|
単語の意味は
Liber 1
8. 8. タイトル Adhuc se involvit. 彼はさらにつづけて言う その1
Hanc ergo quaestionem frustra se putans de praescientia Dei posse dissolvere, adhuc sese involvit, et dicit:
さて、この神の予知能力についての問題を自分は解けるものと思いこんで*1、彼(ヴィンチェンティウス・ヴィクトル)はさらにつづけてこう言う・・・ (*1)または、「さて、この問題を神の予知能力と切り離して考えられるものと思いこんで」。どっちが正しい読みなのかは、先まで読んでいかないとぼくは決めれない。 "Anima si peccatrix esse meruit, quae peccatrix esse non potuit, tamen neque in peccato remansit, quia in Christo praefigurata in peccato esse non debuit, sicut esse non potuit".
「もし霊魂が罪ある存在となるに値するものを持っていたとしても・・・・・同時にまた、霊魂は罪ある存在であることもできなかったはず・・・・、罪の中にとどまることもなかった。なぜなら、キリストの力によってすぐれた形成のされかたをしている以上、罪の中にいるべきではないからである。事実、罪の中にいつづけることはできなかった。」 Quid est quod dicit, "peccatrix esse non potuit", vel "in peccato esse non potuit", nisi, credo, si non veniret in carnem?
彼の言う「霊魂は罪ある存在であることはできなかった」とか「罪の中にいることはできなかった」というのはどういう意味でしょう?思うに、<肉体の中に入らないかぎりでは>という意味ではないでしょうか。 Neque enim potuit originali peccato esse peccatrix, aut quoquo modo in originali peccato esse, nisi per carnem, si de parente non trahitur.
つまり、霊魂は親からもらうものではなく、神によって吹きこまれるものである*1以上、肉体なしでは原罪をかかえる罪ある存在であることも、原罪の中にいることもできなかったはずだからです。 (*1)Liber 1 6.6 "si anima non de parentibus trahitur, sed a Deo nova insufflatur"(もし霊魂が両親からもらうものではなく、神から新たに吹きこまれるものであるなら) Videmus ergo eam per gratiam liberari a peccato: sed non videmus unde meruerit haerere peccato.
だからわたしたちは霊魂が神のおめぐみによって罪から解放されることはわかりますが、霊魂がなぜ罪と一体にされるに値するのかは理解できません。 Quid est ergo quod dicit: "si peccatrix esse meruit, non tamen in peccato remansit"?
さて彼の言う「もし霊魂が罪ある存在となるに値した(そして罪あるものになった)としても、また、罪の中にとどまることもなかった」とはどういう意味でしょう? Si enim ab illo quaeram, cur non in peccato remanserit, rectissime respondebit quod eam Christi gratia liberavit.
もし彼に、なぜ霊魂は罪の中にとどまらなかったのかと問えば、キリストのおめぐみが霊魂を解放したのだと正しく答えるでしょう。 Sicut ergo dicit unde anima parvuli fuerit liberata peccatrix, sic etiam dicat unde meruerit esse peccatrix.
だったら、罪ある存在としての赤ちゃんの霊魂が、どうして罪から解放されるか説明できるように、彼はなぜ霊魂が罪ある存在になるに値したのかをも説明すべきなのです。 |
全体表示
[ リスト ]




