部屋に一名ずつの4名様に加え、私も懸命に・・・ 飲まず食わず(ついでに私は眠らず)で片付けに片付けまくって、正に「死闘」。 最後片付け終わった時には、同じ達成感を得て、まるで同士でした。 ある種の一体感が生まれていた気がします。(o´・ω・)人(・ω・`o) 『奥さんがいなかったら、終わってましたよ』 『こちらこそ。本当にお疲れさまでした・・・』 そう、互いに労い合ったりして。<(_ _)> 何十年も私と一緒に居たピアノ。 娘に聴かせたピアノ。一緒に弾いたピアノ。 極々普通の、素朴なアップライトです。 調律では戻しきれない音のズレの修理には、かなりの金額になると言われました。 薄々限界は感じていたところへ、転勤の命令、その行き先は大都会東京。 東京から愛知に引っ越してきた時、今までより少ない家賃でスペース(部屋数)は2倍。 広さがあり、両隣みなピアノを弾くご家庭で音への不安もなし。 当時はそれを機に、このピアノを実家より取り寄せたわけで・・・ 今度は単純に考えて条件はその逆なわけですから、、、、まず弾くこと自体難しい。 (楽器を弾かない方からすれば当然のことなのだとは思いますが、 楽器可の賃貸住宅はかなり少ないです。) 何の機能もついていない年老いたピアノでは、対応できません。 それと同時に、私自身も、未来へのいろいろな想いから、 今後活用できる可能性が少ない大きく重たい荷物とは、寂しいけれど 今心の整理をつけ、お別れを済ませておこうと思い切ることができていたのも ピアノを手放す大きな後押しだったのだと思います。 業者さんの都合により、 かけがえのないピアノとお別れする日が、 かけがえのない愛知の親友と我が家で最後のお別れをする日と重なったのは、 何かの縁でしょうか。。。(゚ーÅ) 大切な彼女にも見守られながら、私と娘はピアノを見送りました。(;。;) ピアノも私たちも、幸せでした。(*´ェ`*) ピアノとホロリ、彼女と号泣でお別れをした翌日、前述の死闘の末、荷出しも済み、 私たちが7年住んだ部屋は全て、空っぽになりました。 部屋は空っぽになったけれど、そこには私たちの愛したものたちの 面影がはっきりと残っているように、私には感じられました。 ありがとうとお疲れさまという言葉が自然と胸に浮かび、しばしぼんやり。。(´_`。) その後、私と娘はそのまま二人で東京行きの新幹線に乗るために、 名駅に向かいました。(´ω`*) 『バイバイ愛知!』 娘の一際明るい声と元気な後姿に橙色の夕陽が差し、 私はこの光景に一瞬立ち尽くして、全身の血が熱くなるのを感じました。 はっと我に返り、急いで撮ったのが、この1枚です。 車中、親友から届いた携帯メールに返信を打ちながら、 その日初めての涙がポツリと落ち、あっという間に止まらなくなった私に(T。T)、 『もう泣かないの。楽しいこと考えれば元気になるよ。またがんばろ!』 ややおばちゃん口調ながらもさらりと言う娘の一言に、 娘自身の成長と、私にはない明るさ、彼女なりの優しさを感じ、 今まで一人で精一杯彼女と向き合った日々や、その後二人で耐えてきた困難、 その一つ一つを通し二人で一歩一歩築いてきた絆・信頼の深さを感じつつ、 娘との思い出がめいっぱいつまった・・・ というか、愛知への引越しとほぼ時同じくしてこの世に生まれた娘との 思い出の「全て」である愛知を、心の奥にしまいました。..:*・゜☆ 人々や景色、ものたちが発してくれるたくさんの優しさに支えられて、
次の扉を開き、また一つ先の自分たちへと進んでいきます。 |
時々、自分日記
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■31歳になった自分の、日常あれこれ。....φ(・v・`)。.:*:・"☆
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何年単位で転勤するのかは決まっていない会社なので、 それが1年後なのか、3年後なのか、5年後なのか、はたまた10年後なのか・・ 先を読むことは難しく、内示の出る半年おきに、 新たな土地へ移り住むという覚悟を新にし、 引っ越すことを念頭において生活をしてきました。 お出かけ好きで、 いろんなところへ行き、いろんなものを見て、いろんなものに触れ、 いろんな人と出会う、そんなことが大好きな私でしたが、 実際の「暮らし」自体は関東から出たことはなかったわけで、、、 私にとって「愛知」というもの全てがカルチャーショック。 当然ですが、旅行で行くのと生活するのとはまるで次元が違い、 常に好奇心飢餓状態の自分を満たすどころか、その針は振り切れ、 1日1日が目一杯の日々。 そんな日々の積み重ねの上、私は娘と7度の夏を愛知でむかえ、越しました。 そして、今年8月末。 ようやくと言うか、とうとうと言うか、転勤の内示がくだり、引越しが決定。 行き先は東京。 こんなことはめったいにないのですが、私たちは結果的にもと居た場所へ 戻ることになったのです。 家庭面でも自分の内面でも、愛知での生活を経て決定的な葛藤が生まれ、 今訪れ与えられた人生の節目をどう受け止め、その先をどう進んで行くのか・・・ この期に及んで迷いましたが、 実家の近くに移り、母のそばで暮らす。という強く差し迫った希望があったので、 残り半年間の幼稚園生活には区切りをつけ、自分の気持ちも一時整理をし、 新たな生活をスタートすることを選択しました。 決めてしまえば、後は時間との戦い。 内示が出た週の土日には東京へ飛び、物件巡り。 その日のうちに次々と物件が消えていくなか、 第一希望の物件はなんとか押さえ、その場で次の住まいを決定。 月末には引越し→→→10月1日より東京都に転入。 そこまでの流れは7年前に1度経験しているので(しかも当時は7ヶ月の妊婦& 会社員でした;)、焦りは全くなく、どちらかと言えば淡々と作業的に 一つ一つをクリアし進めていきましたが、想定外だったことが・・・ それは、娘(つまりは私)の友達とのお別れでカレンダーが埋まったことです。 本当にありがたいことでした。。。 そのさよならの1つ1つに心から感謝をしながら、 7年と言う時の重みを、ずしっと、ずしっと、感じました。 言葉では言い表せない、切なさと共に。 7年前24だった小娘は31のオトナ,「母」となり、 存在もなかった娘はこの世に誕生し、来年には小学生というところまで成長した、 愛知県での7年間。 そこで私たち親子を支えてくれたたくさんの人々、出来事、景色全てに ありがとうをおくりつつ、すっかり乗り慣れたのぞみに乗り、 名古屋を後にしたのです。 何の接点もなかった愛知は、第二のふるさとに。 そんなふうに本気で思い、 東京でふと天を仰ぎながら愛知へ想いを馳せちゃったりする自分に、 自分自身が一番驚きながら、くすっと笑ってしまうような、始まったばかりの東京ライフ。 家の片付けも一段落し、娘の新しい幼稚園生活も始まりました。 未だネットにはつながっておらず、今も実家にて更新しているわけですが、 ようやく生活が形作られてきた感じ。 実家まで20分という距離に今は私の方が救われている状態です。 空気も景色も見慣れた東京。 いきなり妊婦で飛び込んだ愛知での生活を思えば、どんだけラクか。 なんの不安もありません。 そうは言っても7年間、愛知に馴染もうと自分なりに努めながら生きてきた私は 半分愛知の人になっているわけで、東京へ来てからその「違い」に 一抹の寂しさを感じるのも正直なところ。 けれど、そんな自分の感情の中にこそ、愛知で出会った人々を実感し、 温かくもなるのです。 愛知で出会ったみんなに、心からありがとう。 関東から愛知の私を支えてくれたみんなに、心からありがとう。 ブログを通し、勇気を与えてくれたみなさんに、心からありがとう。 そして、これから出会う東京のみんな、どうぞよろしく・・・・☆ 今日から細々ブログを再開、、、希望。(-v-`) 少しずつではありますが、更新していきたいと考えて、はいます。 (書きたいことは、山ほどあるのですが。^^;) 私にとってかけがえのないみなさん。 これからも距離を飛び越え、 まだまだ至らぬ私と、日々精一杯の娘、二人の成長を見守っていてください。 よろしくお願い致します。
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関東の人間はきっと、後楽園と聞いた瞬間、 頭の中で「後楽園遊園地→岡山後楽園」と一度変換していると思います。。。(∇ ̄〃) 私も今回後楽園へ行くまでは、後楽園=遊園地っていう頭が出来上がっていて。(゚∀゚;) でも、実際足を運ぶ効果というのは絶大。d(´▽`)b 今ではすっかり後楽園=庭園と変わりました☆(ただ、私が単純なだけかも。) 岡山後楽園は、 岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて作らせた庭園で、1700年に完成したもの。 その後、水害や戦災で大きな被害を受けながらも、池田家の絵図に基づいて復旧され、 江戸時代より現在に伝わっている、日本の歴史的文化遺産の一つです。(・∀・) 時期が時期なのもありますが、この庭園の特徴は緑! 手入れの行き届いた芝生や植木が一面に広がり、見渡す限り美しい緑。(゚∀゚) 立体的なのではなく、平面的。(・o・)ノ そこがあまりにシンプルで、余計なものなどない、究極の日本の美と言ったところ。 けれど、園内には茶畑や田んぼが広がるエリアもあり、 すっとした美しさを保ちつつもどこか和やかな雰囲気を持つ庭園と感じました。(゚ー^*) 広大でどこまでもフラットなのでどう写真を撮っていいものか悩みましたが、 最終的にここが一番美しいなと思って撮った一枚が左上の写真。 けれど、後からわたされた後楽園のパンフレットの表紙写真が この写真とまったく同じ構図だったのにはビックリ!笑(∇≦*)ノ ぱくったと思われるかななんて、ちょっとドキドキしながらも、 やっぱりここが一番美しいよなぁ〜と、しみじみしてました。(´ω`*)。。 園内には能楽堂やお茶室などの建物もたくさんあり、それらはほとんどが 予約すれば貸しきることができるとのこと。(゚▽゚*)ノ 左の写真(左脇の建物)は延命亭と言って、居間として使われていた中心的な建物で、 ここだけは貸出はしていないということでしたが、その他、点在する13箇所可☆ 後楽園内のお部屋を借りてお食事・・・なんて、とても優雅。憧れます。(´▽`*) 平面な芝生が続く中、唯一高くなっている所があり、そこから全てが見渡せるようになっています。 と言っても、もともと平面的なお庭なので、どこからでも見渡せると言えば見渡せるんですけど☆ その丘の上から。水田が広がるのどかな方面を1枚。(´▽`) ついでに、丘手前の池脇に居た、大人しい鳩さんの写真も・・・♪ 今回は鹿といい鳩といい、穏やかの子ばかり。(*・v・) 水辺も多い後楽園。 日本庭園と言えばと言った形ですが、水に映りこむ景色もまた素敵でした☆彡 池のようなものは定番で、ある意味お決まりパターンのものかと思いますが、 ここの川のような水が描くラインがとても美しく、かなり好み。σ(゚ー^*) どこかモダンに見えるんです。(*・∀-)☆ 池の部分には今が季節の蓮が一面に広がっていました。 庭園を訪れたのは、小雨が降ったりやんだりの朝。 雨粒が蓮の葉の上をコロコロ転がる様子はあまりに可愛らしく、 娘としばらく(随分と?)見入ってしまいました。(´▽`*)(´▽`*) この後楽園自体もまた、周りを全て水に囲まれていて、そこにはお決まりのスワンボートが待機。 でもその中に1つだけ仲間はずれが・・・・・!! 頭のてっぺんが赤くぬられた、タンチョウボートです。(ノ≧∀≦)ノ この庭園内ではタンチョウが8羽飼われていて、タンチョウの放鳥なども有名な行事。 だから、ボートも安直に(素直に☆)タンチョウにしちゃう。そういうの私大好きです。 黒部に行った時に見つけた、ひよこが雷鳥に化けた奴、みたいに!(∇≦*)♡ スワンたち+タンチョウの向こう側には岡山城が見えます。 別名「烏城」。遠目で解りにくいかもしれませんが、壁が真っ黒なんです。ヾ(゚▽゚*)ノ 私にはそれがとてもシックに見え、見学したい気満々になりましたが、ここにてタイムアップ; 世界遺産に登録されている、日本でも世界でも有名なお城。 私は愛知に来るまで城とはあまり縁がなく、遠足などで訪れる機会も見事になかったので (以前は個人的に「城」への興味も非常に薄かったため、旅先ではスルーが基本だった;)、 愛知でからかい半分に名古屋城を見て、入って、ビックリ。(゚Д゚#)! そのおっきさにおののき(金の鯱にも。笑)、それ以来、「城」を見直して、 「姫路城」も一度は実物を見てみたい♪と常々思っていました。・・・念願叶う☆ 白漆喰の壁が眩いほどに美しく、品格というか風格が他の城の比ではないという印象。 こちらはその外観から、「白鷺城」と言われています。 黒塗りの岡山城の渋さの方が個人的には趣味ですが、こちらは万人ウケ間違いなし☆ 中の階段はとても急で、しかも暗いので子供にはちょっとスリリング。(*。*) 中に入るなり大人はスリッパに履き替えさせられるのですが、子供は裸足にされる理由が解りました。(−v−`) 右側の写真は、姫路城型の駅弁です☆ 旅好きでお弁当マニアでもある弟のブログより、無断拝借してきました。(゚∀゚*)=з どうやらこの四角があだになり、とっても食べにくいようですが、 形フェチの私には・・・食べにくさなんてきっと気付かない気がする。(´▽`*) もし弟がこの器を捨てていなかったら、もらいたいなとさえ思いました。(−v−)♪ 原爆ドームより始まった今回の山陽の旅。 最初にガツンとココロにうけた、重く深いインパクトが、 最後の後楽園で優しく包まれたような気がして、とてもバランスの良い旅だったと思います。 こんなにも世界は美しいのに。それなのに。 ボロボロに焼け焦げた原爆ドームと、 キラキラ光る宝石のような海に立つ鳥居、心まで緑に染まるが如く深い色をした後楽園、 400年以上も前からきりりとそびえ立つ美しき白鷺城。 そのどれもが同じ時代にある。今ここに。様々な出来事を見続けながら。 娘には、この光と影のコントラストを心に焼き付けて、忘れないでもらいたい。 そこから「大事」という感覚を見つけてもらいたい。そう思うのです。(´ω`*) |
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平和アーカイブスをはじめ、ちょうどヒロシマ・ナガサキ,戦争を振り返る特番が 毎日のように放送されているので、DVDに一度録った上で、昼間親子で観ながら 借りてある本も合わせ、二人で平和について考えながら、意見を交わしています。 番組や本はどれも解り易く6歳の子供でも十分理解できる内容です。 写真集の写真は、資料館でも公開されていなかったような強烈なもの多数ですが、 娘と同じ、もしくはそれより小さな子供たちが あの日以降このような光景を目の当たりにして生きてきたのかと思えば、 目をさらさず、ちゃんと見ておくべき、知っておくべき、と思います。 平和資料館の売店にはいろいろなものが売っていて、 本(絵本や漫画等も。)もたくさんあり、それらの洋書版も揃っていました。 その中で見つけた可愛らしい水玉模様の折り紙を使って、作った折り鶴たち☆彡 不器用な私、もちろん折り紙も言語道断ってくらい苦手なので、 これだけ折るのも一苦労ではあるのですが。。 1羽毎に願い事を込めて7羽。欲張り過ぎですね; でも一番の願い事は世界平和と、母の病状が少しでも良くなることです。(・ω・`) 願いよ叶え・・・・!。.:*:・"☆ 広島市内を走る路面電車は、広島の街のシンボル。 大正元年より現在まで、最も気軽な交通手段として親しまれています。(・v・*) 私がOLだった頃、働いていた場所はほぼ「大塚エリア」であり、 お隣には都電荒川線という路面電車の駅もあって、 取締役たちにおつかいを頼まれた時などは、それに乗って出掛ける、 なんてこともしょっちゅうだったので、路面電車自体は、自分には懐かしい乗り物。 また、現在住んでいる愛知(しかも比較的近所)にも、路面電車が走っているので 物珍しいというよりは、馴染みであり、気安く使いたくなる存在です。(・∀・) 現在広島には、写真左側の(広島市民球場前より。娘の手が入ってますが;) 古く懐かしいデザインのもの以外にも、 写真右側のやけにカッコイイものもかなりの本数走っていて、 『路面電車のある街=どこかレトロ♪』というイメージを いい意味で覆されたような感じでした。(・◇・)ゞ また、広島の商店街は結構活気があり、歩くととても楽しいです。(゚ー^*) 商店街中には、たくさんの折り鶴で作られた折り鶴タペストリーが いくつも掛かっていて、ここはどこでもない、ヒロシマなんだと実感。 そして、いやってほどある広島焼きのお店からの香りもまた、 広島に来た〜ってことを実感させてくれますね。 ネギをどっさりのせるのも広島スタイルなのか、多く見かけます。 とにかくボリュームがすごくて、食べ応えあり♪ お祭りの屋台で食べるのも粋ですが、目の前で焼いてもらったものを 現地で食べるのは格別です。焼く方も食べる方も汗だくになりながら。(x_x;) 島全体が文化的景観を成している点を高く評価されたとのこと、 神社だけでなく、とりでの前の海、バックの木々一本一本に至るまで、 文化遺産の登録を受けているそうです。(・ω・)! 平清盛の卓越した発想によるものであり、彼の業績を示す平安時代の代表的な資産のひとつ。 そのように説明されましたが、そう考えると、平清盛ってセンスよかったんだななんて、 へんなところに感心してしまいました。(∇ ̄〃) この宮島。 海に建つ厳島神社だけでなく、あるものが、観光者を和ませてくれます。(´▽`*) それは鹿! 私は広島へは何度も来ていますが、どうしてもヒロシマに時間を割いてしまい、 宮島へわたることはなかったので、今回初。ヽ(・∀・` )ノ 鹿は奈良公園ってイメージでできあがっていたので、宮島の鹿はかなり新鮮☆ 奈良公園では犬に吠えられた鹿の大群(本当に大群!)が 娘に向かってくる形で大暴走し、娘は恐怖のあまりに転げまわって 腰がぬけたまま、砂まみれになって大泣きして以来(ToT)、鹿が苦手。(ノ≧∀≦)ノ~~ 予想外の鹿の登場に一瞬で顔を強張らせていましたが(*゚Д`;)、 ここの鹿はおとなしく、いい子ばかり・・・あっという間に慣れました☆ (奈良公園の鹿は、ここのに比べると、かなりえげつない印象が・・・(゚Д゚#)・・) 島には、(当たり前のことかもしれませんが)島民の方が住んでらっしゃって、 住宅地のようになっている箇所もありました。(゚ー゚*) そこに隣接するように、お土産物屋が連立する通りがあって、 私は素敵な和雑貨に出会うべく目を光らせながら(-ω☆)、 娘は適度に休憩しながら、散策を楽しみました。(・v・*)ノ=з 宮島についてはかなり勉強不足で、 しゃもじが有名ということも、私は行ってから知りました。(。・ω・)ゞ 愛知万博のオーストラリア館にあったカモノハシを思い出したくらい、 大きなしゃもじが通りにまつられていて、迫力満点。(*v*)! しゃもじ型のお土産もたくさんありました。 こんな熱いメッセージ付きのものだけでなく(^▽^;)、実用的なものや、 モダンなものもちゃんとあるので、ご安心を☆(−v−`) しゃもじが有名と知ってから、密かに期待していましたが、ちゃんとありました! しゃもじのかわら煎餅♪d(´▽`)b♫♫ クッキー型を集めるのも趣味な私・・・♡ 形フェチなので、このテのかわら煎餅ってたまりません。絶対買い。(o≧▽゚)o それから、お約束のもみじ饅頭! 以前お土産で、チョコレートコーティングされたもみじ饅頭をいただいて、 とってもビックリしたことを思い出しながら、いろんな味のセットを購入。 あんこの苦手な娘も、チョコやクリームのものは美味しくいただけました☆ こしあんの苦手な母には、つぶあんのものを持ち帰りました。(´ω`*) もみじ饅頭・・・正確に言えば、宮島名物。ということも、私は知らなかった。。。 知らないことに触れるのは、とても刺激的で、楽しいことですね。σ(゚ー^*) (次に続く・・・) |
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