大連日記

昭和19年大連の小学生日記

(続) 大連日記

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一月 二十四日 金
 朝起きると、すぐ甲板へ行って見た。もう大連が、ずいぶん離れて何一つ見えない(大海原)になってゐた。ここらはまだ黄海なので、海の水が黄色い。
 船はあくまのように煙突から(黒煙)を空にはきながらすべるやうに波の上を走ってゐる。
 カモメが、きゃあきゃあとめうな鳴き声をたてながら、海面すれすれにおりてえさをひろっている。このカモメは人になれているので、すぐちかくまで飛んでくる。
一月 二十六日 日 晴
 朝起きて、うつらうつらしていると、甲板から海中に身をなげて死んだ女の人があったよと近所の人に聞いたので、急いで甲板に来てみた。だが波が高いので、もう飛び込んだ人はわからなかった。
 もう日本の島が、見えてきた。いよいよめざす佐世保に着いた。この港は前は日本の軍港だったのだ
それで、こわれた船や、航空母艦などがあった。
 内地の山が、はっきり見える所まで船が近づいた。ここは、春がめばえて来たらしく、木や、草や、畠にも青々した芽が、出そろってゐた。
 アメリカ人が、ポンポン船に乗って調べに来た。僕はアメリカ人を見たのは、今日初めてだ。
僕と浅島君、小父さんなどと、つりどうぐを持って船尾に魚つりに行った。はりに貝のえさをつけて糸を長く延ばしてつったが、貝のえさがぼろいのか、なかなかつれない。たうたうやめてかへった。
 夕方向こうの島から、荷物はこびの小舟が来た。その船に、お父さんたち男の人が、ぜんぶ荷物をはこんだ。
 僕はそれを見てゐた。荷物を投げまちがって、何度も海中にざぶんざぶんと落とした。落ちたのは、みんなびしょびしょにぬれる。が、一つ落ちたまま波に流されてとれない荷物があった。
 部屋の中で、みんなとトランプをして遊んだ。お父さんに日本の地図をやさしく紙にかいてもらった
晩ごはんが出たが、おかゆでたりなかったので、食パン、南京豆、イリコをもらった。
 十四歳以上は、調査票を書くのだ。僕は今度、十四歳になったので、お父さんやお母さんにならって、いつしょに書いた。 机も無い所で、小さな字を書くのは少しむつかしかった。
 明日は午前一時に、べんたうが来て、三時に朝食が来るさうだ。そして、六時にこの高砂丸を降りて、ボートでまた別な収容所に行くさうだ。朝はやいなあと、僕は思った。
 今晩はこの船は、イカリをおろして止まってゐるので、少しもゆれなかった。それで、僕は夜中まで話しをして遊んでゐた。
一月 二十七日 月 晴れ曇
 朝一時から起こされて、便多雨をつめた。すぐ朝食も来た。今日の飯は麦より米の方が多くて、おいしかった。おわると、すぐ出発出来るやうに荷物の用意をした。
 そのうち六時になったので、船艇が来た。僕たちは、高砂丸とお別れして、その船艇に乗り込んだ。
みんな乗ると、船艇は煙をはいて海上を走りだした。しばらくすると、検疫所についた。
 ここは注射や、種痘をする所だ。後から出て、船乗り場までトラックに乗るので並んだ。検査があったが、ただ荷物をひらいて、しろい粉をかけるだけで終わった。まるで遊びごと見たいだ。
 人が多いしトラックがなかなか来ないので、歩いて船乗り場まで行く人がたくさんあった。僕たちも歩いて行くことにした。
 稲刈りのすんでゐる田や、畠から青い草の芽が沢山出てゐた。うらじろの葉や、よもぎなども伸びていた。僕はこんな田舎道を歩くのが大すきだ。所々に田舎の人の家があった。その庭には、ざくろや、
ミカンなどの木が植えてあった。葉の間には美味しさうな実が、重さうに生ってゐた。
 小鳥が飛びながら美しい声で鳴いてゐた。近道をして、しがらく歩くとずっと下の方に、海が見えて来た。その先には、僕たちが行く船乗り場があった。山の階段をおりて、海岸まで来ると、よしの葉が
背よりも高く延びてゐた。長い橋を渡って船乗場についた。
 だいぶ遠いと思ってゐたが、あんがい近かった。腹がぺこぺこなので、すぐ小屋でご飯にした。
とっておいた、イカのかんずめを開いた。白米のご飯にイカのかんずめのおかずで、海を眺めながら食べた。とてもとても、おいしかった。
 二回目のポンポン船が来たので、僕たちはすぐ乗った。後ろの方がいいと言うので、船尾に行った。
みんな乗り込むと、ポンポン船はスクリューをまわした。波が上下左右にかきまわされる。
 ポンポン船だけあってとても走るのが早い。この海は、大村湾といふ湾ださうだ。波が静かで水が澄んでゐた。夏だったらば、僕は泳ぐ所だ。沖にくると木の青々と茂った島が沢山あった。それはとても美しかった。また無人島で、恐ろしい人でも出てきさうだった。カムフラジイをした、無線塔が空高く
そびえてゐた。長い入り江を通ってやっと着いたので、船が止まった。 
 ここの収容所に行くのだ。船をおりると収容所が沢山あった。僕らの入る部屋は、第三号室なので、
ずっと遠かった。入ってにると、畳のない木の部屋だった。ここは前の、海兵団の建物だと、お父さんが教えてくれた。飯は三食あるさうなので、僕は嬉しかった。とすぐ白米のかたい飯が出た。とてもうまかった。夕方ボタン雪が降ってきた。ここは九州の長崎県だが少し寒い。
 夜はここから、軍隊の毛布をかりてかぶって寝た。(この日記はこれで終る)

一月  二十二日 水 晴
 今日はこの関東軍そうこをたって、ふとうの収容所に行くのだ。それで、朝からみんな荷物をまとめたり、出発じゅんびをしたりして、とてもいそがしかった。
 朝のご飯は、どぶどぶのおかゆだった。晩ごはんがすむと僕たちは自分の荷物を身につけて午後四時に収容所の前へ並んだ。
 そして三十三団の一班の旗を先頭に、いよいよ関東軍倉庫を出発した。後ろの方に僕たちがつとめてゐた三びし網工場が立ってゐた。
 僕と二組の班長さんは、一班の後について、小母さんたちの大きい荷物を持ってあげた。老人や小さい子供などがゐるので歩くのがとても遅かった。夕方近くになってやっとふ頭についた。
 きれいな広い待合室でしばらく待った。海、船、貨車、起重機などあらゆるものみな何年ぶりかに見た。もう船にのりこむのも間近だ。
 ふ頭の収容所に行くと関東倉庫よりずっとうす暗かった。僕たちはだいぶすみのほうだった。僕と町田君は外に出て、起重機が動くのを見てゐた。貨物船から汽車に石炭をつんでゐるのだ。今日は、町田君と、夜中まで起きてゐるのだ。
一月 二十三日 木 晴
 今日は、船に乗れるさうだ。朝ごはんは又おかゆだった。終わると町田君と、外に出てみた。すると、僕たちが乗る船が、遠くに浮かんでゐた。くそがしたくなったので、僕と甲斐君と便所にいった。
 甲斐が手袋を、便所の中に落とした。そして半泣きになりそうだったので、僕が手伝ってやっととれた。急いでかえると、もう待合室にならんでゐた。僕もおいついた。
 みんなが、船がきたぞといって、窓から見たので僕も覗いてみた。すると、すぐそばの海へ、真っ白い船体に赤い赤十字をつけた、九千トンぐらいな大きい病院船が横ずけになってゐた。
 この船は、前病院船だったが、今は輸送船になっているのだと、お父さんがおっしゃった。
名前は「高砂丸」というのだ。イカリをがちゃがちゃと、海底におろしてゐた。
 こんな大きなきれいな船に乗るのかと思うと、とてもうれしくなった。それから二時間ばかりして、乗船が始まった。
 僕たちの三十三団は、一番後から乗った。鉄ばしごを渡って船に乗った。船内はとてもあたたかい。
久ぶりで、船に乗った。病院船なので、お医者さんや、看護婦さんが大勢ゐた。
 みんな親切だ。僕たちの部屋は、ちょうど船の真ん中あたりにある。
僕は驚いてきょろきょろしていた。すぐ甲斐君と甲板に行って見た。
 西の空が夕日に照らされて、赤々と美しくかがやいていた。潜水艦がぜんたい水に包まれて、青い光を出してゐた。
 この船は六時に埠頭を発港した。なつかしき大連よさらば、今度はいつ来られるかわからない。
速力が早いので、もうとうだいの所まで来た。光であいずをしてくれた。後ろをふりかえると、収容所の光や、青い光がさびしさうに、ちらちらと光ってゐた。

一月 十九日 日 晴
 あまりうれしいので、一つも眠れなかった。六時半に起きて、荷物をリユックサックにつめたり、ふろしきに包んだりした。着物もきかえた。小野先生は、家に泊まったので、こうりにつめてしばったりして、手伝ってくれた。
 必要な物だけ藻って、あとはみんな家にのこして行くのだ。時間におくれると、おいていかれるので、急いで、いものはいったご飯を食べた。
 小野先生や、中村の小母さんに、お別をして家を出た。もう二度と、この家や広場にあえないと思うと、悲しくなった。
 初めに、初音市場の前に集まるのだ。足立、叶、浜井さんの小母さん達が、僕たちをお見送りをしてくれた。井上君も見送って「手紙をやるぞ」と言ってくれた。
 お母さんは、涙をながしていた。叶と、浜井の小父さんが、荷物を持って初音市場まで来てくれた。
帰る人が、沢山集まっていた。トラックに荷物をつむのだ。お母さんと、市場の中にはいって一つ十五円もするオハギや、白米にぎりなど、たくさん食べさせてもらった。とても甘くておいしかった。
 僕とお母さんと彩子の三人は、そこから電車で大広場学校に行った。お父さんは、トラックで荷物といっしょに来るのだ。
 学校につくと、同じく人がたくさんいた。そこで、調べると、まちがへて、僕たちは内地へ帰れる番でなかったのだ。それで、収容所にも、船にも乗れなくなったのだ。
 班長に、帰ってくださいと言われた。もう、みんなgっかりした。けれどもお父さんがいないから、収容所まで来てみた。
 お母さんは、心配して何度も労働組合にそうだんに行った。夕方まで寒い所で僕たちは待っていた。
久田の小父さんが、ふとうに行くのにあった。
 そのうちお父さんが、いらっしゃった。鶴木のおにいさんが、収容所につとめていた。今はロスケの通訳なので、とてもロシヤ語が上手に話せる。
 その鶴木にいさんのおかげで、大きな家の二階の収容室につれていってもらった。まるで、工場のやうな広い部屋だ。
 いま 家に帰されては、もう何もないので「コジキ」になるより仕方がない。それでここにとまって、帰れるようにお願いするのだ。
 この収容所といふのは、前の「関東倉庫」だ。あまり広いので、僕と彩子は走りくらをしたり、はばとび、逆立ち、おにごっこなどをして、あばれた。
 夕方になると、検査が終わった人々が、この広い部屋にぞくぞくと入ってきた。たちまち人が、沢山になった。
 夜、鶴木にいさんが、白米のおにぎりを持ってきてくれた。かたくてとてもおいしかった。腹がいっぱいになったので、毛布をしいてみんなで並んで寝た。
一月 二十日 月 晴
 収容所は人が大勢いて、小さい子供などが泣いたりするので、つっとも眠れない。ここでは毎日、二度、朝晩白米のご飯が出るさうだ。白米に野菜や、塩鮭のはいって、とろとろしたとてもおいしいご飯だ。白米なので、三皿ぐらい食べると、腹いっぱいになる。
 鶴木のおにいさんが、「僕がたのんで、大丈夫、船に乗せてやるから安心しなさい」と言ったので、僕たちはとても喜んだ。
 お母さんは、昨日あっちこっち歩きまわったので、今日は熱が少し出て寝込んだ。僕は、三十三団で、近所にいる人と友だちになって、トランプをしたり、おにごっこをしたりして遊んだ。
 伏見の学校にいたときの友だちもいた。
とてもゆかいだった。夜べんじょに、くそをしに行った。かへってみると、お父さんが、「奥のへやで、映画をしてゐるから早くいってみろ」と言ったので、彩子と二人で急いで行ってみた。
 ざんねんなことに、もう始まって、ケントウのところが終わってゐた。ロシヤ語の「オリンピック」
の映画だった。オートバイ、マラソン、カターこぎきょうそう、スキーは雪のたくさんつもった見上げるように高い坂からジャンプ台から、小鳥のようにかるさうにとんだ。
それよりも、山の中をじゅうおうむじんに走り廻ったのは、ゆかいだった。
 一番かんしんしたのは、スケート競争と、鉄棒だった。もう、とてもなれて、選手などはきかいみたいだった。とても面白い映画だった。
 今度は一階の映画を見にいった。やはりロシヤ映画だった。ダンスホールでダンスをすることばっかりうつった。これは又反対につまらなかった。部屋に帰るともうみんな眠ってゐた。

一月 十八日 土 晴
 今日も工場で、「集結」が来るといいなあなどと、思ってゐたら、ちょうど昼頃だった。
 Hの三十三団、三十二団は、明日十時まで、大広場学校に集結命令が来た。
僕たちは、三十三団なのだ。思ったよりずっと早く、集結が来たので、とても驚いた。急いで家へ帰るので、とてもあわてた。いままでの配給物をもらふ。その入れ物がなかったので、お母さんがふろしきを、縫いつけて、ふくろにした。
 一人、五キロなので、十五キロ配給をもらった。今度は、給料ももらった。彩子と僕と三百円くれた。お母さんは、本工場に、整理番号を聞きに行った。
 その間に、僕と彩子は小使室で、べんたうを食べた。みんなにさよならを言って工場を出た。
 ほんとに内地へ帰るのかと、思えばまるで夢のやうだ。
 お母さんが、「こんなうれしいことはない」とおっしゃった。
大広場から常磐橋まで電車にのった。もうこれが大連のお別れだと思うと、色々の風景をつくづくと眺めた。常磐橋で、お母さんから、フカシイモをおごってもらった。又、そこから家まで電車に乗った。
 彩子は、小野先生の家によるので、春日町で降りた。もう先生ともお別れなので、今夜は家でお別れのごちそうを食べるのだ。
 家に帰って中村の小母さんに、そのことを言うと、小母さんもびっくりした。
僕は急いで僕の持ち物を引き出して、大箱につめた。それからしばらくすると、小野先生や小母さんがいらっしゃった。
 前に、井上君から借りていた、バットが出てきたので、急いで井上君の家に返しに行った。そして、引揚げのことを言うと、井上君は、そんならもうお前ともお別れだなと、つまらなそうに言った。
 家に上がって、メンコやパック、バッチ、びんせんなどいろいろもらった。井上君は引揚げが、まだまだ後なので、うらやましがった。「おれが、内地に帰ったら、お前に手紙をやるから、お前も返事をくれな」と言って、行先地を書いてくれた。
 僕も行先地を書いてやった。明日は、お見送りにいくぞと言った。暗くなるので、とんで家に帰った
それからすぐ、小野先生や叶の小父さん達と、大連のお別れのごちさうを食べた。
 サケのかんずめ、ゼンザイ、カレーライス、焼パン、色々ごちさうがあった。とてもおいしかった。
楽しい夕ごはんがすむと、僕とお父さんは大石さんの家にお別れに行った。健君とも別れるので、色々話あった。又、内地であえる日があるよ。
 今度は、お世話になった浜井さんの家に行った。とても明るい電球コタツにはいって、イリコをごちさうになった。お母さんが、呼びにきたので、僕だけ帰った。
 家は、とてもいそがしいので、大そうどうをした。浜井さんから、小母さんが、手伝いにきてくれた
先生は、僕らの整理番号や、名札を書いてくれるし、浜井のおばさんと、小野のおばさんは、リュックサックを作ってくれた。
 叶の小母さんは、僕らの食料のイリコや焼きパンを、火でいったり、こしらえたりしてくれた。とてもいそがしい。
 僕と彩子とお母さんの三人は、最後の風呂に入った。お母さんは、今夜はずっとおきてるそうだ。
風呂から上がっても僕は、荷物せいりを一生けんめいしたので、寝た時刻は、夜中の二時半だった。

一月 十一日 土 曇
 朝六時半に起きたが、彩子は僕よりずっと早く起きて、ご飯を食べてゐた。貸本の「孤島の秘密」といふ、たんけんの本をもう少しで読み上がるので、工場へ持って行って読むことにした。
 もういつもよりおそくて、みんな来てゐた。お母さんのとなりにいる人が、(バターピイナッツ)を持って来ていたので、昼、お母さんから二十円も買ってもらった。とても美味しい味だった。
 四階の事務所で、「ハッシンチブス」のちゅうしゃと、「種痘」を両腕にした。「種痘」は切るときぴりぴりしたが、「ハッシンチブス」の痛いこと、泣きさうだ。
 明日は又、お休みになるさうだ。とても嬉しかった。帰りはゆっくり歩いて帰った。
 お父さんの知り合いの、上村さんは、明日引き揚げ命令が出て、内地に帰るさうだ。そのお別れに、お父さんは(大ピンズ)をもらって来た。一つ百円もするので、だいぶ大きい。ぽうみい粉だけの、
ピンズなので、とてもおいしい。
一月 十二日 日 晴
 又嬉しいお休みの日が来た。あまり長く寝てゐないで、九時頃みんなで、とび起きた。十一時から
「組合劇場」で、「帆船天佑丸」という劇がある。
 前からいこうと思ってゐたので、さっそくお母さんから、お昼のべんたうのパンをふかしてもらった。そして、寺中さんからもらった入場券を持って、歩いて見にいった。
 常磐橋のよこを通って、やっと劇場についた。日曜は、二回続けてあるさうだ。中にはいると、一回
目が半分も過ぎてゐた。だんだん見ていくと、面白くなってきた。
 ジモンといふ船大工と、ゲエレトといふ青年が、いつもけんかをしてゐたが、後で船に乗って、航海中、船とともに海に沈んでしまふ。ゆかいなことや、おこったことなど、色々あった。
 僕は二回続けて見たが、何回見ても面白い。やっと終わったので、外へ出ると、もううす暗くなってゐた。とても驚いた。電車きっぷがないので、ここから歩いて家に帰らないといかん。
 それを思うと、なんがか恐ろしくなったので、大急行で、走った。
一月 十三日 月 晴
 今日は又、給料の来る日だ。にこにこしながら工場へ行った。寺中さんと、高村さんは、昨日、太陽館に映画を見に行ったら、まんがとさむらいの映画が、三回もあったとおしえてくれた。
 三時半から給料が出た。見ると、割り増し金が五円ついていた。それで、日給が三十五円になった。
八日間行ったので、二百八十円ももらへた。だんだんと、給料が上がって行くので、うれしい。
 帰りに春日町で、皮むき南京豆を五十匁買って、ぼりぼり食べながら帰った。とても美味しかった。
下の本屋から「怪傑黒頭巾」といふ本を借りた。
 夕飯はぽうみいのおかゆだった。僕は苦しくなるまで食べ続けた。とてもいい味だ。
一月 十四日 火 晴
 朝ごはんは、粟と、ふかしぱんを食べたが、足りなかったので、べんたうのぱんまで食べた。
工場に行く途中でも、リュックサックをせおって、内地に帰るために、集結してゐた人が沢山あった。
 僕なんかは、まだなのでうらやましかった。昼頃又、ふとうの港に大きな船が入った。きっと、
「引揚船」らしい。すぐ、僕と、寺中さんと、高村さんの三人で屋上へ上がって船の入るのを見た。
 ここは、とてもとてもどこより建物が高いので、家、人、船、汽車、トラックなどあらゆるもの、
みな小さく見えて、まるでおもちゃのやうだ。
 今日は三時で終業だった。そして、明日は休みになる。やっぱり工場に糸がないらしい。
一月 十五日 水
 みんなでいつもより早く起きて、九時頃朝ごはんを食べた。それからこたつに入って昼まで貸本の
「怪傑黒頭巾」を読んだ。
よんだので返しにいったら四円もとられた。そして又、少年くらぶと「地底の王城」の本を借りた。
 帰るとお母さんが焼きパンをやいていた。が、僕たちは、腹がへっていいるので、すぐ食べてしまふので、火をたいてふかすことにした。ふけ上がったので食べると、とてもおいしかった。又、夕方まで
貸本を読んだ。

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