自由気ままに〜eye to I〜

日々思ったこと、感じることを”自由気まま”に綴ります。

☆思ったこと☆

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一期一会

はじめのご挨拶

昨日は、しっとり再スタートになりましたが、

これからちょくちょく復活していこうと思いますので、

またよろしくお願いします^^

おかげさまで、冬眠(夏眠)中、本当にゆっくり休むことができました。


最近は、一期一会という言葉が好きで、
時々、その言葉について考えたりしています。

一期一会、これは禅の言葉であるそうですが、
その日会う人に対して使われるだけでなく、
その日の自分やその日出会うモノや景色にも当てはまるそうです。

一期一会、それは実存、つまり死についての理解がある程度ないと、
その言葉を本当に理解できないと思います。

今日出会う自分、今日出会う人々、今日出会うもの、今日出会う景色、
いろいろなものに出会うその一瞬一瞬がありがたいものとして、
接することができれば、きっとその日一日も違った視点で見ることができると思います。

そんな気持ちで今日一日、穏やかに過ごせればな〜と
願うのであります。

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These Ties by Amiel

These Ties

あの丘を上るわ
大丈夫 私ならきっと
あなたに分かるといいわね 自分がどこで道を誤ったのか
いつかは認めてね

どこに行くときも
私の手をとらせたあなた
だけど愛は そんな要求や 冷たい手には
息が詰まるものよ

これからは 一瞬一瞬が自由
私は私のために生きるわ
そのほうが あなたにとってずっといい

これらの結び目を
最初の結び目からほどいてしまいましょう
これらの嘘を
葬り去ってしまいましょう
本当に頑張ったのよ できるだけのことはしたわ
だけど 成長した私たちは
これからは それぞれの道を辿って 家に帰らなくては
それぞれの道を辿って 家に帰るのよ

決して あなたの不幸を願ったりはしないわ
だけどあなたと私が心から
お互いの幸せを願えるようになるまでは
わだかまりが残るでしょうね

これからは 私たちの
一瞬一瞬が自由
あなたは 本当のあなたを見つけ
私は 本当の私でいられる

Ooh 家に帰って泣いたわ
愛が 心の中の愛が 死んだことを認めたときに
Ooh もう もう電話もないのよ
愛は死んだのだから もう終わりよ 泣いちゃだめ
そう 解っているのよ 本当だと
私には あなたが必要ないことを
そう 私には あなたが必要ないことを

by Amiel

愛は、求めることでなく、与えることだという。

しかし、与え続けていると、
自分を本当に支えている細い軸でさえ、
忘れたり、思い出せなくなったりすることがある。

一人になった時、
その細い軸をもう一回たぐり寄せ、
まず、自分は自分のために生きているのだと、
再確認する。

そして、誰かに頼りたくなる自分の心に喝を入れる。

私は、誰のためでもない、
自分の人生を生きるのだと。

そうでもしないと、
この弱い私は、誰かに頼りきってしまいそうだからだ。

あなたはあなたの人生を生き、
私は私の人生を生きる。

あなたの人生は、誰にも代用できないものだ。

あなたは、あなたの責任において、あなたの人生を生きるしかない。

独りになった時、
そのことをもう一回、再確認する。

自分の弱さを噛みしめるかのように。。。

冬眠生活

最近、ブログの更新をする余裕がありませんでした。

すみません^^;

最近は、もっぱら、メイ・サートンの著作に読むふけっています。

彼女の著作を欲する時、私は冬眠生活(夏眠か。。笑)
に入るので、
しばらく更新できなくなると思います。

訪問してくださった方、すみません。。。

また、余裕ができれば更新すると思いますので、
その時はどうぞよろしく^^

writing

そもそも、
忙しい日々の中で、
わざわざ毎日「今日は何を書こうか」
などとネタ探しなどしている暇はありません。

先日の文章の場合は、
単に「トマス・マートンの文章を何気なく書き写す」
という作業から始めただけです。

彼の文章を写しているとき、
私は(小さな着想以外は)何も考えず、ただ無心でいました。

そして写し終えた後、
おもむろに日本語で文章を書き始めただけです。
あたかも「ライティングという大海原」に漕ぎ出すように、
書き始めただけ。

その際に頼りとなるのは、
ただ「自分を信じること」、
そして実は、それ以上にもっと大事なことは、
「導かれている」という感覚に自分を委ねることです。

「何を書こうとか」・
「どのように書こうか」などは、あまり思い煩わないことです。」

http://blog.livedoor.jp/tyonashiro/


この文章を読んで、私も思い当たる節があった。

良い本を読んでたり、
良い文章を読んでいたりすると、
何か文章を書きたくなるときがあるな〜と。

何かアイデアが湧き出るような感覚が出てくる。

一種の生きる智慧であるのかもしれない。

と言いつつ、文章が思い浮かばなくなってきたので、
これにて終了〜^^;

「とくに忙しい現代人にはそうですが、
多種多様な仕事・勉強・雑事が山のように押し寄せてきて
「一日中一つのことのみに没頭しているというわけにはいかない」
ということになります。

それこそ前回も書いたように
「あれもしなくてはいけない、これもしなくてもいけいない」
という意識の中で「忙殺」されてしまいます。
たくさんの用事に追い回されている私たちは、
どうすれば「いまするべきことを一つだけ真摯に行う」
という状態を実現できるのでしょうか。


実は、このような場合でも
「いまするべきことを一つだけ真摯に行う」
という方法が有効です。
私たちが「忙殺」されるのは、
一度にたくさんのことを考えて(追われて)
それを一度にしなければならいと感じてしまうからです。

実際、どんなにたくさんのやるべきことが目の前に迫ってきても、
やはり「一度に一つのことしかできない」事実は変わりません。

問題は、この事実に「気づく」ということなのでしょう。」
http://www.geocities.jp/deepbreathinghp/imakoko2.htm

以前、ある知人女性と食事をした時、
自分の彼氏自慢をしたことがある。

「彼は、私といる時、私に集中してくれる。
 私の目の前で携帯をいじったり、誰かにメールを送ったりすることもない。」と。

すると、その知人女性に、
「堅苦しくない?」

と言われた。

その話をした後、テーブルの上に置いてあった彼女の携帯が鳴った。

彼女は怪訝そうに、私に一応確認を取った。

「携帯、見てもいい?」と。

私は、彼女に対してそんなことを要求するつもりで、
その話をしたのではなかったので、
ただの彼氏自慢であったので、

「いやいや、どうぞ、どうぞ」

と言った。

彼女が、携帯を手に取っている間、
「う〜ん、堅苦しいのかな〜」と考え込んでしまった。

私としても、そうすることは相手への礼儀とも思っているし。

たとえ、私が携帯をいじってたとしても、
今度は、相手が退屈にしていないか、
気になってしまう。

だから、まともにメールも打てなくなる。

ならば、最初からいじらない方がいいと思うわけ。

正直、携帯のない時代ってどんなんだったんだろう。

自然と、そんな態度ができてたんじゃないかな〜って思う。

もっと、目の前の相手を大事にする態度ができてたんじゃないかな〜って思う。

携帯のない時代。。。
いつだっけ〜−−;

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