小学一年生。

お返事遅くなりました(#^.^#) 皆様ありがとうございます(=^_^=)

歴史四方山話

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酒蔵の街から。。

3月初めの事だけれど…。

兵庫県伊丹市に遊びに行って来ました。
大好きなお友達に会いたかったから。。。
彼女はミニバスのコーチとしてもがんばっている、ステキなママさんです。
彼女見てると、私もがんばらなきゃって思います。。。

それともう一つ、思い出の場所を見ておきたかったから。。。

それはここ、伊丹市立アイ・ホール。
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劇団時代、初めて台詞をもらったのがここの舞台でした。
私の青春の場所と言うか何と言うか。。。甘酸っぱい思い出がしばし蘇りました。。。

今もこの場所で若い子たちががんばってるんだろうな〜。

この場所、戦国時代には荒木村重の有岡城があり、石垣が残されています。。。
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荒木村重。池田家に仕えた後、織田信長に気に入られその配下に入ります。
しかも織田家重臣として摂津国(今の大阪府・兵庫県の一部)を任されると言う高待遇。
そんな村重、数々の武功を立てたのに、有岡城にて突如信長に反旗を翻します。
その理由は不明。いろんな憶測がなされているのですが、はっきりと分かってはいません。
いろんな意味で、彼はプチ「明智光秀」的存在です。

村重謀反の際、翻意させるために秀吉の命で使者に立った黒田孝高(如水)が土牢に監禁されました。
このエピソードは大河ドラマでも何度か取り上げられているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。。
村重はここ有岡城に篭城し抵抗し続けましたが、側近の中川清秀や高山右近の寝返りにあい、戦況は圧倒的に不利になりました。
そのため、彼はたった一人で城を出て毛利氏に亡命してしまいます。かつての敵だった毛利に援軍を求める為だったのかもしれません。

その後も有岡城では、残された家臣たちがよく闘いました。
が、その年の暮れ、とうとう落城してしまいます。
そして、まず有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において惨殺され、(家ごと焼殺されたのだとか)
その直後、京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人が、大八車に縛り付けられ京都市中を引き回された後、六条河原で斬首されました。。。
とにかく酷くむごたらしい処刑だったそうです。。。

一人生き残った村重は、本能寺の変の後、堺に移ります。
そして豊臣秀吉が覇権を握ると、秀吉は村重の過去の過ちを許し、御伽集の一人として中央に復帰します。。
天正14年(1586年)5月4日、堺で死去。享年52最でした。

何故、信長に反旗を翻したのか。何故、本能寺の変後、秀吉が彼を受け入れたのか。。。全ては謎。
興味深い人物です。


それに、荒木村重は『炎の蜃気楼』の登場人物だしね♡

この有岡城。JR伊丹駅前にあるんです。。。
この駅の逆側には関西最大級のショッピングモール・イオンモール伊丹テラスがあるのですが。。。
JRから見て、有岡城の裏側。
ここはいい感じの酒蔵の街となっています。
阪神淡路大震災で、かなりのダメージを受けたのですが、
その後の再開発で調和の取れた街づくりがなされ、今ではこの通り。。。
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「白雪」でおなじみの小西酒造などが建ち並び、いい風情を醸し出しています。
江戸時代、江戸で持てはやされたのが、ここ伊丹のお酒。
伊丹のお酒は、上方から江戸に下った、いわゆる「下りモノ」
地元関西よりもむしろ江戸での販売額が多かったようです。
江戸時代が終わりに近づくにつれ、灘や西宮にその地位を脅かされていきますが、
伊丹は公家の近衛家の領地だったこともあり、却って京都で優遇され始め、
産地偽装とでも言うか、京都のお酒に伊丹のラベルを貼ったものが出回るほどの人気を博したそうです。。

そんな伊丹。現在の関西人にとっては、空港の街。。関西空港ができるまでは国際空港がありました。。。
私もよく猪名川沿いで飛行機の発着を見にいったな〜。。。

今は国内線オンリーですが発着数もかなり多く、我が家の真上も伊丹着陸機のルートとなっています。。
離着陸の見学にもってこいの伊丹スカイパーク(大阪国際空港周辺緑地)が整備され、家族連れやカップルに大人気♪

いろんな顔を持つ伊丹。
村重ゆかりのお寺のお参りもしたかったし、酒蔵の街をゆっくり散策したかったのですが、
雪が舞い始めて、寒さのため途中で断念。。
もう少し暖かくなったら、また行きたいな。。。
Cちゃん、その時はまたよろしくね♡

お友達との楽しい時間と、街の震災からの復興、
そしてほんの少し、大好きな「炎の蜃気楼」の世界に触れることができて、とっても嬉しい気持ちになって
伊丹を後にしました。。。
節分、終わりましたね。。。
ご家庭ではどんな節分行事をしましたか?
我が家では、節分そばを食べて、豆まきをして、巻き寿司の丸かぶりをしました。

だけど、我が家の場合、豆まきは殆ど「鬼ごっこ」。
家族で順番に鬼のお面をかぶって逃げ回るんです。残りの家族は、とにかく鬼に豆をぶつける(=^_^=)
最初はちゃんと「鬼は外」「福は内」と声をかけているのですが、
いつも最後は「うりゃ〜〜」などと叫びながらの「豆ぶつけ」に変わっています。
子供たちは夫に向かって全員で投げつけるのが、一番楽しいみたいです(*^-^*)
夫の反撃がまた楽しくて、我が家では大人気の節分行事です。。。
ちょっと間違ってる気はするけれど。。。


実家では「鬼は外」との掛け声と共に、玄関から豆を外に投げてはすぐにバタンと戸を閉める。
次に、外から中に向かって「福は内」と声をかけながら豆を投げ、
福が逃げないようにと、またすぐにバタンと戸を閉めるといった豆まきでした。
これは淡路島の人のやり方なのかもしれません。

夫の実家では、「鬼は外、福は内」の掛け声の後、「ごもっとも。ごもっとも。」と言っていたそうな。
娘の担任も同じ事を言っていました。
地域によって、豆まきの作法?は全然違うんですね。。。

あなたのおうちでは、どんな豆まきをしますか??


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節分とは、本来は年に4回、その季節の最初の日である立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。
その中でも2月3日は寒い冬から暖かな春へと移る「立春」の節分であり、旧暦では大晦日にあたります。


ところで、お寺などで行われる節分行事には「星祭」と呼ばれる行事もあるんです。
例えば、大仏様でおなじみの奈良県・東大寺。
ここの二月堂、3月のお水取りで有名なお堂ですが、(そしてミラジェンヌにとっては直江の独白…)
2月の節分の日には豆まきが行われます。そして夕方になると周辺の石灯籠に火が灯され、星に祈る法要「星祭り」も執行されます。

年の変わり目・大晦日でもある節分に、その年の当たり星を祀って、悪い年は悪事災難を免れるように、善い年は一層よくなるようにと祈祷するんです。
なので、神社やお寺によっては、その除災招福を祈る節分行事を「星祭り」と呼びます。。。

違う言い方をすれば、生れた年によって定まる「本命星」(北斗七星の七つの星の内の一つがその年の生まれ星と定められています)と
本年の廻り星である「当年星」をお祀りし、禍を転じて福となす「転禍為福」、そして福をより多くにと「福寿増長」を祈る除災招福を祈るお祭りです。

ここでは節分に付き物の「鬼」は殆ど登場しません。。。





「鬼」と聞いて想像するのは赤鬼や青鬼。毛むくじゃらの大男。牛の角に虎の毛皮の褌。ですよね。
これは平安時代に確立した姿で、「艮:うしとら」(北東の方角)を鬼門と呼んだことが、由来となっています。
艮は陰陽道では、鬼が出入りする方角=鬼門であり、忌むべき方角とされています。
京都では鞍馬山などがその方向に当たります。
そして、同じく京の鬼門にある吉田神社。ここが京都の人たちにとっては節分にお参りすべき神社となっています。
ここ吉田神社と、裏鬼門に当たる新撰組でおなじみの壬生寺。その両方にお参りするとよりご利益があるのだとか。。。


全国各地に鬼にまつわる伝説があるのですが、その土地はかなりの確率で古代において「鉄の産地」だったりするのです。
なので「鬼」は本当は人間で、その時に住んでいた人(鬼)を「退治」してその産鉄の権利を奪ったことが、
鬼伝説の元になっているのではないかと言う説もあります。。。


鬼退治をした有名人といえば、桃太郎がピカイチです。
岡山県にある吉備津神社(きびつじんじゃ)に祀られている吉備津彦命(きびつひこのみこと)が
そのモデルの一人とされています。
彼は第7代孝霊天皇の皇子です。その吉備津彦命の家来が「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣=雉」。
鬼門である「艮」の逆の方角=猿(申).雉(酉).犬(戌)を用いて吉備津彦命を支えさせたのではないか言われています。
また、桃太郎が退治した鬼のモデルとなったのは「温羅」と呼ばれる「人物」。 
彼は桃太郎がやってくる以前に吉備国を支配していた旧勢力の長ではないかとされており、
どうやら大陸からやってきた「製鉄技術を持つ渡来人」だとの説が有力です。

他に、有名な鬼といえば、大江山の酒天童子。
酒天童子がまだ人間だった頃、越後(今の新潟県)に住む大変な美少年(名は外道丸)だったそうですが、
鬼と化した後は大江山に移り住んだそうです。
そして、ここ大江山にも朝鮮式山城跡が残され、鉄も産出したことから、やはり製鉄技術を持つ渡来系の人々がいたのではないかと言うことです。
余談になりますが、酒天童子を退治した武将・源頼光。
頼光の「四天王」と称される家臣の一人「坂田金時」は小さい頃の名を「金太郎」と言いました。
お伽噺でおなじみの金太郎さんです。彼は実在する人物で、長じて立派な武将となり、鬼退治までしたのでした。。。

それから、酒天童子・一の子分の茨木童子。
摂津(大阪府茨木市)出身説と、越後出身説(越後説では美少年だったらしいです)があるのですが、出身地とされる新潟県のある地域には茨木姓が多く、その茨木姓の家々では節分に豆をまかないそうです。
更に、その茨木姓のお家では、屋根に破風(と言う飾り)を付けると、その家からは「不良が出てしまう」という言い伝えもあるそうです。


鬼。もしくは鬼とされた人々に、と〜っても興味があります。

鬼伝説は全国に散らばっているんです。
現在の鬼は、仏教の経典に描かれている「羅刹」が混入したものであるそうですが、
古代において鬼とされた人々の中には製鉄技術を持ちつつ、大和朝廷に従わなかった人々が多く含まれている可能性があります。
他に、白人(とくにスラブ系漂流民、もしくは北欧の海賊・バイキングなどの)であるとか…。
赤や青の肌の色は、腐っていく過程の死人の色であるとか、
怨(おん)や隠(おん)ど言った精神をあらわした存在だとか、諸説あります。。。


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節分といえば、関西人の私には豆まきよりも、むしろ寿司の丸かぶりです。
今では丸かぶりの太巻きは、「恵方巻き」なんて名前も付き、全国的になっているんですよね。。。最近ではロールケーキの恵方巻きなどもありますよね。
子供の頃に祖母から聞いた話では、黒い海苔に巻かれた太巻きを「鬼の金棒」に見立て、がぶりと食べることで、鬼をやっつけるという、鬼退治をしていたのだとか。他に、七福神に見立てた七種類の具を海苔で巻いた太巻きは「福を巻き込んでいる」のだからと、福を逃さないように歳神様のいる方角=恵方を向いて無言で食べるのだとの事でした。厄落としの意味もあったのだとか。。。

恵方とは、その年の福徳を司る吉神「歳徳神」(歳神、正月さま)のいる方位で、毎年変わります。2008年の恵方は丙(ひのえ)南南東でした。
その変わるタイミングが、節分の夜。節分の夜は各方位を守る神が移動します。そしてその変わる隙を付いて魔が入り込みやすいのだとか。。。
いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来るとされており、
運が良ければ節分の夜、大阪・北新地ではホステスさんによる、京都・祇園では芸妓さんや舞妓さんによる「仮装」=オバケに出会えるそうですよ〜〜。

節分の日は、旧暦では大晦日であることから、節分の夜に見る夢も「初夢」と言うのだそうです。。。


そして、暦の上では、春が始まりました。。。寒くて厳しい冬ともお別れです。。。


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平忠度のこと。

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 平忠度について語りたいと思います。平忠度は平安時代末期の武将です。

 少し昔、キセル乗車(ただ乗り)の事を、薩摩の守と言ったそうです。それは忠度(ただのり)が薩摩の守だったから、だとか。
 私の父の時代の人は、そう言う言い方をするらしいです。が、私は聞いたことがない。
 
 
 忠度は平清盛の末弟でありながら、都で育った他の兄弟達とは違い、熊野で成長し、長じて文武両道の人として知られました。
 
 
 とは言っても、彼は富士川や倶利伽羅峠のブザマな敗け戦さの時の副大将。彼個人は武勇の人であっても、将の器では無かったのかもしれません。

 忠度は歌人としても知られています。
 『千載和歌集』には、忠度が朝敵だったため、「詠み人知らず」としてですが一首載せられています。
 『さざ浪や志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな』
 いかにも都落ちした平氏、という作品です。

 私が好きなのは『平家物語』「薩摩守の最後」にも登場する、
 『行き暮れて木の下かげを宿とせは 花やこよひのあるじならまし』
 です。
 この歌に関しては神戸・須磨一ノ谷の戦いの時に、こんなエピソードがあります。
 敗戦濃厚となり、忠度は西を目指して落ちていこうとします。
 ところが源氏方の武蔵の国の住人、岡部六郎忠澄に見つかります。
 忠度は「自分は源氏方だ」としらを切り、逃げ落ちようとしますが、
 坂東武者はしないはずの「お歯黒」を付けていたため、平家方だとばれてしまいます。
 大力でならした忠度も、岡部と岡部の郎党二人相手では形勢不利となり、
 まず腕を落とされ、首を落とされ、討ち死に。
 享年41歳でした。
 上の歌は、その時、えびらという、矢を背負うための道具にくくりつけられていた紙に書き付けられていた事で、知られています。

 彼のことを慕う人は、敵味方を問わず多くいて、岡部忠澄も、忠度のために、埼玉県深谷市に墓を建てています。
 その忠度のお墓は、『腕塚』と共に神戸市長田区にもあります。
 震災で倒れましたが、地元の方の手で、復興されました。
 長田区には清盛のお墓など平家ゆかりのものがいくつかあります。

 『腕塚』は明石市にもあります。
 忠度が岡部忠澄らに見つかった場所というのが、今の山陽電鉄「人丸前駅」すぐ西側の高架下。
 その近くにもう一つの『腕塚』があるんです。
 少し寂しいところなので、敗戦の将の墓にはふさわしい場所かもしれません。


 『人丸さん』こと『柿本神社』は祭神が柿本人麻呂で、境内から淡路島や明石大橋を臨む眺望は最高です。
 人丸さんに隣接する『天文科学館』も子午線上の建物として知られ、我が家の子供たちのお気に入りスポットです。


 また。忠度を討った岡部氏は、その後もずっと繁栄し、江戸時代には泉州・岸和田の殿様となりました。
 今も続く岸和田のだんじり祭を始めたのが、この岡部の子孫なんです。技術提供したのは淡路島の職人だそうです。

 な〜んて話を、旅先で、時々移動中にするんだけど、夫は嫌がるんですよね〜。
 折角旅に出るんだから、そこにちなんだ歴史の話でも、ってサービス?してるのにぃ。
 興味のない人には、ただの雑音なんでしょうね(><)
 分かってるんだけど、聞いて欲しいのよ〜。

 彼が育った熊野の近くまで行ってきたので、忠度の事を思い出してたんです…。

 あ〜すっきり♬

 でも、忠度は、なんで自分だけこんな辺鄙な所で育てられなきゃいけないんだろうとか、都に上りたいとか、思ったりしなかったんだろうかとか、いろんな事を考えることが出来て、それはそれで楽しかったけれど。
 


 写真は忠度とは全然関係ないですm(_ _)m
 在原業平のお墓です。平安時代一押しのイケメン。天川村にありました。

七夕の日のこと

 七夕の日、京都に行って来ました。

 場所は貴船。京都の奥座敷とも言われる、風光明媚な山あいの町です。
 水をつかさどる貴船神社が鎮座し、夏は川床の建ち並ぶ、浮世離れした素敵な場所なのです。


 ここでは七夕の日を中心に、貴船水まつりが行われていました。
 笹飾りをライトアップしたり、舞台では、尺八などの演奏が披露されていたり…。


 貴船に行くには、我が家の場合、京阪電車と、叡電を乗り継いでいくことになります。
 
 夜に貴船に着けばいいから、家を出た当初は、乗り換えの出町柳駅では、鴨川で川遊びをさせるつもりだったんです。
 
 でも、人が少ないことをいい事に乗り換えの京阪の終点・出町柳駅のエスカレーター&ムービングウォークをぐるぐる回って延々子ども達が遊んでしまい…
 今更川遊びをすると、今度はいつになったら止めてくれるか分からないからと、叡電に乗ることにしました。

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 私としては、終点、鞍馬まで行きたかったんです。何てったって鞍馬は牛若丸修行の地♬

 で、何とか子供たちをその気にさせて、いざ鞍馬山&鞍馬寺へ。


 鞍馬口駅前には、鄙びた風情の鞍馬街道が通っています。子供たちはタイムスリップしたかのような気分になったみたいでした。

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 それから山門をくぐり、鞍馬寺へ!


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これは由岐神社。鞍馬の火祭りで有名な神社です。

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これは本殿からの眺め。左に見えるのが、比叡山です。

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そしてこれは息継ぎの水。牛若丸が、のどを潤した水。今もコンコンと湧いていています。

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これは木の根道。このあたりで遮那王と名乗っていた頃の牛若丸が剣の修行していました。

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それから背比べ石。奥州へと旅立つ義経が、鞍馬を抜け出す時に、この岩と背比べをしたのだとか…。


そして、ようやく貴船に到着。一山超えるだけで、雅な感じがしてきます。女神さまを祀る神社のお膝元だからかな。

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建ち並ぶ川床。

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私達庶民は素通りです…。せめて、流しそうめんだけでも食したかった…。

貴船神社は縁結びの神様として知られる神社です。本殿から少し離れた結社(ゆいのやしろ)に磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られているからなのですが…。

この方、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)のお姉さんです。
初代の天皇である神武天皇の曽祖父・瓊々杵命(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫命にプロポーズした時、姉妹の父・大山衹命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命もすすめたけれど、瓊々杵命は美人の木花咲耶姫命だけを娶りました。
一人残された磐長姫命は、「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、この地に鎮座したと伝えられ、現在も訪れる人が絶えません。

私も、いつか来る日のために、子供たちの良縁を祈ってきましたよ♬(ともち〜、ぷうをよろしくね♬)

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貴船神社本殿へと続く石段を登り、

まずは水占

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お兄ちゃんの大が小吉。妹のぷうが中吉。


それから笹に短冊を結んで

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尺八の演奏を楽しみ、

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そして、笹飾りのライトアップ。と〜っても綺麗でした。

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この時8時。
ようやくここに来て、空腹に気がつき、急いで帰ることになりました。
バス停まで来ると、たった今、バスが出たばかり。
でも!これはラッキー。

この辺り、蛍が出るのです。

駅近くの「蛍石」の辺りはたくさんいるとのことだったのですが、
バス停のほうは無理かな〜と思ったその時に〜!
一つ、ほのかな明かりが。
子ども達がわ〜っと歓声を上げて川べりに行くと、いました!たくさんの蛍が!!
それからバスが来るまでの間、トイレの臭いに包まれながら、蛍鑑賞と相成りました。
とっても綺麗でした。出会えると思っていなかっただけに、ほんとに嬉しかったです。

そして、電車に乗って、三条へ。古本屋さんで漫画を大人買いしたかったのですが、子供たちの「腹減った攻撃」に負け、先にお店に行きました。

三条バスターミナル跡地のKYOUEN2Fの創作和食のお店「眺庵 〜かがやき〜」にて、パパのお誕生日会を兼ねた遅い夕食を取りました。茶室みたいな落ち着いた部屋でゆったりと。夫は七夕生まれなんです。


それから、お向かいの古本屋さんに行きました。
閉まっていました。
が〜ん。

そして、ホームについてびっくり。後1分遅かったら、大阪市内まで帰ってくれる電車がもう無かったのです。終電までの最後の1時間ぐらいはせいぜい「寝屋川市」か「淀」止まり。危ないところじゃった〜〜。覚えておこう。

と言うわけで、怒涛の如く、我が家の七夕は過ぎていったのでありました。


終わり。


じゃ無かった。


この日、関西は一日中曇っていました。

折角の七夕の日に、天の川が見れないのかと思っていたら、
大阪市内に帰ってきたら晴れてたんです。
そして、頭の上には夏の大三角〜!(上がベガ=織姫 右下がアルタイル=彦星 左下がデネブ)
天の川は、くっきりとは見えませんが、うっすらともやが掛かったような感じで見えました。
なんとなく、嬉しかったです。

よかったね。ちゃんと恋人たちが会えて。


最後は、ロマンチックな気分に浸りながらの帰宅となりました。 お終い。

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再来年の大河ドラマ

 再来年のNHK大河ドラマが決定しました!
 タイトルは「天地人」
 主人公は直江兼続(なおえかねつぐ)!!!

 面白い生き方をした人ではあるし、何年も前から兼続を大河の主人公にって声はあったのですが、
 まさかいわゆる「殿様」でもない彼が、上杉景勝の家老に過ぎない彼が
 主人公に選ばれるとは思ってはいませんでした。

 彼はいわゆる「義」の人。かぶとに「愛」の前立てをあしらってた人。
 幼少の頃は樋口与六と名乗り、美形だったそうです。(これ大事)
 源平の争乱の時代の武将、木曽義仲の四天王樋口兼光の末裔とされています。
 義仲は越後の守となっていた時代があるので、
 その誼で義仲没落後、樋口家は越後に落ち延びたのかもしれません。
 その兼光もまた、義の人でした。(でも近江での義仲最期には駆けつけることが出来なかったようです)

 与六はその後、謙信の家老だった直江景綱の娘・お船の方の婿となり、直江兼続と名乗るようになります。

 でもその前に、上杉家では一悶着ありました。
 それがいわゆる「御館の乱」
 謙信には実子がなく、養子が数人いました。そのうちの一人は上杉の分家みたいな所へ早い時期に養子に出していたのですが、養子のうちの残り二人が謙信亡き後、相続争い「御館の乱」を起こしました。

 かたや泣く子も黙る美形の上杉三郎景虎。小田原北条氏出身。
 かたや謙信の甥(姉の子)にして、三郎景虎の妻の実兄、上杉景勝。

 このとき暗躍したのが樋口兼続。
 御館の乱では景勝方が勝利します。
 乱後、重臣直江景綱の娘・お船の最初の夫、直江信綱が死亡し、景勝の命で、兼続が二人目の婿となったようです。

 私にとって興味があるのはその辺の話なのですが、
 でも、大河ドラマ的には、関が原の乱がメインなのかもしれない。

 何しろ彼は、「直江状」を権力者徳川家康に叩きつけた男。
 「来るなら来い!受けて立つ!」みたいな手紙なのですが、それを読んだ家康が激怒した事が、関が原のきっかけになったとされています。

 それにしてもどんな話になるんだろう〜。
 三郎景虎は出てくるのか?そして誰が演じるのか。
 大河で上杉方の視点からってのは初めてだと思うので、嬉しいです。
 早く見たいよ〜〜〜。

 あぁでも私、まだ去年の大河ドラマ「功名が辻」見終わってないんですよね…。
 

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