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「虎ノ門事件」とは、1923年12月27日、摂政として第48通常議会の開院式に出席するため、 自動車で貴族院へ向かっていた 皇太子殿下に、 虎ノ門外で群衆の中にいた「難波大助」という人物が、 ステッキ仕込み式の散弾銃で狙撃したという事件です。 銃弾は車の窓ガラスを破り、皇太子には命中しませんでしたが、 同乗していた侍従長・入江為守が軽傷を負いました。 なお、皇太子殿下は事件後、側近に「空砲だと思った」と平然と語ったそうです。 その直後、難波は周囲の群衆によって袋叩きにされ、 難波の身柄を確保しようとする警察官は身をもって 難波に対する殴打を防がなければならなかったそうです。 難波はのちに大逆罪で死刑判決を受けて、 1924年11月15日死刑執行されました。 注・ここから先は、私見です。 「難波大助」という人物は、大審院で審理された際、 「難波大助」を精神病患者とすることは不可能だったため、 政府や検察は「自己の行為が誤りであったと陳述させ、 裁判長は難波の改悛の情を認めたうえで死刑の判決を下すが、 摂政の計らいにより死一等を減じ無期懲役とする」 ことが 天皇陛下の権威を回復するための最も良い手段であると判断し、 そのように動きました。 予審は長引きましたが、「難波大助」が反省陳述することをようやく認めたため、 1924年10月1日に傍聴禁止の措置が取られた上での公判が開かれました。 この審理の最終陳述で「難波大助」は前の反省陳述を行わず、次のように述べたそうです。 「私の行為はあくまで正しいもので、私は社会主義の先駆者として誇るべき権利を持つ。 しかし社会が家族や友人に加える迫害を予知できたのならば、 行為は決行しなかったであろう。皇太子には気の毒の意を表する。 私の行為で、他の共産主義者が暴力主義を採用すると誤解しない事を希望する。 皇室は共産主義者の真正面の敵ではない。 皇室を敵とするのは、 支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る。 皇室の安泰は支配階級の共産主義者に対する態度にかかっている。」 これを受け大審院は11月13日、「難波大助」に死刑を宣告せざるを得なくなったそうです。 その際「難波大助」は、 「日本無産労働者、日本共産党万歳、 ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インターナショナル万歳」 と三唱したそうです。 自分としては、特高や、憲兵が迫害したのは、 この「難波大助」が、共産主義であろうが、無かろうが、 この事件を起こし、裁判の最後で「日本無産労働者、日本共産党万歳、 ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インターナショナル万歳」 といったからだと思います。 |

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