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どうも横山上等兵です。
今回はソ連で計画されました幻の巨大航空機「K-7爆撃機」についてです。 この航空機は巨大爆撃機か輸送機として使用するために 1930年代のソ連のカリーニン設計局にて設計が始まりました。 主翼の厚さは2.33 mもあり輸送機として使用する場合、翼内に120人ほど乗せる計画だったそうです。 1933年8月に初飛行しましたが、11月に墜落事故が起きて乗員15人が死亡してしまい、 後に二機の製作を始めましたが1935年に計画は中止されました。 (さらに設計者のコンスタンティン・カリーニンも大粛清の犠牲となって1938年に逮捕されてしまいました) |
ソビエト軍の兵器
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第一次世界大戦において、独逸軍は「MP18短機関銃」を使用したことから、世界中で短機関銃の研究が進められ、ソ連においては、1926年頃から研究が始まりました。 そしてデグチャレフという技術者が1934年に初期型である「PPD34短機関銃」を開発し、それをソ連赤軍が1935年に正式採用し、その後1938年には「PPD34短機関銃」を改良した「PPD38短機関銃」が1939年に採用されました。 「PPD34/38短機関銃」は「MP18短機関銃」やフィンランドの「スオミM1931」を参考にしてましたが、耐久性を重要視して設計されているため、6kg程の重さがあったそうです。 しかし体格の良いスラブ人兵士の中ではあまり問題とされず、逆に火力が優秀だったので、独ソ戦においてはソ連赤軍に広く配備されて活躍しました。 |
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今回は、模型公園殿のリクエストです。 今回は、第二次大戦時の赤軍戦車兵の服装についてです。 ________________________________________________ ・タンク・ヘルメット(戦車帽) チューブ状のクッション材を頭部に並べたソ連独特の戦車帽で、 最初は革製でしたがモクスワ戦以降、 キャンバス製の戦車帽が多く製造されました。 夏季用、冬季用があり、冬季用には、 羊毛の内張りか何かの獣毛で作られて、 両耳の所にはレシーバーを装着できるようになってます (しかし当時では、レシーバーではなく旗で連絡しあっていたらしいそうです) 時代により、細部に違いなどもあります。 戦後はこれがさらに進化しました。 ・ゴーグル 合成革製のフレームに、ガラス板を固定しただけの簡単な物で、 コンパクトに折りたためられます。 ・ブーツ 歩兵と同じブーツを装備しており、 冬季間には隙間に、新聞紙やワラをつめて保温効果を高めさせるために サイズ大きいものが支給されたそうです。 またレンドリース法で米国から、アンクルブーツが大量に供与されており、 歩兵部隊と同じに、戦車兵も履いてたそうです。 ・グーロブ 指の部分が3つ分かれたミトン型の革製手袋や、 通常の5本指タイプなどを使用してます。 ・戦車搭乗服 これも、正式な名称がついてないものが多く さらに種類も生産地により細部が違うものも多くて、 規格統一されておらず、 だいたいの区分では、年式別で分けてます。 1936年型 上着とズボンに分れた戦車搭乗服で、 襟は平襟で、大戦初期の方で多く見るのはこれ。 1943型 オーバーオールの戦車搭乗服で、 素材はコットン製で国産の他に海外での製造もあり、 裁断や素材などは規格統一されてなく 色もブルーグレー、ダークグレー、カーキ、黒色等、 細部の違いが多く、種類が多い。 ちなみに戦車兵も、歩兵用の軍服を着用することも多く、 大戦初期ならギムナシチョルカ、中期ごろならルバシカ、 将校等は、キーチェリなどを着用していました。 ・防寒服 大戦初期は、レザーコートで黒革製のハーフコート型です。 大戦後期には黒革製のジャケット型のが 赤軍親衛部隊のみ支給されたそうです。 (鹵獲した独逸軍のジャケットを支給したという説もあります) なお、防寒服も歩兵用を着込むのも多かったそうで、 他にも種類があり、 シューバ なめした羊の毛皮をそのまま裏返して作られた厚手のコートで、 裏側は羊毛で保温効果が高いそうです。 チュラグレイカ 1941年に採用された木綿製のキルティング衣服で、 コートほど暖かくないですが動きやすく、戦車兵にも向いていた衣服だそうです。 等がありましたが、規格統一品がなく、多種多用でした。 曲・我ら人民の軍
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ロシアでは独自に開発した機関銃が存在せず、 第一次世界大戦直前までの長い間、 マキシム重機関銃のコピー品「PM1905重機関銃」を使用してきました。 そしてロシア軍は「PM1905重機関銃」を改良し「PM1910重機関銃」を改めて開発しました。 開発後PM1910重機関銃は頑丈さに前線兵士達には歓迎され、 第一次世界大戦、ロシア革命、独ソ戦を通し、防御陣地などで使用されました。 そしてロシア革命時には白衛軍と赤軍双方で使用され、 赤軍が用いた数頭立ての馬が曳く馬車の荷台に後ろ向きに搭載し、 御者と銃手が乗り込む機動性を兼ね備えた「タチャンカ」と呼ばれる戦車が白衛軍相手に活躍し、 「タチャンカ」という題名で軍歌にもなりました。 空冷式重機関銃は1943年に「ゴリューノフSG-43重機関銃」が制式採用されると 「PM1910重機関銃」は交代していきましたが、 その後も「PM1910重機関銃」は「ゴリューノフSG-43重機関銃」と共に使用され、 1945年のベルリンの戦いや1945年8月の対日戦線でもPM1910は使用されました。 戦後は、東側諸国に供給され朝鮮戦争では北朝鮮軍が、 ベトナム戦争では北ベトナム軍が使用しました。 |
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「BA-27装甲車」は、イタリアのフィアット社からライセンス生産権を購入して、 「AMO-F-15 4輪トラック」に装甲と37mm砲と機銃を載せたもので、 「BA-27装甲車」は、モスクワ自動車企業体とイジョルスキー工場の共同開発で行われ、 1928年に制式採用が決定され、1931年まで生産が行われました。 「BA-27装甲車」は一部がモンゴル人民共和国軍に供与され、ノモンハン事件で使用された他、 冬戦争で、「BA-27装甲車」がフィンランド国防軍に鹵獲されて運用されましたが、 1942年まで訓練用として使われた後、スクラップにされたそうです。 その後独ソ戦でも使用されましたが、当時配備されていました他の装甲車の多くが、 独逸軍によって次々と撃破されていく中、「BA-27装甲車」も殆どが撃破されました。 しかし1945年の終戦までいくつかの生存車両が残っていたので、 その内の1台がクビンカ戦車博物館に現存しているそうです。 |





