エジプト
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エジプトはカイロの郊外ギザのピラミッドの前に神秘的に座っている 『スフィンクス』 。 誰もが一度はメディアで見たことがある、6000年前に造られたといわれる世界最古の彫像の一つです。 ところで皆さん、このスフィンクスの 鼻 が何だかおかしいの気が付きましたか? おかしいと言うか 鼻 が 無い !! パリのルーブル博物館に陳列されているスフィンクスを見ると、何だか鼻はつぶれて低いですが、やっぱり鼻があります。 ルーブル博物館のスフィンクス 昨夜、アブダビで働くエジプト人の同僚マルワン君とコーヒーショップでシシャを吸っていると、 何だか話題がエジプトの本物の香水とフランスの商業香水の話になり、 フランス人によってエジプトから持ち出された遺跡の数々の話題となり、 エジプト政府とフランス政府やドイツ政府が交渉中だという話となり、 ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征に来たときに遺跡を殆ど本国に持ち帰りやがった... マルワンは尚も続ける。 また一つ、謎が解決しました(笑)。 |
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カイロ市外の南側、ナイルの畔に 『オールド・カイロ』 と呼ばれる小さなエリアがある。 8世紀に回教徒勢力のアラブ人達がエジプトに侵入してくる以前の、エジプトがギリシャ正教ビザンチン帝国の北アフリカ勢力の中心地であったときの名残である。(当時の首都は、ローマ時代のクレオパトラの話でも有名な地中海沿岸の街『アレクサンドリア』です。) ビザンチン・エジプトの公用語は 『コプティック』 。 その後の国語となるアラビア語とは何の関係も無い、プトレマイオス朝からの古代エジプトの言語にビザンチン帝国影響下にある地中海地域言語(当時の西洋・地中海世界公用語はギリシャ語)を取り入れて発展した言語であり、賢明な当時のエジプト人は古代文字で書かれた全ての情報をコプティックに通訳して書き残した。 このオールド・カイロをそのまま 『コプティック』 と呼ぶことも多い。 タクシーの運転手は「ハンガリアン・チャーチ」と呼んでいたが、聖ジョージ、聖セルジュ、バージン・マリーの為の教会が立ち並ぶ、文字通り 『東方正教』 のカイロだ。 比較的新しい教会内は、ルーマニア正教の聖堂や教会と同じ荘厳で静粛な雰囲気に溢れている。 現在は博物館になっている当時のキリスト教の教会(ほこら?)は、天井は低く、部屋と部屋とを繋ぐ入り口はとても狭く、キリスト教の布教に勤めた古の僧侶達の生活がいかに慎ましかったかを感じさせる。 細い路地が複雑に入り組んだオールド・カイロの街の跡。 現在は土産物店しか並んでいないが、当時はここで日常生活の為の商いが行われ、教会に礼拝に行く人々や、ナイルから運ばれてきて水揚げされたばかりの地中海やアレクサンドリア、ナイル川上流からの特産物を売る人々で賑わっていたのであろう。 現在でもエジプト人口の10%(30%?)はキリスト教徒だそうである。 少しお土産物屋を覗いてみたら、笑顔の可愛い接客の女の子が声を掛けてきた。 「ニーハオ... アンニョ ハセ ヨー (笑)」 店内は銀色に眩しい様々なサイズの聖ジョージとバージン・メリーのアイコン、アイコン、アイコン。 とてもイスラム教のエジプトに来ているとは思えない... のは、小生の勉強不足のせいである。 そうそう、この店で経理を担当しているエジプト男児「ミーナ」と友達になった。 彼らはその夜、小生がまだ見ていなかったカイロのダウンタウンを案内してくれたのだが、その話はまた次の日記に書くことにしよう。 聖ジョージ教会の前で寛ぐ猫。どうして地中海沿いの国には野良犬の数に比べて圧倒的に猫の数が多いんでしょう? |
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カイロのホテルに研修の為に缶詰状態で1週間が経過。 ストレスとフラストレーションも(第一レベルの)限界に達していた週末の昼過ぎ、同僚達が未だに課題に追われているときに(小生は徹夜して、明け方には全ての宿題を片付けてしまいました。えらい!!)、タバコを買いに行くのを自分への口実にホテルから続くメインストリートを高速道路の高架下沿いに散歩してきました。 乗り合いバス モスク モスクの影で息う青年 ナイル川 路上の本屋(ルーマニアでも良く見かけますね) コーヒーショップ 肉屋さん また肉屋さん 魚屋さんとフルーツ・テーラー 一息つくには当然コーヒーショップでシシャ(笑)英語が通じないので興奮しました。 小生、歴史ある街の由緒ある遺跡を巡って想像力を掻き立てるのも好きなのですが、そう言った街の歴史とは何の関係も無いこうしたその街の日常を見るのも非常に好きなんです。 『歴史』と『文化』の文化の方に重しを置いた自己満足的活動ですね。 普段は転勤になった先の街を闇雲に歩き回るのですが、今回は出張中にやってみました。 |
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カイロの街の南東側、その向こうに広がる砂漠からの乾いた風を遮る丘の麓に、中世の面影を残す『メディエヴァル・カイロ(中世カイロ)』はある。 丘陵地帯に広がる分厚い城壁に囲まれた城塞都市、その頂からは荘厳な『リファイ・モスク』がカイロの街を見下ろしている。 ビザンチン帝国の旧首都コンスタンチノープルにある『アヤ・ソフィア』や『ブルーモスク』に良く似た複数屋根に細身の塔の造りは、当時のオスマントルコのアラブ世界への進出とその影響力の強さを感じずにはいられない。 モスクの内部は落ち着いた青緑色に統一され、頬に触れる空気の温度は冷たくさえ感じられる。 その静寂さの中で人々は寛ぎ、ムスリムの人々はメッカの方角へ向けて祈りを捧げている。 キリスト教会の中の神聖な静寂さと良く似た、しかし明らかに趣を異する神聖さと静寂さがモスクの中には漂っている。 城壁の眼下に広がるカイロの街は今日も煙に霞んでいる。 丘の麓のモスクからは聞きなれたコーランの一節の旋律が聞こえてくる。 記念撮影用であろうか、民族衣装に身を包んだ男女の踊りに遭遇した。 人が歴史ある街に惹かれるのは、我々の遺伝子の中に刻み込まれた我々の祖先の血と汗とドラマがその地に共鳴するためであろうか... そんなことを考えながら、車のクラクションが鳴り響く灰茶色のカイロの街をしばらく眺めていた。 |









