希・羅語文献の訳し方研究 (旧デ・アニマの訳をいつかやりたい)

中世の聖歌の訳と単語帳、もしリクエストなどがあればもう少し力を入れてやります。

アルベルトゥス・マグヌス

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もう少し訪問客が来てくれないかなと思い、アルベルトゥス・マグヌスの訳のほかに語源の雑学を入れました。


☆☆☆☆ 語源 ☆☆☆☆☆
イライラするはラテン語の ira 怒り、から来ていると思います。明治時代の大学生とか、昭和の医学生とか、の造語ではないかと思います。





アルベルトゥス・マグヌス『15の問題』


Problema I(問題1)
Quod intellectus omnium hominum est unus et idem numero.
すべての人間の知性が数的に1つで同じである、ということ。




6段落目
Post hos Graeci sapientes, PORPHYRIUS scilicet et EUSTRATIUS, ASPASIUS et MICHAEL EPHESIUS et quam plures alii venerunt praeter ALEXANDRUM, qui EPICURO consentit, qui omnes intellectum hominis intellectum possessum et non de natura intelligentiae existentem esse dixerunt.
・彼ら(アリストテレス派)の後、エピクロスに同意したアレクサンドロスのほか*1、ポルフュリオス、エウストラティオス、アスパシオス、ミカエル・エフェソスなど、なんと多くのギリシャ人哲学者が出たことだろう。彼らはみな、人間の知性は所有された*2知性であって、知性の本性によって存在するものではない*3と言っている。
======
(*1)
(*2)所有された・獲得された知性
(*3)=最初から知性自身の本性によって存在するものではない

Et quem Graeci sapientes possessum, eundem ARABUM philosophi AVICENNA, AVERROES, ABUBACHER et quidam ALII adeptum esse dicebant, quia id quod possessum est, aliud est et alterius naturae a possidente.
・ギリシャの知者たちが「所有されたものである」と言っているものを、アヴィケンナ、アヴェロエス、アブバケルなどのアラビアの哲学者たちは「獲得されたものである」と言っている。
・アラビア人がこう言うのは、所有されるものは所有する者と別物・別存在だからである。

Dicunt enim, quod cum anima intellectualis hominis sit imago totius orbis et sola omnis orbis capax et forma organico corpori deputata per naturae convenientiam, necessarium est ipsam esse imaginem intelligentiae illius quae est decimi orbis.
・彼らの言うには、人間の知的な霊魂は全オルビス (orbis 天球*1)の似姿であり、全オルビス orbis を自らの内に入れることができ、<道具としての肉体>に対する形相である・・・・肉体との自然的な調和によって・・・・と考えられている。
・ということは絶対、人間の知的な霊魂は、第10の orbis の知性の似姿でもあるのでなければならない。
======
(*1)この orbis はどう訳すのかわからない。人間の霊魂や知性の上に、より高次の知的存在が階層をなして存在する、という新プラトン主義か何かの考えだと思うけど、ぼくはその種の本をまだ読んだことがないから。

Qui orbis est sphaera activorum et passivorum, cuius intelligentiae instrumenta sunt calidum et frigidum, humidum et siccum, rarum et densum et alia quae in elementis inveniuntur, non quidem secundum se, sed secundum quod haec a virtutibus caelestibus mota informantur.
・その(第10の) orbis は能動と受動の世界であり、
・熱や冷、湿や乾、薄や濃、その他元素に見出されるあらゆるもの・・・・・はその知性の道具である。
・それら(熱・・・・)はそれ自体において知性(第10の orbis の知性)の道具なのでなく、天の力によって動かされ、形づくられる点でである。

Imago autem talis intelligentiae non omnino potest esse pura et simplex, sicut est natura intelligentiae primae et simplicis.
・そのような知性(第10の orbis の知性)の似姿は、第1の単純な知性のように純粋で単純ではありえない。

Si enim talis esset, non esset forma organica primo et per se, quia natura intelligentiae simplicis non est organica.
・そのようなもの(単純なもの)なら、それは本来的に本質的に道具の形相 forma organica ではないだろう。単純な知性は道具を使う organica ものではないからだ。

Anima autem de natura sua est organica, et ab ea habet corpus, quod ipsum est organicum.
・しかし霊魂は本質的に道具を使う organica ものであり*1、本質的に肉体・・・・・これが道具・・・・・を持つ。
=====
(*1)=道具の形相 forma organica である

Et ideo dicit AVERROES, quod omnis diversitas, quae est in corpore, est a diversitate, quae est in forma, sicut diversitas organorum est a diversitate potentiarum et virium, quae sunt in anima.
・だからアヴェロエスはこう言っている:肉体にある多様さは、形相にある多様さに由来する。道具の多様さは能力・力の多様さ・・・・・これは霊魂の中にある・・・・に由来するごとく。

Si enim anima sine potentiis secundum seipsam diceretur et quod a diversitate organorum corporis esset diversitas potentiarum, sequeretur, quod ipsa secundum se posset quolibet uti organo, cum secundum seipsam non esset magis determinata ad unum quam ad aliud.
・つまり、もし霊魂が、諸能力を持つことなしに、それ自体だけで、存在すると言われるならば、
・そして(霊魂の)能力の多様さは、肉体という道具の多様さに由来すると言われるならば、
・霊魂はどんな道具(=肉体)でも利用できることになり、特にどの道具に限定されることもないことになってしまう。

Et sic sequeretur tectonica tibicines indui et cetera inconvenientia, quae contra Pythagoram concludit ARISTOTELES.
・そのように考えることは、アリストテレスがピタゴラスを批判して言っているように、「笛吹きが建築術を持つ(tectonica tibicines indui)」*1などの如き不合理につながる。
====
(*1)tectonica はぼくの辞書にはここに当てはまりそうな意味が載ってなかった。tectum「屋根/家」、tego「覆う」から推理して、家造りの技術・知識のことかもしれない。tibicines は tibicen「笛吹き、横笛奏者/柱」。・・・・・・・・・・でもこの tectonica tibicines indui は要するに上の文の、霊魂が何でもかんでもな道具(肉体)を使えるわけがない、という命題を説明するたとえだろう。だから笛吹きが建築術を知ってるわけがない、という意味かな、と推理した。

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後半

アルベルトゥス・マグヌス『15の問題』


Problema I(問題1)
Quod intellectus omnium hominum est unus et idem numero.
すべての人間の知性が数的に1つで同一である、ということ。




4段落目   (後半)
Sicut et intellectus speculativus sive universale nihil aliud est nisi forma in simplicitate sua accepta secundum esse, quod a simplici habet intelligentia, cuius ipse est lumen et constitutio et hypostasis, sicut lumen corporale hypostasis colorum est et essentialis constitutio, quamvis lumen corporale vita non sit et ideo colores secundum operationem vitae non habeat.
・思考知性または普遍*1は、端的な意味での形相*2が(知性に)受け取られたもの、にほかならない。知性に受け取られるとこの形相は「存在」になる*3。
・この存在を形相は単純な知性*4からもらう。
・この形相に対して思考知性は、光であり状態であり基体である*5。
・物体的な光が色の基体であり、或る存在状態*6であるように。ただし物体的な光は生きてはいないから、生命活動において色を受け取るのではないのだけれど。
======
(*1)思考知性すなわち現実態にある知性(現実にいま認識してる知性)は、普遍すなわち可知対象と、同一になってる。
(*2)端的な意味での形相とは、まだ認識されてない形相、または認識者と関係なく存在する形相のことらしく、たぶん認識対象になった形相すなわち普遍、と区別しているのだろう。
(*3)「存在になる」というのは「現実態になる」というのに等しいだろう。
(*4)単純な知性とは何か?まだ形相を受け取っていない空っぽの知性という意味か。まだ色を受け取っていない空っぽの空気のように。・・・・・・またはむしろ「単純な知性」というのは現実態にある知性のことか。現実態にある空気のように。
(*5)光、状態、基体、とは何か?光とは、色(形相)を照らして現実態にするもの。状態とは現実に認識が起こっている状態のこと。基体 hypostasis とは色を受け容れる基体(容器)のこと。hypostasis はギリシャ語で、ラテン語に直すと substantia になるけれど、ここでは「実体」よりも「基体」という意味だと思う。
(*6)存在状態 essentialis constitutio は現実態のこと。

Lumen autem intelligentiae secundum actum vitae est et ideo secundum actum vitae formas habet intellectuales, quia intelligere est vivere, sicut dicit ARISTOTELES, et percipere intelligibilia in theoricis est vivere secundum intellectum.
・一方、知性の光は命の現実態*1にある。そして命の現実態において可知的な*2形相を受け取る。
・なぜなら認識することは生きることだからである、アリストテレスも言っているように。思弁において可知対象*3を認識することは、知性によって生きることなのである。
=====
(*1)=現実に生きている状態
(*2)可知的=知ることが可能な=知性の認識対象となる
(*3)可知的な形相と同じ。可知対象を認識することとは、要するに「考える」などの知的活動を指す。

Et sicut visibile est in perspicuo, secundum quod perspicuum in actu luminis est determinatum ad terminum eius quod visu percipitur, ita etiam intelligibile in intelligentiae actu acceptum et ad terminos quiditatis et substantiae rei intellectae terminatum est universale, quod intelligitur.
・視覚対象は透明なもの(空気)の中にある・・・・・・・光の現実態*1にある透明なもの(空気)が、「視覚によって認識される」という視覚対象の目的を、実現しているとき。
・同様に、可知対象も知性の現実態において、知性に受け取られて、何性の目的*2に達する。
・そして認識される実体*3の目的とは普遍になることである。つまり認識されるものになることである。
=======
(*1)光の現実態=透明なものが光によって現実態にされていること=透明なものに光がすみずみまでいきわたっている状態
(*2)何性 quiditas とは、実体 substantia のこと。「何性の目的 termini(複数形) quiditatis」とは、知性という実体の目的、すなわち認識すること、と、認識される実体の目的、すなわち認識されること。
(*3)「認識される実体 res intellecta/ substantia intellecta」とは、例えば、外界に石があり、その石が知性に受け取られて普遍(=可知対象)になる。この普遍になる前の、外界にあったときの石を、「認識される実体」という表現は指している。








5段落目
Hoc igitur omnium Peripateticorum antiqua est positio, secundum quod eam ALFARABIUS determinavit.
・アルファーラービーによるとこれがすべてのアリストテレス派の人々の古くからの立場である。

Ex qua sequitur intellectum possibilem intelligibilium omnium esse speciem et non omnino potentiam esse materialem ad ipsa.
・この立場からは、可能知性はすべての可知対象の種*1であり、この可能態(なる知性)はそれらの可知対象に対して質料的なのではない、ということが帰結する。
====
(*1)=形相。可知対象を現実態にするもの。

Et quia ad philosophos loquimur, qui talibus perfecte debent esse instructi, his amplius non insistimus.
・こういうことについてよくわかっている哲学者相手にわたしは語っているわけなので、これについてこれ以上は言わないことにする。

前半



アルベルトゥス・マグヌスの『15の問題』のこの個所は、これで3回目の投稿です。
すごく難しい個所なので、何度もアタックしているのです。
今回は前よりももっと正しい、深い訳になったと思います。
でも後でまたアタックすればもっと正しく深くなる気がします。


アルベルトゥス・マグヌス『15の問題』


Problema I(問題1)
Quod intellectus omnium hominum est unus et idem numero.
すべての人間の知性が数的に1つで同一である、ということ。




4段落目   (前半)
Adhuc autem, si aliquid materiae haberet intellectus possibilis, cum omnis potentia passiva, quae est materiae, per formam, quam recipit, formetur et distinguatur ad esse speciei per se vel per accidens, oporteret, quod intellectus ab omnibus a se receptis ad aliquod esse formaretur, quod in Theophrasto reprehendit ARISTOTELES .
・さらに、もし可能知性が何か質料的な性質を持つとしたら、
・質料であるあらゆる受動能力は、それが受け取る形相によって、本質的にまたは付帯的にその種(=形相)に属した存在へと形づくられ限定される*1のであるから、
・可能知性は、それが受け取るあらゆるものによって、何らかの存在へと形づくられ限定されてしまうのでなければならない。
・しかし可能知性についてのこういう理解を、テオフラストスの本の中でアリストテレスは批判している。
======
(*1)例えば、質料は馬の形相を受け取ると、馬の形相に属する存在、すなわち馬、になってしまう。

Et ideo dixerunt ANTIQUI, quod nihil omnium est intellectus quae recipit, eo quod universalia sunt per hoc quod sunt in ipso, quia universale, secundum quod universale, nulli penitus dat esse, sed potentiam quandam, sicut et ipsum universale potentia quadam existit et non actu ens secundum naturam.
・だから古代の哲学者たちは、知性は知性が受け取るもの*1のうちのどれでもない、と言っていた。
・普遍は、知性の中にあることによって存在するだけだからである。つまり普遍というのは、本質的に、何物にも現実的存在を与えることはなく、ただ可能的存在を与えるだけだからである。
・そもそも普遍自体が可能態において存在するものであり、その本質において現実態で存在するものではないからである。
=====
(*1)普遍=可知対象(認識対象)
(*)ここは難しく見えるが、要するに、認識対象は可能知性に存在を与えるものではない。つまり、可能知性を何らかの存在に限定するものではない。と言っているのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・質料が形相を受け取るときは、その質料はその形相に限定され、特定の存在にされてしまう。それに対して、可能知性が認識対象を受け取るときは、可能知性はその認識対象に限定されて特定の存在にされてしまうことはない。その認識対象はただ可能態において可能知性の中にとどまるだけだ。と言っているのである。

Exemplum huius dicebant visibile, secundum quod est in perspicuo.
(ここからファーラービーの文章からの引用らしい。当時の直訳的なラテン語訳をそのまま引用してるらしく、ものすごく理解しにくい。)
・彼らはこの例として透明なもの(空気)の中に存在するものとしての、視覚対象を挙げる。

Hoc enim quia in perspicuo non est ut in potentia physice recipiente ipsum, ideo non accipit esse ab ipso sive per se sive per accidens.
・視覚対象が透明なもの(空気)の中にあるのは、物体的なものにおいて形相がそれを受け取る質料の中にあるようにしてではない。
・だから透明なもの(空気)は本質的にも付帯的にも視覚対象からは存在を受け取らない。*
======
(*)ここの文は代名詞が何を指すんだかまったくわからないような書き方になっているので、上の方のアルベルトゥスの文章とつじつまが合うように推理しながら訳した。
(この段落のいちばん最初の文を参照すると、ここは次のように理解できる。物体的なものにおいては、質料は形相を受け取ると、その形相によって特定の存在・物体に変化してしまう。しかし、透明なもの(空気)はそれとちがって、視覚対象を受け取ってもまったく特定のものへと変化することがない。)

Perspicuum nec album est nec rutilum, sed potius est in ipso secundum esse, quod visibili confert perspicuum, et non secundum esse, quod accipit ab eo.
・透明なもの(空気)は白いものでも赤いものでもなく、
・むしろこう言える。すなわち、透明なもの(空気)の中に、視覚対象(白とか赤とか)が、或る種の存在として、入っているのである。
・この存在は、透明なもの(空気)が視覚対象に「与える」のであって、
・視覚対象から「受け取る」ものではない。

Est enim visibile nihil aliud nisi color acceptus in esse simplici, quod habet a perspicuo secundum actum, quo perspicuum in actu est per lumen receptum in omnes partes ipsius in extremo et in profundo ipsius.
・つまり視覚対象というのは(空気に)受け取られた色にほかならない。受け取られるとき色は「存在」・・・・端的な意味での*1・・・・・になる。
・この「存在」を色は現実態にある透明なもの(空気)からもらう。
・ところで透明なもの(空気)は、その全体に、つまりその外側にも内部にもくまなく、光が受け取られることによって現実態になる。
=======
(*1)端的な意味での存在 esse smplex とは何か?可能的に存在してる状態(可能態)に対して、現実に存在している状態(現実態)のこと。

アルベルトゥス・マグヌスは読みにくいなと感じました。
3回読んでやっと筋の通る読み方ができました。

哲学の翻訳書を読んでいて、筋が通っていない、意味がつかめない、そういう個所はよくありますが、
そういうのは原文自体が筋の通らない、或いは現代人に理解できない論理で書かれてるからではなく、
ただ訳者がよく理解できなかったため下手な訳になっているだけなのです。





アルベルトゥス・マグヌス『15の問題』



Problema I(問題1)
Quod intellectus omnium hominum est unus et idem numero.
すべての人間の知性が数的に同一である、ということ。


2段落目
In philosophia igitur PERIPATETICORUM non nisi duas novas positiones invenimus a se valde differentes et unam antiquam, in qua non differunt PERIPATETICI, sed omnes uniformiter conveniunt.
・アリストテレス派の哲学には、2つの非常に相異なった新しい見解と、1つの古い見解を見出せる。
・この古い見解についてはアリストテレス派の人々は皆一様に賛成している。

Illa vero in qua omnes conveniunt, positio est ANAXAGORAE, qui loquens de intellectu possibili dicit, quod intellectus possibilis est separatus et immixtus, simplicissimus, nulli nihil habens commune.
・この、アリストテレス派の人々みなが同意している意見とは、アナクサゴラスのものである。アナクサゴラスは可能知性についてこう言っている:可能知性は分離していて非混合で、もっとも単純なもので、何物とも共通なものを持たない*1、と。
====
(*1)ここ(nulli nihil habens commune)をアヴェロエス主義の人たちは、何物とも共通でないものを持たない、すなわち、すべてと共通なものを持つ、と解したらしい。nulli nihil を強調否定でなく2重否定(=肯定)と解しているわけ。

Propter quod QUIDAM opinati sunt ipsum esse unum et eundem in omnibus et nullo determinatum ad unum proprie, quo ad alterum non determinetur.
(以下、段落の最後までアヴェロエス派の考え)
・これによって或る人々(アヴェロエス派)はこう考えた:可能知性はすべての人にとって同じであり1つであり、どんなしかたでも1人の人に固有なものとして限定されることがない、と。*1
======
(*1)そのまま訳すと、「1人の人に固有なものとして限定されない、だから他の人にも限定されない」というふうになるけれど、そうするとクドいせいで読む人が理解しにくくなると思うから、最後のところを省略した。

Si enim ad unum aliquod determinetur, ut dicunt, illo necessario differt ab alio.
・つまり彼らの言うには、もし可能知性が1つのものに限定されるとしたら、その他とは異なるものであることになってしまうのだ。*1
=====
(*1)つまりアナクサゴラスの定義によって可能知性はすべての人に共通であらねばならないのに、1人の人だけのものになってしまい、他の人のものではないことになってしまう、という意味。

Hoc autem quo determinatur, constat, quod non est de natura intellectus, quae omnibus est communis.
・むしろ、可能知性を限定するものは、「すべての人に共通である」という可能知性の本質と関係ないものであると言える。

Aut ergo non determinatur aut alio quodam determinatur.
・だから可能知性はまったく限定されないか、或るほかのものによって*1限定されるかであるはずだ。
======
(*1)=可能知性を限定するにしても、「可能知性はすべての人に共通である」という定義を破壊しはしない、そういう要素によって。

Si autem non determinetur, habetur propositum, scilicet quod unus et idem est in omnibus.
・で、もし限定されないものならば、定義は正しいことになる。すなわち可能知性はすべての人において同じであり1つである、という定義は。

Si autem alio quodam determinatur quod non est de natura intellectus, hoc videbitur esse contra hypothesim, quia cum nihil determinetur per aliquid quod sibi non est secundum aliquem modum immixtum, sequitur, quod intellectus alicui immixtus sit, quod non congruit positioni.
・一方、もし可能知性が可能知性の本質と関係ない或るほかのものに限定されるとした場合、これは定義に反するように思われる。
・なぜなら、何物も自身に何らかのしかたで混合してないものによって限定されることはない以上、
・可能知性は(限定されるとき)何かと混合してることになってしまい、それは定義*1と一致しないから。
=======
(*1)アナクサゴラスの「知性は非混合である」という定義。





3段落目
Adhuc autem, si intellectus aliqua natura determinetur ad aliquid, per illud disiungetur ab aliis omnibus illam naturam non participantibus.
・さらに、もし可能知性が或る性質によって何かに限定されるとしたら、その何かのせいで、その性質を共有しない他のすべてのものから切り離されてしまうことになる。

Cum omnis cognitio sit secundum similitudinem, sequitur, quod illorum a quibus disiungitur per dissimilitudinem, nullam penitus potest habere cognitionem.
・あらゆる認識は類似による*1とすれば、
・可能知性から非類似によって切り離されたものどもについては、そのどの1つをもまったく可能知性は認識できないということになる。
=====
(*1)似たものが似たものを認識するということについては、アリストテレス『デ・アニマ』の例えば1:2で、エンペドクレスがわたしたちは(わたしたちを構成する)火によって火を認識し、土によって土を認識する、と言うのを引用している。アリストテレスも、こういう考え方を採用している。

Hoc autem omnino falsum est, cum intellectus possibilis sit, quo est omnia fieri intelligibilia.
・しかしこういう理解はまったくの誤りである。なぜなら可能知性というのは、それによって万物が認識対象にされる、そういうものなのだから。

5段落目
Hoc igitur omnium Peripateticorum antiqua est positio, secundum quod eam ALFARABIUS determinavit.
・で、これはすべてのアリストテレス派の人々の古くからの見解である。そうアルファーラービーが言っている。

Ex qua sequitur intellectum possibilem intelligibilium omnium esse speciem et non omnino potentiam esse materialem ad ipsa.
・そしてこのことから、可能知性はあらゆる可知対象の種*1なのであって、可知対象の質料(可能態)なのではまったくないことがわかる。
====
(*1)=形相

Et quia ad philosophos loquimur, qui talibus perfecte debent esse instructi, his amplius non insistimus.
(だがわたしたちはいま哲学者たちに向かって話しているわけだから、哲学者たちはこういうことに関しては完全に教育されてるはずだから、ここではこれ以上このことには立ち入らないことにする。)







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Albertus Magnus『De quindecim problematibus』(15の問題)

Problema I( 問題1)
Quod intellectus omnium hominum est unus et idem numero.
すべての人間の知性が数的に一である、ということ。

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