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「レオーネ型駆逐艦」は、イタリア海軍が自国の沿岸防御のために第一次世界大戦中の1917年度海軍計画で建造が決まった駆逐艦です。 当初は5隻発注されましたが、資材・工員の不足によって起工できず、戦後の1920年代に3隻が建造されました。 第二次世界大戦においては、3隻ともイタリア紅海艦隊に所属しエチオピアのマッサワを拠点に活動していましたが、開戦後は英軍によりスエズ運河が封鎖され孤立してしまい、1941年に3月末日に最後の反撃を行なうべく出撃するも、3隻とも空襲や座礁で失われてしまいました。 |
伊軍の兵器
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「M13/40中戦車」 は1940年にイタリア陸軍機甲総監に就任しましたフェロレト将軍が 装甲車両の近代化計画を推進した際、計画の中核戦車にするべく 「M11/39中戦車」を設計を変えた戦車で武装の弱さや装甲の厚さなどの欠点を改良した結果、 速力を除けば完全に「M11/39中戦車」を凌駕した性能をも持つことができ、1940年にとして制式化されました。 しかし、初期型が配備された北アフリカ戦線では 砂漠用防砂フィルターが装備されていなかった車両が多かったので、 エンジンの故障が多発し、稼動車が激減してしまったそうです。 「M13/40中戦車」は、車台は自走砲にも使用されたものを含めると 2,000輌近くが生産され、 車台が自走砲に使用されるなど名実共にイタリア軍戦車戦力の主として活躍し続けました。 ちなみに「M13/40中戦車」も 「M11/39中戦車」と同じく豪州軍に鹵獲され、 同じ戦車が撃ち合うという事態が起きたそうです。 |
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1936年に起きたスペイン内戦でフランコ率いる反乱軍を支援するために 参加していました伊軍は、配備されていた「カルロ・アルマート8トン軽戦車」が、 人民政府軍の対戦車砲により撃破されていったのでその戦訓から、 スケールを拡大して11トンクラスの中戦車へと発展させました。た。 これが「M11/39中戦車」で、1939年に制式化され、1939年から1940年に100輌が生産されました。 そして1940年にはリビアでの戦闘を始めに実戦投入されましたが、 貧弱な装甲のため多くの車両は戦闘で失われ、1941年初頭にはほぼ全車が退役してしまいました。 しかも数輌が北アフリカ戦線の豪州軍に捕獲、使用され、伊軍への反攻作戦へ投入されたそうです。 |
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伊軍が第二次大戦前に保有していた装輪装甲車は 第一次大戦中に開発されました「ランチアIZ装甲車」のみでした。 伊陸軍ではスペイン内戦にも投入された「ランチアIZ装甲車」の 戦訓を元に1930年代末から近代的装甲車の開発に乗り出し、1939年に試作車を完成させました。 完成当時としては最新鋭とも言える4輪駆動・4輪操舵・4輪独立懸架を備えた車両は、 1940年に制式採用となり「AB40装甲車」の名称が与えられました。 この「AB40装甲車」には車体前後に操縦席が設けられており、 前進後進が素早く行えるという特徴がありました。 しかし8mm機銃しか備えていなかったので、 火力不足であるとして、1941年には大型砲塔に 20mm機関砲を装備装備した「AB41装甲車」制式化されました。 「AB41装甲車」高速力と4輪駆動による高い不整地走行性能を生かして、 北アフリカ戦線での強行偵察任務に従事しました。 |
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1935年に開発の始まった「カントZ.1007爆撃機」は、 伊爆撃機らしく3発エンジンの機体でした。 原型機は1937年3月に初飛行し、34機製作された暫定生産機は 伊空軍第221飛行大隊に配属されました。 機体設計を改修した「Z.1007bis」が完成しましたのは1938年で、 この機体がイタリア空軍に制式採用され実戦にも参加しました。 イタリアが降伏後に生き残っていた機体はドイツ軍の配下におかれ終戦まで活躍しました。 爆撃機としてだけでなく沿岸部での陸上雷撃機としても使用できるよう、 航空魚雷を搭載することが可能であるが、 航空魚雷を2本搭載した場合は馬力不足で運動性能は極端に悪化してしまいました。 また、機体構造が木製であったため、 寒暖の激しい北アフリカ戦線などでの運用には難があったと言われています。 爆弾搭載量を減じて最高速度を上げた「Z.1007ter」 や軍用郵便機原型の「Z.1015」などの派生改良型も少数が製作されている。 |




