世界の秘密兵器

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ホルテンHo229

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今回はステルス性も備えた当時としては先進的な機体「ホルテンHo229」についてです。
「ホルテンHo229」は先進的な無尾翼全翼機設計者として現代にまで名前を残したホルテン兄弟によって開発されました。
1944年3月1日、無動力の試作一号機が初飛行に成功し、搭載エンジンに関する問題等を兄弟は次々に解決して
試作二号機が1945年2月2日に初飛行しました。
二号機は満足すべき性能と安定性を見せ、
この高性能を喜んだ独逸空軍は「Ho229」として制式化しました。
ちなみにこの時ホルテン兄弟は量産を実施できる工場を持っていなかったのでゴー タ社に協力を仰いだため、「Go229」とも呼称されるようになりました。
そして「Ho229」生産が開始されましたが
独逸が降伏して工場が連合軍に占領されてしまったので
量産型は一機しか完成しませんでした。

CAMシップ

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今回は、第二次世界大戦前半の通商護衛で活躍しました英軍の「CAMシップ」についてです。
第二次世界大戦が始まってから、1940年になると北欧からスペインに至る欧州沿岸が
独逸の勢力下に入り、沿岸の基地から発進した長距離航空機が
輸送船団に対する重大な脅威となっていました。
この時はまだ護衛空母も未就役だったので航空機による支援が得られず、
輸送船団は独逸軍の航空機や誘導されたUボートによって次々と沈められてしまい、
被害がふえていきました。
この状況を打破すべく、英国海軍は護衛空母が就役するまでのつなぎとして、
一部の商船にカタパルトと1機の戦闘機を装備させました。
これが「CAMシップ」です。
「CAMシップ」は輸送船団に敵航空機が飛来すると戦闘機を発進させて敵機と戦闘し、
戦闘終了後に輸送船団の近くにパラシュート脱出または不時着水するか、
近くに見方の基地があればそちらに向かい、着陸するという非常に危険なものでした。
しかし護衛空母の簡易版の「MACシップ」や正規の護衛空母が配備されるまでの間、
輸送船団の護衛に大活躍しました。

Ba349ナッター

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今回は、連合軍からは有人対空砲と呼ばれました「Ba349ナッター」についてです。
第二次大戦末期、独逸本土は連日連夜連合軍により、爆撃されていました。
そのため、特に重要な発電ダムや軍需工場などは確実に防衛しなければならないため、
それら施設を防衛するための迎撃機を航空機メーカー各社が提案していました。
「Ba349ナッター」はそんな中、エーリッヒ・バッヘム博士により設計されました。
機体は木製で機首に24〜33発のロケット弾を装着しており、
迎撃方法は、垂直ランチャーから4基の固体燃料ロケットブースターを使用して発進し、
発進後は目標付近まで無線誘導され、装備しているロケット弾で攻撃を行ない、
その後パイロットはパラシュートで脱出するという方法でした。
「Ba349ナッター」1944年8月に設計が完了して採用され、1944年10月から生産開始され、
1944年12月18日に乗員および液体ロケット無しでのロケットランチャーからの発射テストに成功し、
1945年2月に液体ロケットを装着した状態で無人テストに成功し、大量生産の計画が立てられました。
しかし有人テストでは、打ち上げ直後に乗員が失神してしまい、
機体ごと墜落して死亡するという事故が起きてしまいました。
しかしテストパイロット志願者は不足しなかったため有人テストは続行され、
3回ほど予定通りの発進、飛行、帰還のテストが無事に実施された所で制式化され、
実戦配備が決まりましたが、しかし終戦まで数十機の生産にとどまり、
10機が部隊配備されたのは1945年4月だったために実戦参加はありませんでした。
(出撃したとの説もあるそうです)

XF-85ゴブリン

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今回は、パラサイト・ファイターとして開発されました「XF-85ゴブリン」についてです。
今まで、爆撃機の護衛を行う戦闘機は航続距離が短く、
迎撃機に襲われると防戦一方になってしまいました。
「B-36ピースメーカー」は長距離爆撃機でしたので、目的地上空まで戦闘機が随伴っすることができず、
そこで、「B-36ピースメーカー」に護衛の戦闘機をつけるべく、爆弾槽内に戦闘機を収納することで、
戦闘空域まで戦闘機を輸送する方法が考えられました。
この構想は1942年頃から構想が存在していましたが、本格的な開発は1945年以降で、
1947年2月2日に2機の試作機が発注され、その結果「XF-85ゴブリン」が開発されました。
試作1号機は1947年10月に完成しましたが、当初はエンジンを装備せず、
主に風洞試験に用いられ、試作2号機は1948年7月から「EB-29B」を親機として、飛行試験に用いられました。
試作2号機は1948年8月23日に初の自由飛行に成功しましたが、
親機への帰還に失敗し、ミューロック乾湖に不時着してしまい、
しかし1948年10月14日に2度目の自由飛行を行い、母機への帰還に成功しました。
この後、試作1号機も飛行試験に用いられましたが、母機への帰還に失敗し不時着してしまいます。 
そして飛行試験の結果を受け、1949年に計画は廃止になってしまいました。
ちなみに製造されました試作の2機は、オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館と
ネブラスカ州オマハの戦略空軍博物館に展示されています。

Me264

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今回は、独逸本土の基地からニューヨークを爆撃するために開発されました「Me264」についてです。
1930年代後半に独逸航空省は独逸本土の基地からニューヨークを爆撃する
「アメリカ・ボンバー」計画を提示しました。
この計画を受けて独逸の航空機メーカー各社は試案を提出、
ユンカース社が提出しました「Ju39」0が既存の機体の改良型ということで、
開発期間を短縮できるため採用となりましたが、
メッサーシュミット社が提出しました案も海軍の外洋偵察哨戒機に使用できるとして廃案にならず、
逆に哨戒機型の原型2機の製作が発注されました。  
そして1942年末に原型1号機が初飛行しましたが、
この機体は操縦安定性が悪く、また性能も予定より低かったので、
独逸海軍は長距離偵察機に「Ju290」を採用してしまいました。  
さらに完成した原型2機は連合軍の爆撃により破壊されてしまい、
これにより「Me264」の更なる改良・開発は1944年9月にキャンセルとなってしまいました

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