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今回は現在、世界中に出回っているAKシリーズの高い割合を占めている「56式自動歩槍」についてです。 1956年から中華人民共和国でライセンス生産されたAK-47III型のコピーであり、中国北方工業公司が製造を担当しています。 「56式自動歩槍」は本家より使いやすいという評価がある一方、製造工場によって設計に差異があり、部品に互換性が無いなど統一性に欠けていて、様々な改良がされていますが、基本的な構造は変わりませんでした。 現在までに1,000万から1,500万挺が製造されたといわれており、中国から共産主義的な軍事政権への援助が行われた場合、必ずといって良いほど「56式自動歩槍」等が供与され、現在はそこからさらに第三国の軍事政権やゲリラ、民兵、テロリストへと流れ、大きな問題となっています。 なお、ソ連崩壊時にAK-47の生産元が民営化されてからは、中国の独自開発と主張してライセンス料を支払っていないそうです。 |
中華人民共和国軍
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1950年代、中国は「59式戦車」での戦車生産を元に、本格的に自国での戦車開発を始めました。 技術的限界から「59式戦車」を元にした軽戦車の開発が計画され、 1958年から設計が始まり、1963年から生産が始まりました。 「62式軽戦車」は1979年の中越戦争で実戦投入されたが、装甲の薄さにより、 携帯火器であるRPGによる攻撃で数多くの車輌が撃破されてしまいました。 これを教訓に、1980年には装甲を中心に改良が施された「62式改軽戦車」が開発されました。 「62式軽戦車」は積極的に輸出され、北ベトナムやスーダン、北朝鮮等と輸出されました。 1978年に生産が終了するまでに約800輌が中国陸軍に配備され、 現在でも本車は道路状況の悪い地域で重宝されており、500輌近くが使用されています。 |
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1950年代の中華人民共和国とソ連の関係は良く、 ソ連からの積極的な技術供与により開発されました。 そして内モンゴル自治区にある工場でソ連から供与されました「T-54」のパーツを組み立てる形で 1956年から生産が始まりました。 そして1959年までにほとんどを国内で生産出来るようになり正式に「59式戦車」として採用されました。 「59式戦車」は以後中華人民共和国で開発される戦車の母体となり、 これに中ソ国境紛争時に捕獲した「T-62」や 独自のルートで入手しました「T-72」の技術を盛り込み発展し続けました。 そして「59式戦車」が最初に実戦に参加したのは1965年に起きた第二次印パ戦争で、 パキスタン陸軍の「59式戦車」が印陸軍の「T-54/55」や「ヴィジャンタ」と対決しましたが、 防御能力の低さから弾薬や燃料が誘爆する車両が続出したそうです。 その後、1979年の中越戦争では人民解放軍とベトナム陸軍の双方が「59式戦車」を使用し、 山岳地域では機動性に劣り苦戦してしまいましたが、 双方が使用した「62式軽戦車」に対しては優位な立場でした。 しかし1991年の湾岸戦争では、イラク陸軍の「59式戦車」が「T-54/55」「T-62」「T-72」、 「69式戦車」などとともに米国陸軍の「M1エイブラムス」に対して一方的な大敗北をしてしまいました。 1963年から本格的な生産が始まりその後も数多くの改良をしつつ生産され、 10,000輌も作られたそうです。 うち6,000輌が中国人民解放軍陸軍に配備されていて、 「96式戦車」や「99式戦車」との交代が進められているそうです。 |
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「ワリャーグ」はソ連初の全通飛行甲板型空母「アドミラル・クズネツォフ」に続く 空母として建造されたもので、1988年11月にニコライエフ造船所で進水しました。 進水までは極めて順調に進みましたが、 ニコライエフ造船所はソ連崩壊後に独立したウクライナの国営造船所になったため 「ワリャーグ」の所有権をめぐって混乱し、 1992年に完成度75%の状態で建造は完全にストップしてしまいました。 その後ロシア政府とウクライナ政府の間で交渉が繰り返され「ワリャーグ」は、 ウクライナの所有になったが、ウクライナは「ワリャーグ」をスクラップとして海外に売却する事にし、 1998年4月に中国軍と情報機関が設立したマカオの観光会社が2,600万ドルで購入しました。 表立った動きのなかった「ワリャーグ」ですが、 2005年4月26日から8月までに大連船舶重工集団に所属する 大連造船所の乾ドックに搬入され、錆落しと人民解放軍海軍仕様の塗装を施され、 修理も進んでいることが確認されました。 このため一部では「中国が大連において空母の建造を計画」などと伝えられました。 そして2005年8月には、湿ドックへ移動しました。 2007年11月の情報では、中国海軍は2008年に本艦を訓練・試験艦「世忠」として 再就役させる意向であると伝えられていました。 しかし同時に伝えられたところでは、外装こそ手直しされたものの、 レーダーなどの電子装備の艤装がほとんど進んでおらず、 工事の進捗は必ずしも順調とは言えませんでした。 2008年末に中国海軍報道官が2012年までに中型空母を建造保有する計画を発表した際に、 「ワリャーグ」を練習空母として就航、同時に艦載機をロシアから購入する計画があることを表明しました。 2009年4月27日には本艦は大連造船所のドックから離れ、 大連船舶重工集団が大連港に新建した30万トン級のドックに着け、 2010年3月19日には、ドックから同集団所属の大連港の30万トン級の艤装埠頭へ移動し、 艤装が本格化しました。 そして2011年8月3日には数百人の兵士らが参加する完成式典が行われ 、共産党中央軍事委員会高官も視察しました。 また、渤海湾周辺で試験航行を行うために同月10日朝には出航したと報道され、 この試験航行では艦載機はまだ搭載されておらず、 さらに1年にわたって改修と乗員の訓練を行った後、2012年の就航を目指すとされています。 |
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今回は、中国のステルス戦闘機「殲-20」についてです。 「殲-20」は1990年代にコードネーム「J-XX」として開発されたステルス機の1つで、 第5世代とされます。 成都市の成都飛機工業公司テスト飛行場敷地内で飛行を伴わない地上走行が 確認されたとされ、 またその容姿は2010年年末に非公式の軍事関連の ウェブサイトに「殲-20」のものと思われる画像が掲載されたことで明らかになりました。 2011年1月11日に初飛行に成功したと公表されました。 オーストラリアの国防専門家の「カーロ・クーパーとピーター・ガン」の性能予測では、 機体の大きさは「F-111」並の大型機とされ、 高い空戦能力の他、対地対艦攻撃能力も備えており、 「FB-22」のような戦闘爆撃機や、多様な任務を遂行可能なマルチロール機とされます。 兵装は機内収納式であり、各種ミサイルの他、 「雷霆レーザー誘導爆弾」・「飛騰GPS誘導爆弾」・「雷石滑空誘導爆弾」などの 運用能力があるとされており、 また衛星攻撃兵器も発射可能とされてます。 戦闘行動半径は1,800km程だそうです。 超音速巡航能力があり、主翼後退角は43度以上で超音速飛行に有利とされます。 Xバンド・レーダーに対するステルス性を特に重視しているとされ、 その実力は「F-35」や「T-50」以上とされます。 ただし、2011年1月時点で出されている性能予測は、 全て僅かな情報を基にした単なる推測であり、 なんら具体的な根拠のあるものではなく、 米国防総省のモレル報道官は2011年1月26日の会見で、 過熱ぎみな脅威論に懐疑的な見方を示し、 コソボで撃墜された「F-117」の技術を盗用したとする報道にも否定的な見解を示しました 。 フライトグローバル誌では、「殲-20」を巨人戦闘機「Tu-128」に匹敵する大きさと推測しています。 |
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