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今回は「長良型軽巡洋艦」についてです。 |
大日本帝国海軍
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一つの機体で航法や通信、射撃さらには爆撃、偵察等の 訓練を行える機種の必要性を感じました帝国海軍は、 1928年8月に三菱重工業に対して開発を指示しました。 三菱では研究を重ね、1930年5月に試作第1号機を完成させました。 テストの結果、色々な問題点が指摘されましたが、 改良を重ね1931年10月に「九〇式機上作業練習機」として制式採用されました。 「九〇式機上作業練習機」は、現場では大東亜戦争中に採用されました練習機「白菊」よ り、 かなり好評で、旧式機ながら終戦まで訓練、連絡、輸送等の任務で広く利用されました。 そして帝国陸軍においても「九〇式機上作業練習機」の高性能に目をつけ、 1933年に三菱に対して「キ7」として試作指示を出しましたが、不採用になってしまいました。 なお、陸上型の他にわずかですが水上型も作られましたが、1936年には全機退役したそうです。 生産は主に九州飛行機と愛知航空機で行われ、624機程生産されました。 |
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1922年ワシントン条約により、帝国海軍は主力艦や巡洋艦航空母艦の保有比率制限をうけました。 その結果、主力艦の建造保有規模の縮小を余儀なくされました。 そこで、強力で高性能な新型駆逐艦の建造を行うことにし、特型駆逐艦の建造を開始しました。 これが「吹雪型駆逐艦」です。 当初「吹雪型駆逐艦」は36隻の建造が予定されていましたが、24隻で建造はうち切られました。 そして「吹雪型駆逐艦」は対米戦開戦時には既に旧式艦と見なされていましたが、 水雷戦隊の主力や、空母護衛等で大活躍しました。 特に11番艦の「綾波」は、第3次ソロモン海戦にて大奮戦し、 米軍戦艦「ワシントン」と「サウスダコタ」率いる圧倒的な艦隊相手に なんと一隻で米海軍駆逐艦4隻を撃沈しました。 そして「吹雪型駆逐艦」は各戦線に投入され続け、結果二隻だけが終戦を迎えました。 |
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「二式水上偵察機」は艦載水偵として艦上に設置しました特設滑走台より 発進させるという方法を考えていました。 そこで、帝国海軍では特設滑走台の開発と共に、 その発進台から自力で出撃できる機体開発を1925年にハインケル社に依頼しました。 そして1926年には複座型と単座型の試作機が完成し、 試験の結果、1928年3月に複座型が制式採用され、「二式水上偵察機」と命名されました。 「二式水上偵察機」愛知航空機で16機が生産され、巡洋艦搭載水偵として使用されました。 |
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「九三式装甲自動車」は、上海事変にて「クロスレイ装甲車」の活躍を受け、 帝国海軍の委託により開発されました。 生産数は極少数で、3両から5両だそうです。 主に上海海軍特別陸戦隊に配備され、第二次上海事変では大きな戦果を上げました。 その後も中国方面での警備任務に使用され、 1945年大東亜戦争終結時点でも3両が上海海軍特別陸戦隊に配備されていたそうです。 |





