御訪問の際に、↓「文字」を応援クリックお願いしますm(−−)m
| 色々ご批判はあろうが、それはそれで復興への足がかりにもなろうし喜ばしい事じゃと思う。 |
| わしは、パチンコに関しては政治的信念から一切しないし、不要と思っとる。 |
| 大体、自動車産業と同じぐらいの(約30兆円)お金が動いているが、公営競技と違い脱税、天下り、朝鮮半島への闇送金の温床となっとるモノをギャンブルと呼ぶのがおかしい。 |
| 他の公営ギャンブルと同じように、ある程度お金の流通がハッキリしているものは、多かれ少なかれ地方の財政を潤しまさに「公」の字が示すように、色んな事業への還元もあり、ギャンブルを目の敵にする人達の生活さえ支えている側面があるが、パチンコに至ってはやりたい放題の全く国にも地方にも還元は無い。 |
| 雇用や税金や、機器、電力にお金が落ちると言う人も居るだろうが、生活保護の金までパチンコにつぎ込むのであれば、韓国のように禁止して当たり前な消費に回ればどれほど経済効果がある事か・・ |
| 中央競馬は規定の取り分を「国庫金」として納めとるから震災後も復興競馬と銘打って続けてきた。 |
| しかし、パチンコ業界の厚顔無恥振りには呆れてモノが言えん。 |
| 計画停電お構いなし。節電何処吹く風。被災地でも営業を再開するらしいが、グループで西の方の生活必需品(水やトイレットペーパーなど)を買い占めているとも聞く。 |
| ほんまに経営者や関係団体の図々しさは被災があろうが関係無しじゃ。 |
今日は、昼から雨が落ちだしたんで暫く振りに更新したが、2008年を最後の旅打ちの続きを書こうと思う。
| 下関の記事は以前書いたが、5月8日の鳴門「日本MB選手会会長杯」に始まり、6月14日〜19日の丸亀周年まで旅打ち三昧だった。 |
| まずは5月8日に鳴門入りして優勝戦、この日は1号艇が横西、3号艇が田村だった。6号艇濱村が少し人気を落としていたが、前づけ必至で好カードだった。 |
| 途中でマン舟券を1本取っただけで泣かず飛ばずで迎えた優勝戦。 |
| 1=3−6は、わしが生まれて初めて100万円超えをしたゲンの良い組み合わせじゃ。 |
| 結果は、3−1−6 田村の絶妙な捲り差しが決まり 4180円の中間配当。 |
| 80数万を手にしたわしの徳島の夜は燃え尽きた!(爆) |
| 徳島はいつも「徳島ワシントンホテルプラザ」が定宿じゃが、目の前の繁華街、冨田町の「竹の瀬」は気にいっとる。値段は高いがエエ店じゃ。 |
| 次の日は、遅くまで飲んで頭が痛かったが、朝一の高速バスで神戸三宮へ移動。 |
| JRで立花へ移動して、専用バスで尼崎競艇場の優勝戦へ参加じゃ。 |
| この優勝戦は、道中ずっと考えていて密かに買い目は決めていた。 |
| 現地でオッズを見て、とも思ったが、決意が揺らいだら不味いので尼崎へ到着して直ぐに「1−2−3」を2万円買った。 |
| それから指定席に入り、途中のレースをポチポチやって見るが全然ダメ。 |
| かれこれ20万ぐらい負けていたが、優勝戦の展示を見て1−2−3を1万円追加で追い買いした。 |
| しかし、押さえにと思い 1−2−4も2万円追加・・ |
| これが要らん事だったが、結果は 1−2−3 で 1060円。 |
| 3号艇 星野が若干人気を落として1000円越えた。 |
| 鳴門で稼いで、バカ騒ぎと尼でまけた分を取り返し、この日は尼崎の妹の家に泊まり、夜は居酒屋で大騒ぎ。 |
| 次の日は、琵琶湖へ行きたかったが、電車も辛く梅田のボートピアへ行く。 |
| 梅田のボートピア自体はええ所じゃったが、琵琶湖難しい・・ |
| まあ、大人しく妹の所へ帰り次の日は広島へ帰る事にした。 |
| 若干、手持ちも減ってきて琵琶湖のバカ負けを反省しつつ、昼頃の新幹線に乗る。 |
| しかし、この日の琵琶湖「サンスポ杯」の優勝戦もなんか穴気配。 |
| 1号艇が勝野で断然人気、2号艇は当事まだB1だった広島の川崎、しかしエンジンは超抜で2コースからも差しをバンバン決めていた。 |
| 「あんたの投票口座へお金入れれる?」と聞くと、「3000円ぐらいなら入れれるよ」と言う。 |
| 「帰ったらお金返すけえ、3000円で琵琶湖の優勝戦2−1−6へ全部入れてくれるか?」と頼んで帰路につく。 |
| 広島へ帰り、いつもの居酒屋で飲んでいたら息子から電話が掛かってきた。 |
| なんと!琵琶湖の優勝戦、2−1−6で 22500円も付いたらしい!! |
| これが、6月14〜19日の丸亀周年の苦しみに変る・・ |
|
さてさて迎えた下関周年G1優勝戦の行方は?(2008年)
| 前日、最終日の勝負レースを優勝戦と決めたわしは、ホテルをチェックアウトして電車に乗った。 |
| 最終日も9時過ぎにはロイヤル席の窓口に並び入場を待つ。 |
| 荷物をカウンターに預けて、販売窓口が開くのを待った。 |
| この日の優勝戦、1号艇が瓜生、2号艇は森永、後はハッキリ覚えていないが、3号艇が阿波、4号艇が井口、5号艇が山崎智也だったと記憶している。 |
| 当然3号艇阿波は最アウト、この節からチルト3度が下関で解禁され、それまで馴染みの薄かった阿波君も大いに下関のファンにアピールしたシリーズだった。 |
| わしが前日悩みに悩んで導き出したのが「2−1−4」外から阿波の捲りに抵抗して1号艇が張って2号艇が差す、と言うシナリオだ。 |
| 仕事人は、まず、グレードレースの優勝戦で2号艇頭を買う事は無い。それだけ優勝賞金の多いレースの2号艇は難しいからだ。 |
| わしは直ぐ窓口に行って、10万円から、2−1−4を5万円、1=3−6と何かを残り5万で振り分けた。 |
| 優勝戦までは、財布へ残っていた5万円でボロボロ買っていたが全く当らず。 |
| で迎えた12レースの展示を見て、2−1−4を確信する。 |
| と言うか、これで取れなければ、また1年修行をし直そうと決意していた。 |
| ロイヤルルームは、ザワザワと相談する声や電話が掛かってきて、1だ4だと言っているのが聞こえてくる。 |
| そうこうしていると、わしにも広島から電話が掛かってきた。 |
| 電話は後輩からで、案の定「何買うんですか}」だった。 |
| 「2−1−4へ有り金全部!!」と答えると、近所の視線が一斉に集まる。 |
| 予想通り阿波が仕掛けていく。しかし、これまた予想通り瓜生が張る。そこを森永が差し抜けた!!! |
| おっ!! 2−1・・うん??ありゃ〜!!瓜生〜〜!! |
| と挫折しかけたが、2マークを回った時点で2−1が出来上がった。 |
| 3着は!!!???4号艇井口も競り合っている(たと思う)。 |
| 頼む!!抜かれるな!!井口〜!!!森永も転覆するなよ〜!! |
| 後にも先にもこれほど井口を応援した事は無い!(爆) |
| 最終的に 2−1−4 5390円!!都合2、695、000円ゲットだ!! |
| わしは飛び上がりたいのを我慢して慌てず騒がず、荷物を受け取り1階まで降りた。 |
| ロイヤル席は狭い・・窓口に並んだら高額を手にする姿を見られる。 |
| 1階の高額窓口に並んでお金を受け取ると、「〜たら」「〜れば」が飛び交う駅への流れに合流した。 |
| こうして、新下関から新幹線に乗り、夜8時、最寄の駅に到着して行きつけの居酒屋に行った。 |
| しかし、次の日収支計算したら約120万円のプラス・・ |
| 最後で取り返しはしたが、競艇で喰っていこうと決意して数年、わしは何をしたいんじゃろ?? |
| この年は、年明けから続いた旅打ち、丸亀、鳴門、尼崎、ボートピア梅田・・一体どんだけ使わないで良いお金を使ってきた事か・・・ |
| 他人はどう言うスタイルなのかは知らない、しかしながら、これは本来目指して来たスタイルでは無い。 |
| 自分はもう、楽しむ競艇、趣味の競艇は止めているのではないのか? |
| そんな自己嫌悪や色んな事が錯綜して、下関の後行こうとしていた若松のSGも止めた。 |
| それまで週に最低でも3回は飲みに出ていたが、一切出なくなった。 |
| それから2年半年、完全に「ひとり」で競艇に向かうようになった。 |
| 今のスタイルこそ完成形などとは微塵も思っていないが、少なくても事回収率は上昇して来ているので、自分には今のスタイルが合っているのだと思う。 |
| しかし、多くの人は本業がある中での競艇、借金や人の金を使わなければ自分の収入の範囲で旅行を兼ねた旅打ちは楽しいに決まっている。 |
| しかしながら、もしその目標を達成できたなら、また24競艇場を巡ってみたいと思っている。 |
| と言う事で、手帳に記入の有る記憶を元に逆進行だが、次はこの年の6月14〜19日に行われた「G1京極賞」参戦記を書きます。 |
御訪問の際に、↓「文字」を応援クリックお願いします(^0^)
|
2月まで雪で悩まされそうなので、過去に行った競艇場の記事書いてみます。
| 長期の天気予報みても2月一杯寒波の襲来が予想されとる・・ |
| わしらにしてみたら死活問題じゃが、自然に挑む力も無い。 |
| と言う事で、いつまでも続くほどネタは無いんじゃけど、やはり楽しい旅打ちの思い出を書いてみようと思います。 |
| 実は、仕事人は2008年の7月、下関の周年G1に行って以降、本場に足を運んでいません。 |
| ある意味この下関の旅打ちで、楽しみながら儲けるなんて言う事はできない!!とハッキリ悟った区切りになったからです。 |
| それ以降、さらにストイックに競艇で生活する術を追及していく事になるのですが、やはりバブリーな旅打ちは楽しさ満載です(爆) |
| 新たな回顧録として書いていきますので、暇がある人は読んで下さい。m(−−)m |
| この頃はブログ始めて数ヶ月・・よう解らん事書いてましたね(笑) |
| 仕事も一段落着いた、2008年7月3日、下関のG1初日だったが、思い切って現地へ行く事にした。 |
| タクシーで競艇場に着いた頃には1レースが終了していた。 |
| とりあえず最終日までの4泊は下関ワシントンプラザホテルを押さえた。 |
| わしが仕事であちこち飛び回っていた頃、ワシントングループを定宿にしとった。高級なホテルは無用。しかもポイント溜まって1万円のキャッシュバックがあったし。 |
| 2日目なのかロイヤル席(3000円)も数席空きが有る様子。すんなり入られた。 |
| 過去にも数回来た事があるが、ロイヤル席は初めての経験。 |
| まあ、今はどうなっているのか知らないが、当時は2000円相当はお得なサービスがあったように思う。 |
| タダのコーヒーやジュース、10杯以上飲んでたし、食事拳も有ったしね。 |
| で、とにかく参加初日はリキ入れて50万円の種銭を持ち込んだ。 |
| 「こりゃ、いけるかも〜!」と滑り出し好調な参加初日を一人で祝おう!と、ホテルへ帰ってチェックイン、料金4泊先払いで部屋に荷物を置いてシャワーの後、豊前田の繁華街へ飲みに出る。 |
| 下関は、2004年から仕事の関係でチョクチョク来ていたので繁華街の勝手も良く解っている。 |
| 今でもあるのかな??「紅の豚」「姫ばち」と言うラウンジがお気に入りでした(爆) |
| まずは、「姫ばち」のママに電話して「飯喰おう」と言う事になり、下関に行ったら足を運んでいた「寿司 浪速」へ。評価は色々分かれるようだが、完全禁煙の高級店。飲んで、魚を造ってもらって少し寿司を摘めば軽くお一人様1万円。 |
| まあ、この頃がバカさ加減の絶頂期だったんじゃろうね〜。 |
| その後、店に行きボトルを入れて大騒ぎ、挙句の果ては姉妹店に繰り出しベロンベロン。 |
| 初日ホテルに帰りついたのは夜中の3時ごろだったと思う。 |
| そして次の日からは、ホテルから近い下関駅から長府まで電車通勤だ。2日目も並んでなんとかロイヤル席に入れた。 |
| 加えて、窓口で買う金額を見て、怪しいスジの人が声を掛けて来る。 |
| 「豊前田で一緒に飲もうや!」と誘われるが、やんわり断わる。 |
| 結局2日目は30万円ぐらいへこんだと記憶している。 |
| しかし、この頃のわしは夕方になるとムズムズしてくる。 |
| またまた別な寿司屋で下準備して夜の街に繰り出して行った・・ |
| 10店舗ぐらい有った下関へ来た時の馴染みの店に片っ端から顔を出していく。 |
| 三日目もロイヤル席獲得の為に並ぶ、人が増えてるようだ。 |
| この日も何とか滑り込めたが、40数席しかないので明日は2時間前には並ぼう!と密かに決意。 |
| しかし・・・この3日目はレース4日目の勝負掛けの日。ただ、何をトチ狂ったのか、この日はATMに3回行って計80万ぐらい注ぎ込んでしまう。投票資金の修行し直し水域に限りなく残金が近づいてしまっていた。 |
| ここまで資金を注ぎ込んだのは数年ぶり。非日常の生活が知らず知らずに投票の自己管理を崩して行っていた。 |
| いかん!完全にリズムが狂っている!と自己嫌悪しながらも、ホテルに帰るとまたまた飲みに出てしまう・・・ |
| 参戦4日目、レースは準優、この日は少し基本に立ち返り使う資金を10万円に絞る。ロイヤル席もこの日は凄い行列で諦めかけていたら、若い衆が声を掛けてくれて、「連れが来れなくなったので使って下さい」と何とか滑り込めた。レースも狙った3レースだけに決めて事前購入。弱い自分に打ち勝つ為に財布もカードもホテルへ預けてその日の資金だけ持って出てきた。 |
| で、結果は1勝2敗。負けは負けだが少し健全なリズムに返って来た。 |
| そして、この日はなんと夜の11時にはホテルに帰って、次の日の検証をした。それでも時間遅いけど(笑) |
| とにかく、これまで旅打ちに出て必要経費や遊んだお金を差し引いても、最低50万は浮かして帰っていた。 |
| 最終日、絶対に負けられない!と思い、あれこれ悩んだ挙句、勝負レースは優勝戦12レースと決めた!! |
御訪問の際に、↓「文字」を応援クリックお願いします(^0^)
|