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「79式対舟艇対戦車誘導弾」は1964年から川崎重工業が開発を行い、1979年に制式採用されました。 発射器二基、照準器一基、送信機関連で構成されていて、主に地面に設置しての使用となっております。 なお、89式装甲戦闘車の砲塔側面にも装備されていますが、発射装置の互換性は無く、さらには地上に設置することもできないそうです。 主な配備先は師団直轄の対戦車隊に配備され、第9師団及び第12旅団直轄の対戦車隊及び普通科連隷下の対戦車中隊、さらに本部管理中隊隷下の対戦車隊、普通科中隊の対戦車小隊に配備されています。 現在では、高速かつ装甲が厚い第3世代戦車に対しての威力不足により、一時は96式多目的誘導弾と入れ換える予定でしたが、あまりにも高価だったので未だに現役であり、今は2009年に制式化された中距離多目的誘導弾への入れ換えが進んでいます。 |
陸上自衛隊
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今まで自衛隊では主力戦車に「74式戦車」や「90式戦車」が配備されていましたが これらは将来的には性能が不足する可能性にあり 改修にも限界があるので新型の戦車の開発が2002年より始まりました。 開発は防衛省技術研究本部が、試作と生産は三菱重工業が担当し、 2008年2月13日に神奈川県の技術研究本部陸上装備研究所で新戦車の試作車両として初めて報道公開されました。 そして2009年12月に「10式戦車」と命名されました。 2010年より調達が開始されており、2011年より富士教導団戦車教導隊などから順次部隊配備され、2012年には量産第1号車が富士学校機甲科部に引き渡されました。 |
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1974年に防衛庁は装輪式の車両の機動性研究を行う事を決定し、 三菱重工業と小松製作所に車両試作を発注しました。 走破性に関する試験を行ないました防衛庁は、 1978年から三菱重工業と小松製作所に新型指揮車の開発を依頼し、 1980年までに4輌の試作車が完成し、 1982年に小松製作所の車両を制式採用しました。 そして1983年から部隊配備が始まりました。 生産は小松製作所が担当し、1999年までに231両が生産され、 現在「82式指揮通信車」は師団司令部をはじめ、 連隊本部や特科中隊など多くの部隊に配備されています。 |
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「73式装甲車」は「60式装甲車」の後継機として、 当時開発中でした「74式戦車」に随伴する新型装甲車の開発が決定され 1967年から部分試作が開始され、1968年に部分試作車「SU-T」が完成し、 試験の結果、三菱重工製エンジン、日立製トランスミッション、小松製作所製履帯の採用がまず決定し、 その後、三菱重工と小松製作所に対して車体を含めた全体試作車が発注され、 1970年に相次いで三菱重工の「SUB-1」と小松製作所の「SUB-2」が完成しました。 全体試作車では74式戦車の様な車高変更機構や、20mm機関砲等の各種装備の試験も行われ、 結局1972年に「SUB-1」の量産化が決定、1973年に「73式装甲車」として正式採用されました。 「73式装甲車」は北海道に配備されていた「60式装甲車」と置き換える形で配備が進んだそうです。 ちなみにこの時更新されてしまいました「60式装甲車」は、 本州以南の装甲車を持たない部隊へ回されたそうです。 主に普通科や戦車大隊本部・施設や通信部等に配備され、 北海道への配備が完了後、本州の各戦車・施設・通信大隊等への配備が行われました。 現在は第7師団第11普通科連隊の一部中隊以外では、 師団/旅団の戦車大隊の各戦車中隊本部や方面の施設群に配備されています。 |
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第二次世界大戦後、米軍から武器供与を受けていた自衛隊は、 戦後の混乱期を脱し経済的に安定してきた1950年代末ごろから、装備の国産化を計画しました。 「60式装甲車」もそのうちの一つで、「61式戦車」に随伴可能な装甲兵員輸送車の開発を、 小松製作所と三菱重工に競争試作の形で行わせることが決定し、 1956年からそれぞれが開発を開始、1957年に相次いで試作車両を一両ずつ完成させました。 1957年8月まで試験が行われ、その結果総合的に優れていた三菱重工製の試作車が採用され、 第二次試作車の設計を担当することになりましたが、 だが防衛産業育成のため、三菱重工から設計図面が小松製作所にも提供される事が決まり、 双方が共に第二次試作車を製作する事になり、さらに小松製作所でも量産の分担がされることになりました。 第二次試作車は1959年に完成し、 試験の結果を元に改良を行い、1960年に「60式装甲車」として採用されました。 雲仙普賢岳での災害派遣やPKO派遣にも使用されながらも、2006年に全車が退役しました。 |



