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大阪道頓堀の南に位置する千日前は、大坂の陣後に
市内各所に散らばった墓地の整理により、大規模な
『千日墓地』が造成され、刑場(磔台・獄門台・
晒し台)や焼き場も併設された
墓地だったと云います。
明治になり刑場が廃止され墓地が阿倍野に移転すると、
千日前は演芸場や映画館などが林立する
繁華街へと姿を一変させました。
『 大陸語や半島語が飛び交うここは何処やねん
』と、問いかけたくなる道頓堀から千日前へ
右を向いても左を見ても大陸人や半島人だらけの
千日前筋をトボトボと千日前に向けて進むと
市場ずしさんを右に曲がると
![]() 月の法善寺横丁と唄われ、大阪で一番大阪の風情を
残す法善寺横丁の入り口があります。
横町の門に掲げられた『法善寺横丁』の文字は、
三代目桂春団治によるもので、西の門に
掲げられているのは藤山寛美の
額が掲げられています。
明治8年(1875)刊の大阪市中地區甼名改正繪圖に
記された法善寺、竹林寺と自安寺の間の通りが
現在の千日前筋で、その突き当りに
千日墓地が記されています。
明治18年の測量図には法善寺は西向きに竹林寺は
東向きに、自安寺は北向きに記されています。
明治初期に初代長谷川貞信が描いた『自安寺妙見宮
朝参の図』は、北に位置する坂町からの
妙見宮の錦絵です。
現在の千日前筋が千日前通と交差する手前の画像です。
画像の左位置に自安寺がありました。
昭和6年(1931)発刊の「上方10号」に記された
『摂州西成郡難波領千日墓所』の絵図です。
画像下部の黒門付近を拡大すると
左下に自安寺の塀と右側の竹林寺墓地の土塀に
囲まれて黒門が設けられています。
黒門を入るとぐ左に刑場があり、
獄門台が描かれています
![]() 先日自安寺さんで頂いた昭和30年(1955)頃の資料には、
千日前交差点付近に黒門や刑場跡が記されています。
撮影年代は不明なのですが「上方10号」に載せられた
千日墓黒門付近の画像です。
門の奥の高い塀で囲われた所が刑場と思われます。
『 えぇ〜こんな所に首切り場作るかぁ
』『 大陸とおんなじで丸見えやんかぁ〜
』千日前通で分断された北側の千日前筋の南の入り口です。
左側の白いアーケードの柱の位置付近に
黒門の門柱が立っていました。
千日前筋と千日前通が交差する画像です。
左のタクシーが停車している付近から、阪神高速
千日前線の橋脚付近に刑場があったようです。
資料整理が遅れています。
(# ゚Д゚)
明日またお会いできますことを
・・・( ^ω^)・・・
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蟹食えば金がなくなる法善寺。。
むかし、大阪赴任のころ、法善寺にはよく飲みにゆきました、、
懐かしいですねえ、、。
2019/3/6(水) 午後 8:04 [ ろっぺい ]
これだけの古い資料を良く集められましたね。
ヒョッとして郷土史家ですか?。スゴイです。(拍手)
2019/3/6(水) 午後 8:04 [ 有賀 等 ]
> ろっぺいさん、こんばんわ
法善寺界隈は古き良き時代の大阪の風情が残され、
街歩きをしていると昭和の香りが肌に感じますょ。
本当に庶民性がありその上、人懐こい御仁が多いのも
道頓堀界隈なんですねぇ。
訪問コメントありがとうございました。。。福助
2019/3/6(水) 午後 9:23 [ 扇屋福助 ]
> 有賀 等さん、こんばんは
いま、中高年者の間で歴史ファンが急増しているらしいのです。
歴史への入門書や指南書などが書店をにぎやかし、買い求める
中高年者が多い様ですょ。
いまやPC一台あれば国立国会図書館や府立中之島図書館や
各地の資料センターを訪問することができ、必要な資料は
すべて整う時代になりました。
お金のかからない暇つぶしですねぇ。。。福助
2019/3/6(水) 午後 9:29 [ 扇屋福助 ]
万博の始まる前の時代に、生粋の浪速っ子のお酒好きの家庭教師の先生に、法善寺横町の小料理屋の二階の上がり座敷で、飲んでる先生を前にして勉強を教えて貰っていました。
だから・・・
今でも。。地方から友達や親戚が来阪して案内を頼まれると、
夜の風情のある水掛不動さんや法善寺横丁や千日前界隈につれていくのです。。
ネオンキラキラ戎橋より太左ェ門橋や相合橋の方がなんとなくしっくりくるのです。。
2019/3/7(木) 午前 0:06
墓地・刑場が明治になってすぐ繁華街に変わるのは、もともと墓参りや磔獄門が庶民の娯楽だったからでしょうか。
台湾の墓地は広くて、なんの節句だったかには一族が集まって賑やかに会食と麻雀で故人をしのび宴会をすると若い頃読んで驚きましたが、、、日本も娯楽として、死んだ人を偲んだり人が殺されるのを見たりしていたのかもしれませんねー
そういえば、腹は減るけど金がない二十歳の頃のムスメ共はお墓参り(後で会食)をよくせがんだモノでした。
2019/3/7(木) 午前 0:33 [ 軍艦 ]
扇屋福助さん。
たぶん大東亜戦争が転機となったのでしょうが
たった100年程度で様変わりするもんですねぇ
知っているはずの刑場跡なんかも
こうやって資料と共に拝見すると
より切実に見えてきます。
毎日楽しみに拝読しております。
.
2019/3/7(木) 午前 8:59 [ 櫻 渡也 ]
子供の頃によく歩き回った所ですので、食い入るように見てしまいます。
懐かしい場所の歴史を知れるのは嬉しいです。(^^)
2019/3/7(木) 午後 2:03 [ moririn ]
> おねえさん、こんばんわ
宗右衛門町、道頓堀、千日前然り大阪らしさが
失われましたねぇ。
本当に狭い範囲の法善寺から坂町界隈には、
微かに本当の大阪が残っているような気がしますょ。
都市化が進み首都圏の幕の内文化の様相がありありと
感じるお市内になりました。
大坂の風情を無くして首都圏の真似せんでもと❔。。。福助
2019/3/7(木) 午後 10:51 [ 扇屋福助 ]
> 軍艦さん、こんばんは
太古の昔は死者とともに食事をする儀式もあったようですが、
仏教の伝来とともに黄泉の国の世界が穢れの対象となり、けっか
死者に関係するものすべてが穢れの対象となってしまいました。
同じ国に遭っても沖縄では軍艦さんが言われているように、
一族が祀られている墓所で末裔の方たちが集まり、お祭り
騒ぎの様に供養をされていますねぇ。
日本仏教の世界観の違いなんでしょうね。。。福助
2019/3/7(木) 午後 11:09 [ 扇屋福助 ]
> 櫻 渡也さん、こんばんは
たった100年、されど100年なんですねぇ。
見慣れた何時もの街で、時に子供の頃に見慣れた
風情を見かけると、妙に懐かしく思えてなりません。
そんな風情も都市化の波にさらされ、やがて
失われてしまうんでしょうねぇ。
都市の発展のためには仕方がないと諦めてはいるのですが、
仕方がないことなんでしょうねぇ。。。福助
2019/3/7(木) 午後 11:19 [ 扇屋福助 ]
> moririnさん、こんばんは
本屋さんには歴史本がたくさん出回り、
各所のカルチャー教室の歴史講座が大もてとか❔
自分の足元にはもっと素晴らしい歴史が在っても
誰も見向きもしないんですよねぇ。
足元の歴史の探索、楽しいですょ。。。福助
2019/3/7(木) 午後 11:26 [ 扇屋福助 ]